拾参
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「和花さんは、少し落ち着いたようです。沙夜子さんが付いていますのでまずは一安心と言ったところでしょうか。もちろんこの屋敷全体に陣を張り巡らせていますので、ご安心ください」
梓は障子を閉めると同時にそう言った。だが、安心して、という割にはどこか落ち着きがないように紙都には見えた。
「それなら、妖怪は絶対に入ってはこれないと」
驚いたようにパッと顔が上がった。
「さすが、勘が良いですね。絶対とは言い切れません。強力な妖が出現した際には、攻め込まれたことも何度もあります。そう、あの、ぬらりひょんのときもそうでした。人の皮を被ることのできるあれは、我々にとって非常に脅威でした」
「ぬらりひょんだって!? あいつはこの間ーー」
「ええ。紙都さんたちの活躍によって滅することができました。あれは、御言様がここを出ることになったきっかけを作ったのです。それだけ長く妖怪を封印から解くことを画策していた、ということですね」
固い音が響いた。紙都が堪えきれずに薄壁を叩いたのだ。ぬらりひょんの意地の悪い顔を思い出しただけで、怒り声を上げそうになった自分がいた。
「紙都さん、お気持ちは痛いほどわかります。ですが、ここはどうか落ち着いて」
「……わかってる。わかってるよ」
紙都はなんとか息を吐き出すと、御言も使っていただろう木椅子を机から引き出し、深く腰掛けた。
「……梓さん」
「はい、なんでしょうか」
「今回の妖怪ーー産女も、封印されていた妖怪なんですか?」
首を傾げると、梓はその場に正座する。暗がりをじっと見つめたその窪んだ目が紙都に向かった。
「それは、わかりません。南柳市に封印が施されたのは遠い昔と聞きます。京極家でさえ、その事実を知る者はこれまで歴代の当主に限られていましたから。ただーー」
「ただ?」
「紙都さんは、妖、妖怪と呼ばれる者がなぜ出現するかご存知ですか?」
「…………」
妖怪がなぜ出現するのか。そんなことは今まで考えたことがなかった。いや、そもそも出現するという言い方に紙都は違和感を感じざるをえなかった。
「出現って、封印がなければ妖怪は当たり前に存在するんじゃ?」
梓は僅かに首を縦に振る。
「その通りです。ですが、封印を施してもなお、妖怪はここ京の都だけでも何度も現れました」
どういうことだ? いったい何を言おうと。
「妖と人は、とても奇妙な関係性で結ばれています。妖の記憶は忘れられる。これもその一つの例ですが、人が妖に変わるーーいえ、それでは語弊がありますね。なるべく正確に言うとするならば、人の念が妖をつくりだす。そうして生まれる妖怪もいるのです。その一つが産女と呼ばれる妖怪です」
「人の念が、妖怪を?」
「そうです」
梓は何かを思い返すように目を細めた。
「産女は、我が子を抱くことができずに無念のあまりに亡くなった女性が妖怪に変わったものと言い伝えられています。そういう意味では、もしかしたら封印とは関係なく現れる類いのものかもしれません」
「そんな。それなら封印を施す意味なんてないんじゃ」
「それは違います。産女自体は本来強力な力を持っているわけではないのです。おそらく、本当に恐ろしいのは、封印されていた者たち。どんな力を持った妖が封じられていたのかはわかりませんが、その中には人智を超えるような存在もいることでしょう」
「人智を超えるような存在……?」
スマホの画面を滑らせると再びあの画面が現れる。この現象も想定を遥かに超えて増殖し続けているが。
「……まてよ。産女が女性の子どもを思う念から生み出されたものだとしたら――」
南柳市にも産女は現れている。京だけでも複数の報告はあるようだ。そして、この産女は全員がなぜか我が子を探し求めている。
急に立ち上がった紙都に合わせるように、梓も白装束の端を直して腰を上げた。
「梓さん。もし、赤ちゃんを探している産女が、妊婦さんを手にかけ、その赤ちゃんを取り上げた場合、その女性は――」
梓は両手で大きく開いた口を抑えた。
「産女になりえます。そして、その産女はまた我が子を求めて――」
「増殖し続けることになる」
足先に振動を感じた。最初は気のせいかと思ったが、その振動はすぐに大きくなり、確かな実感に変わる。
「地震?」
「いえ、これは――そんな、まさか」
障子を開け放して外へ飛び出した梓に続いて紙都も急ぎ外へ出た。同様に屋敷に残っていた白装束姿の京極家の面々が、驚愕の顔を浮かべてわらわらと集まり出していた。
「なんやあれは!」「どないすんねん! 今、当主も上段連中もいないんやで!」
騒ぎ立てるその方向へ振り返ると、扉を開こうとする幾つもの血塗れの手があった。




