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あやかし鬼譚~現代百鬼夜行絵巻  作者: フクロウ
第七話 血赤珊瑚
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**********


「ーーわ、わかった、はい。すぐに連絡します」


 通話を切ると、吉良伸也は緊張から解かれたように息を吐き入院ベッドの枕へと頭を預けた。だいぶ慣れたとはいえ、沙夜子との会話は相変わらず緊張する。面と向かって喚かれない分まだましだが。


(……今はそんなことを考えている場合じゃないよね。愛ちゃんそろそろ来ると思うんだけど)


 まもなく病室のドアがノックされる。個室に入院しているため、遠慮なく返事をすることができた。


「失礼します!」


 こっちまで心が躍りそうになる快活な声とともに眼鏡を掛けた川瀬愛姫が入ってきた。もう何度もお見舞いに来ているからか、慣れたようにベッド脇の椅子をベッドテーブルの近くに移動すると、眼鏡とともに可愛らしいデザインのリュックをテーブルに置いた。


「伸也くん、今日もお疲れ様! 怪我の具合はどう?」


「うん、順調に回復してるって」


 素顔の愛姫は、やはり可愛いと伸也はまじまじと眼前に広がる笑顔を見つめた。本来魅了されるはずの愛姫の素顔に自分だけなぜ魅了されないのかーーその理由を考えると情けなくなってしまうが、毎日この笑顔が見られるのは正直に言って嬉しかった。


「ところで、持ってきたよ」


 リュックを開けると、愛姫は中から分厚い本を取り出した。吉良の家に置いていた妖怪辞典だ。


「ありがとう」


 さっそくページを捲っていく。病院に似つかわしくない甘い香水の薫りが仄かに立ち上った。病院だけに静かで部屋の暖房の機械音だけが繰り返し流れていた。


「あった」


「すごい! 早いね!」


「うん、沙夜子さんから聞いた情報で見当はついていたから。有名な妖怪だよ」


 見えやすいように、辞典を逆さまにしてページを広げた。そこに描かれていたのは、赤子を抱えた女性の姿。その名をーー。


産女(うぶめ)?」


「そう。他にもこの横に書いてあるけど、姑獲鳥(うぶめ)と書かれたりする。妊娠中の女性が子どもを産む前に亡くなると、この産女と名付けられた妖怪に変わるらしい」


「……なんだか可哀想な妖怪……。産みたかった赤ちゃんを求めてるのかな?」


「うん、この産女は各地に伝説が残る妖怪で、埋葬の際に産女になることを恐れて、亡くなってしまった妊婦のお腹を切り裂いて赤ちゃんを取り出し、抱かせたり背負わせたりしていた記録も残っているんだ。ただーー」


 上目遣いで目を覗き込んでくる愛姫の仕草に思わず目を逸らす。


「…………」


「あっ、ごめん、また無意識に。こういうの苦手なんだもんね!」


 愛姫は、その性質からか男性の好む表情や仕草を無意識にしてしまう癖があった。だからこそ、今バイトをしているような耳かき専門店のような仕事が天職でもあるわけだが、女性への抵抗感が強い伸也にとっては女性らしさを見せつけられるようで、苦手だった。


「ごめん、大丈夫だから、それよりーー」


「うん、それで?」


 今度は大きな頷きとともに満面の笑顔が花咲いた。堪らず、本の上に視線を落とす。


「あっ、また、ごめん!」


「いや、いいよ、それより」


(もう、なるべく顔を見ないように下向いたまま話すことにしよう)


「うん」


「この産女という妖怪、確かに通行人にいきなり赤ちゃんを抱かせて、その赤ちゃんがどんどん重くなってよくよく見たら石だったか、そういう怪異は起こすんだけど……」


「だけど?」


 愛姫が続きを促す。なんとなくイントネーションがおかしく聞こえるのは、伸也に配慮してのことか。


「……う、うん。だけど、沙夜子さんから聞いた情報だと、妊婦さんの夢の中に出てきて、しかも刃物でお腹を……。すでに亡くなっている人も出てきているらしく、とても産女という妖怪の仕業とは思えなくて。もちろん、実際に産女を見たことなんてないんだけど、なんていうか、その……凶暴化、そして増殖しているような気がするんだ」


