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あやかし鬼譚~現代百鬼夜行絵巻  作者: フクロウ
第七話 血赤珊瑚
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拾肆

**********


 川瀬愛姫は、それを目の当たりにしたときに心の底が震えるような恐怖を感じていた。


 それは、確かに事切れていたはずだった。最後に絶叫を響かせ、次の瞬間にはただの肉塊になったはずだった。ーーそのはずなのに、それは何の造作もなく血の海のなかから立ち上がったのだ。電気供給を止められたロボットに再び電気が通ったかのように。


 だが、愛姫が恐怖を感じたのはそこではなかった。起き上がったその姿はあまりにも禍々しく、そして、あまりにも哀しかった。そこにはもはや、一人の女性としての人格は残っておらず、ただ一つの意志だけがある。言ってみればもはや一つの命令を実行するだけの空虚なプログラムがあるだけだった。


 そういう心境だったために、新たに生まれたそれが落ちた刃物を拾い、鎌倉の背中に突き立てようとしたとき、愛姫の身体を即座に動かしたのは、長年の鍛練によるものに他ならなかった。


「危ない!!」


 そう注意を促しつつも、愛姫は素早く鎌倉とそれの間に入り込むと、刃物を握る腕を両の手で掴み、捻り上げた。落ちた包丁を遠くへ蹴り飛ばすと、自らの体に引き込むようにしてそれの身体を引き寄せ、後ろへと投げ飛ばした。


 狭い病室のなかだ。それは壁に背中を打ち付けて床へと伸びた。それでも、愛姫は構えを解くことなく壁際を凝視し続ける。


「いい加減、放れろ!」


 その横へ鎌を抜き取った鎌倉が並んだ。予想だにできなかった展開に少し息を切らしている。


「助かった。まさか、こんなに急に出現するとは」


「たぶん、まだまだですよ、鎌倉さん」


「どういうことだ?」


「伸也くんが言ってました、増殖するって。きっと、産女が産女を産んでどんどん増えていっているんだと思います。まるでなんかのシステムみたいに」


 ここは産婦人科病棟だ。もう、避難しているのかもしれないが、患者が一人だけとは思えない。他にもまだ妊産婦が残っているとすれば、悲劇が拡大していくだけ。


「おかしいですよ、こんなの。絶対におかしい」


「おい、お前ーー」


「産女はこんな妖怪じゃないって言ってた。狂気に呑まれて他の赤ちゃんを! こんなの、こんなのーー」


 それは、壁に手をついて再びゆっくりと立ち上がった。


「愛姫、落ち着け! 来るぞ!!」 


 軌道を読むのは非常に容易かった。腕を振るう、殴るなど、直線的な攻撃しか試みてこないからだ。油断すれば致命傷を与えられかねない武器がない今、その動作をかわし投げ飛ばすのは造作もないことだった。それは、鎌倉にしても同じことで、至近距離に近付かず一定の距離を保ちながらリーチのある大鎌で突き、薙ぎ払いを繰り返しているだけでダメージは着実に積み重なっていく。


 それでも、二人の不安は膨らむばかりだった。何度投げ飛ばそうとも、何度突き崩そうとも、それは身体を纏う白布から真っ赤な血を垂れ流して立ち上がるのだ。鎌倉が相手をしている一体は、片腕が潰れ、まさに首の皮一枚で胴体と繋がっている首を不気味に揺らしながらも、なおじりじりと迫ってくる。


 それはなおも呟き続けていた。赤子を探す執念が憑依したように。


「どうして、倒れないの!?」


 さすがに息が上がってきていた。力量差が大きかろうと、耐久戦になってしまえば分が悪い。たった一撃で勝負が決するときもあるのだから。


「わからん。だが、一つ言えるのはーー」


 鎌倉は鎌を投げ捨てた。


「鎌倉さん、何を!?」


 意を決して相手の懐に踏み込むと、重そうな頭部を上段で蹴り上げ、仰け反ったところへ右拳を叩き込む。そのまま全体重をかけて固い床の上へ頚部を叩き付け、無理矢理に折った。


