拾捌
両拳が激突した。衝撃で、うっすらと雪を被った苔むした地面に亀裂が入り、近くにあった庭石が真っ二つに割れた。
「なんや、行儀悪いなぁ。同じ鬼のくせして頭領の話聞けへんちゅうんか、あぁ? 少ししつけたろうか」
鬼の手が紙都の拳を掴む。まだ成長期前の少年の小さな手のはずなのにびくともしない。
(な、嘘だろ?)
そのままの体勢で身体が持ち上げられて、足が地から離れていく。鬼が嗤った。
浮遊感に襲われる。投げ飛ばされたと気付いたときには無数の玉砂利が眼下に広がり、紙都は俯せに叩き付けられていた。
「さっきの仕返しや。これでわかったやろ? おれの実力が。よもやさっきの攻撃が決まったから互角にやり合えるーーとか思っていないとは思うんけど、もし思っとったらあれはただのまぐれや」
(こいつ……)
紙都はすぐに手をついて体を起こした。石で切った額の血を擦り取る。見下ろす顔は少年のそれだが、中身は全然違う。残虐で強力でまさに伝承で述べられる鬼そのもの。
「いいで、その目。まだ殺る気満々やな。よし、あんたで肩慣らしといこか」
言うなり鬼は準備運動なのかステップを踏み、その場で一回転した。
「差し出がましいかと思いますが、十二分に気をつけて下さい。今、頭領と自分のことを指していましたが、あれは、あの鬼はおそらく名のある鬼のなかでも伝説級の鬼。酒呑童子かと」
「しゅてんどうじ?」
「酒を呑むに子どもの童子と書きます。羅城門跡がありましたね。そこに巣食っていた羅城門の鬼や茨城童子など数多の鬼を従えた鬼の頭領の名です」
「あーそうやった、そうやった」
小気味いい音を立てながら首を一回転させると、酒呑童子は角の生え際を掻いた。
「羅城門の鬼もあんたらに消されたんやったなぁ。確か、聞いた話では、情けない話やが新たに生まれた鬼と京極の女が結託して倒したとか。あーもしかして、あんたがその二人からできた混ざりモンか。なるほど、そしたら、これは仇討ちにもなるわけやなぁ」
(羅城門の鬼を消したのが、父さんと母さん?)
「紙都さん、今は、目の前のことに集中してください。当主が戻るまで堪えきれば私たちの勝ちです」
「そうやなぁ。さっすがに当主が戻ってこれば、歩が悪いわなぁ。まあ、戻って来ればやけどな」
酒呑童子は軽く走り込むかのように地を蹴ると、その姿を消した。
姿を現したのは、紙都の真下だった。見えていたとはいえ、反応が追いつくのかどうかは別の問題。なんとか腕を交差し、身体への殴打は避けたももの重機がぶつかったような衝撃に腕が痺れた。続けざまに力任せのラッシュ。反撃をしようにも一撃一撃が速くなおかつ重く、腕を下ろすことができない。
その間にも、後ろにいた産女は不気味な侵攻を続ける。
「どないすんねん! こんままじゃあ、殺られてしまうで! 匿ってるんやろう? 一人か二人か知らんが、ややこ宿したおなごしゅうを!」
(くそっ! いや、落ち着け。今、変な動きをすれば隙を突かれる!)
紙都は腰を一段深く落とすと、痺れて感覚が無くなってきた腕に力を込めていつまで続くのかわからない乱打に備えた。
「どこぉ?」「どこ?」「どこ? どこ?」「どこぉ?」
呪詛がハッキリと聞こえた。迫り来る拳の間から覗き見ると、庭の石木どころか倒れた京極家の人間を気にせず踏みながら、行進を続ける。
「紙都さん!!」
見兼ねた梓が片手を掲げて紙都の横へ並んだ、が。
「邪魔や!!」
陣を展開する前に滑り込むように移動した酒呑童子の後ろ蹴りをまともに腹に受けてしまう。声を出すことすらできずに、梓は後ろへと弾き飛ばされ、木板に身体を打ち付けた。
その寸秒の隙を突いて後ろへ回ると、腫れ上がった腕に代わり足を顔を潰す覚悟で蹴り上げる。
「全然力が入ってないやんけ」
片手で容易く受け止められてしまった。振り回されて、再び地面に叩き付けられる。痛覚が一斉に悲鳴を上げて、喉奥から勝手に声が上がる。
「もう、終わりかいな。しょーもな」
「……ま、まだだ。まだ、終わって……ない」
くらくらする頭に何かが振り下ろされた。足で踏まれていることがわかったときには、砂利の味が広がっていた。
「このまま、頭を踏み潰すこともできるんやで」
発した言葉は呻き声にしかならなかった。
「あんたがなんで人間の味方してるのか知らんけど、このまま殺すのは惜しいなぁ。自分、まだ若いやろ? おれんとこに来ーへんか?」
(くそ! 誰が、お前なんかに……)
再び頭蓋骨に衝撃が走り、逆らう感情も踏みにじられた。
「なぁ、返事せいや。あぁ、そうか、口んなか石だらけでようしゃべれへんのかぁ」
地面を叩いた。感覚がとうに消え失せた両手を血が滲むほどに握り締めて。
(こんなところで死ぬわけにはいかない。殺されるわけにはいかない。決めたはずだろ、仇を取るって。妖怪を、妖怪全てを殲滅するって!)
足が頭から離れた。一息つく間もなく手で髪の毛ごと引っ張り上げられて、少年の燃えるような緋色の双眸が眼前に突き付けられた。
「まだ眼は死んでないんか」
「…………」
「やっぱやめたわ。あんたみたいな中途半端なんわ、いつ裏切るかわからんからなぁ」
髪の毛を引き千切らんとするほどの力で、紙都の身体は空中高くへ放り投げられた。手も足も動かせないままに、酒呑童子の拳が無防備な胸を貫く。
それきり、意識は途切れた。