「凶暴化? 増殖?」


 また変なイントネーションだ。自分がこんなだから、変に気を遣わせてしまっているのではないか。


「詳しく聞いたわけではないけど、最初は夢の中に現れただけだった。それが毎夜繰り返されるうちに、他の人も同じ夢を見るように。そして、実体化して複数の人を殺し、今はーー」


 ベッドに投げ捨てたままだったブルーのスマホを拾って、件の画面を愛姫に見せる。可愛らしいその顔が一瞬にして恐怖色に変わった。


「SNSで拡がっている。まるで拡散しているみたいに、凶暴化と増殖が起こっているみたいな気がするんだ」


 スマホの画面を消しても、愛姫の顔は強張ったままだった。ふっくらとした赤い唇は微かに震え、大きな瞳はここではないどこかを映しているように虚ろだった。


「あ、愛ちゃん、大丈夫!?」


「あ……」 


 伸也の呼び掛けで我に返ったのか、2、3度瞬きをして返答がかえってきた。


「……辛いだろうなと思って」


「辛い?」


「うん、きっと赤ちゃんを探しているだけなんだよ。抱いてあげれなかった自分の子どもを必死に……」


 自分の子どもを探している? 確かにそれだとさっき見た「どこ? どこ? どこ?」の意味は通じるけど、産女は基本赤ちゃんと一緒に現れる妖怪。その赤ちゃんがいなくなった?


「赤ちゃんどこ行っちゃったんだろうね? 赤ちゃんが見つかればきっと落ち着くんじゃないかな。ほら、私が人前で眼鏡を掛けると安心するみたいな」


(眼鏡とは全然違うと思うけど……でも、まさか……)


 異変が起こったのはそのときだった。


「コードブルー! コードブルー! 4階435室! 医師および看護スタッフ全員集合してください!!」


 全館に緊急のアナウンスが流れた。


「ね、ねぇ、伸也くん。4階って……確か」


「うん、産婦人科病棟……のはず」


「その通りだ」


 突然病室の扉が開いて、白いイタチが入ってきた。確か、(てん)という名前の。貂は嬉しそうに驚いている愛姫の胸に飛び込んでいった。


「わぁーちょっと!」


 と言いながらもすぐに笑顔に変わり、イタチとじゃれ合う愛姫。伸也には、頭を撫で頬を伸ばし、笑いかけるその自然な表情が一番輝いて見えた。


「変わらず懐かれてるな。あまり他人には懐かないんだが。やはり妖怪だからか。戻ってこい! 貂!」


 鎌倉の声にピクリと反応した貂は、さっと愛姫の身体を降りて鎌倉の肩に乗った。


「どこに行くの?」


「わかりきったことを聞くな。4階、産婦人科病棟だよ。情報を集めていてもしやと思ったら、いいタイミングだ」


(やっぱり、また怪異か)


「待って、僕も行く。本当に妖怪が産女なのか確かめないと」


 床に置いたスリッパを履くために立ち上がろうとした包帯だらけの手を愛姫の温かな手が止めた。思わず顔を凝視すると、いつもの笑顔ではなく口を真一文字に結んだ真剣な顔がそこにはあった。


「その身体じゃ、無理だよ。伸也くん」


「だ、だけど、沙夜子さんに報告しないと」


 愛姫は静かに首を横に振った。


「後で連絡するから。私だってオカルト研究部の一員になったんだから、やれることはやるよ。部長はその包帯が取れるまでしっかり休んでてください」


「あ……ああ」


 愛姫は満足げに微笑むと、立ち上がった。

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