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あやかし鬼譚~現代百鬼夜行絵巻  作者: フクロウ
第七話 血赤珊瑚
86/164

拾玖

**********


「随分と静かになった気がするんやけど……」


 和花はきゅっと瞳を縮めると、不安気に声を絞った。確かに激しいやり取りがあった後、急に屋敷全体が静まり返ったのを沙夜子も感じていた。


 ここにいて、外の情報を知れるのは匂いや音、しかなかった。ただし匂いに関してはつんと来る冬独特の匂いに邪魔されて、実質判断できるのは音だけだった。


 確かに争うような声だった。何度かハッキリと紙都の声と認識できるときもあった。それが急にプツリと電話線が切れたように聞こえなくなってしまった。


 何も雑音がない静寂というものを、沙夜子はこの屋敷に来て初めて実感していた。自宅であろうが教室であろうが部室であろうが、たいていは何かしら自分と関係のない生活音が混じるものだ。だが、初めて訪れた京極家にはそれがなかった。周囲の音を拾おうと集中すれば耳鳴りが聴こえてきそうなほど、音が存在しなかった。


 そのときと同じ荘厳な静けさだけが、襖や木の壁の隙間から響いてきた。


「紙都が向かったから、きっと大丈夫よ」


 『きっと』という単語が無意識に躍り出たことにハッとする。一抹の不安が頭の中を過った。


「紙都くん。ねぇ、紙都くんって何者なん? すごい力持ってるみたいやけど、京極さんとは違うんやろ? 白い服来てへんもんな」


 そう言う和花の声はやや早口だった。きっと静けさが怖くて舌が動いたのだろう、と予想する。


「紙都はーー鬼と人との間に生まれたーーハーフなの」


 どこまで伝えるべきか、どう伝えるべきか思考を巡らせて、沙夜子は結局そのまま飾らずに伝えることにした。そして、その後に「だけど、ただの男子高校生。強い力を持っているだけで。自分より他人を優先しようとする、ただのバカ」と付け加える。


 微笑んだ和花は、「そうなんや」となぜか声の調子を高くした。


「そんで、沙夜子は紙都くんのことが好きになったんやね。自分より他人を優先するっていうその優しさに惹かれたんか? 背ぇ高くてかっこええしな!」


「い、いやいや、そういう意味じゃなくて!!」


 突然の指摘に思わず腰が浮き、手が否定を示すように顔の前で何度も行き来した。


「そんだけ否定するってことは、好きやって言ってるもんやない?」


「いや、そ、そんなことはーー」


「だいたい好きでもない人と、わざわざ二人きりでここまで来ないやろ。それとも誰とでも来るんか?」


「う……それは、違うけど」


 同い年のはずなのに、ぐいぐいと本音を引っ張り出されていく。他の連中なら、怒ったり殴ったりすれば終了するはずなのに、勘が鋭いのか追及する手数が多いのか、逃げ場所を一つずつ封鎖されていっているようだった。


「じゃあ、好きなんやろ? だいたい二人の雰囲気とか沙夜子の紙都くんを見る眼とかでバレバレやけどな」


「えっ、本当!?」


「うん、本当。……ところで、やっと白状したねぇ」


「!!!!」


 しまった。はめられた。頬を触るまでもなく、火照っているのがわかる。


 悪戯っぽい笑顔を浮かべた和花は、肩を寄せると目の奥を覗き込むように顔を近づけてきた。


「な、なによ!」


「いや、沙夜子って見た目の割に純粋なんやなぁって。なーんか、応援したなるわ」


「別に応援してもらわなくても! もう、やめよう! 今、こんなこと話している場合じゃないから!!」


 それでも追及は終わらない。息が掛かるほど近くにある宝石のように綺麗な瞳が、その先を促していた。


「逃げなくてもええって。二人はどこまで進んでるんや? 向こうも一緒にいるとこ見ると、まんざらでもなさそうやけど」


「いい! もういいって!」


 沙夜子は両手を突き出した。これ以上追及されても、もう何も答えられない。


「紙都をどう思っているかとか、どうなりたいとか、そういうのは今は何も考えられない。それに、私がここにいるのは、紙都のためだけじゃない。今やらなきゃいけないのは、考えなければいけないのは、この窮地をどうやって打開するかーー」


 沙夜子の顔が襖の方へ向けられた。


「……どうしたんや?」


「黙って」


 そう囁くと片手で和花の口を塞ぐ。


(今、確かに聞こえた。間違いない)


 それは、足音だった。ジリジリとにじり寄ってくるような不快な足音。その音の合間に聞こえる低い呻き声のような音を認識すると、体の熱が急速に冷えていくのがわかった。


(ここに来ているということは、紙都は……いえーー)


「和花、部屋の隅へ戻って。早く!」


 腕を引っ張って半ば強制的に立たせると、暗がりのその奥へと背中を押す。怯えた表情を見せながらも素直に指示に従い、うずくまった和花を隠すように、沙夜子は腕を組んで仁王立ちした。


 何かまとわりつくような気配とともに不気味な声が襖を撫でる。襖に赤色が飛び散ると、小さな悲鳴が上がった。

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