 すぐさまバックステップで後ろへ戻ると鎌を拾い上げる。


「一つ言えるのは、こいつらはもう正常ではないということだ」


 何事もなかったかのように、それはまた再起動を果たした。完全に分離したはずなのに、足りない胴体が探し求める。時を同じくして、床に転がっていたもう一体も起き上がる。


 耳元で舌打ちが鳴らされた。


「こうなったら細かく切り刻んでやる」


 軽くステップを踏んで高く跳び上がると、天井へと足を着いて一息に後ろへと回り込む。その速度は、一迅の風が起こったかのように速かった。


「遅い」


 その身体が向き直るよりも先に斜め左下、次いで真横、左上へと、流れるリズムに乗るように鎌が振り回される。


 鎌倉が猛攻を繰り広げているその間、愛姫は対峙していた。もう何度目かになるかわからない空っぽの敵と。


「……私の……赤ちゃん……どこぉ?」


 繰り返される台詞を聞く度に、黒い靄のような重石が耳奥に流れ込み、心が軋んでいく。


「……もう、止めようよ」


 言霊、呪詛などという言葉があるように、言葉には特別な力がある。言葉一つで相手を喜ばせることも傷つけることも簡単にできてしまう。毎朝、「可愛い」と優しく誉めてくれた母親の言葉がその日を生きる気力を生んだり、それとは逆に「運命」と戒める言葉が行動の選択肢を縛ったり、「生きろ」という言葉が自分を変えようと思わせたり。


 だからなおさらのこと。無限に続くかのような赤子を求め続ける空回りした言葉は、きっとそれ自体が怪異を産み続ける。


「もう、止めよう」


 まるで反応を示すことのない操り人形に向かって今度はハッキリと語りかけた。


「こんなの、おかしすぎるよ!」


 胸が脚が露になるのも厭わず、身体を左右に傾かせながら走り寄る産女の懐に潜り込むと、愛姫は攻撃に転じようとした産女の右腕を片手で抑え込み、次いで、空いた方の手を大きく開けた腹中へ滑り込ませた。


「ごめんね」


 無表情のまま呟く。産女の腹部から雨垂れのような音が聞こえ、鮮やかな紅色が噴き出した。空中へと飛び散り、愛姫の花のように可憐な顔を汚した血は、愛姫の意志により一塊(ひとかたまり)に集まり、一本の糸状へと装いを変える。ーーそれは、まるで赤い臍の緒のよう。


 糸は、なおも腕を振るおうとする産女の手と足を縛り、愛姫の指の動きに合わせて身体全体に巻き付いていく。十分糸が絡まったところで、愛姫は胸元に置いて重ねた手を前方へと突き出した。


「終わりにしよう」


 糸が再び液体へと形状を変える。耳鳴りのように耳障りな高音が病室中を反響し、骨肉を引き千切る音をかき消していく。


 血飛沫が舞った。あとに遺されたのは、脳裡にこびりつく悲痛な声のみ。


「終わったか」


 同様に片を付けた鎌倉が落ち着いた声色を出した。こんな理不尽な状況にも関わらず、あくまでも冷厳なその様子に怒りすら愛姫は覚えていた。


「うん、終わらせた」 


 それでも、そんな感情は微塵も出さなかった。誰が悪いのかは、もう明晰だったから。


「お前の能力。水を自在に扱えるのか?」


 鎌を畳みながら、何とはなしに鎌倉は問い掛けた。


「そう。私の能力。水とかこんな血だまりでも、液体であるならば自由に形を作れる」


「そうか。それはーー」


 二人は一斉に声のする方へ体を振り向けた。血に塗れたベッドからは、確かに産声が発せられた。ーー奇跡のような高らかな歌声が。

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