漆
静まり返ったかのように物音一つしなかった。急須からお茶が注がれる音がやけに大きく聞こえる。その仕草に、お茶を入れる御言の姿が重なるように見えたのは、きっと自然なことだろう。真冬の厳しい寒さに似た身が引き締まるような部屋の雰囲気は、御言の持つそれによく似ていた。
その部屋は十畳ほどの大きさだった。一面敷きで真ん中に黒檀の平机が置かれただけのシンプルな内装で、外との出入口は沙夜子の後ろの襖ただ一つだけだ。
最初に応対してくれた声の主に、紙都と沙夜子が連れてこられたのは、いわゆる離れと呼ばれる場所だった。京極家の当主が重要な話をするときなどに利用される部屋らしいが、逆に言えば内密にするべき話と判断されているということで決して歓迎されているわけではない。
「申し訳ございませんが、少々お待ち下さい。じきに当主がお見えになります」
手際よくお茶を二人の手元と真正面に置くと、老齢の女性は静かに部屋を出ていった。丁度よく整えられた微笑みは上品で、どこか気持ちを落ち着かせてくれる。もしかしたら、この人は歓迎してくれているのか、どういう立場の人なのか、などと暑いお茶で唇を湿らせながら考えていた。
紙都も鬼灯が描かれた湯飲みを手に取った。
「門前払いは食らわないですんだな」
「そうね。だけど、無事にすむかどうかまだわからないわよ。半分は御言さんの血が流れているとは言っても、もう半分は鬼の血が流れてるんだから、向こうにとっては封じるべき妖と同じ認識かもしれないし」
「そうだな。まあ、そのときは一緒に逃げるか」
その言葉に全く意図は存在しないのだろうが、確かに沙夜子の心音は跳ね上がった。場所も時間も関係なく襲ってくる衝動は、何とも制御が難しい。
紙都の吸い込まれそうな漆黒の瞳から逃れるようにお茶を喉奥に押し込むと、後ろの襖が開かれた。
「遅くなってすんまへん」
(? 声が二重に聞こえる?)
何も考えずに振り返ると、そこにはスラッと背の高い双子の女性が佇んでいた。日本人形を思わせるほっそりとした細面を彩るつぶらな瞳は、強い意志を宿している。背中まで真っ直ぐに伸びた濡羽色の髪は、御言の物によく似た白装束に映えた。
「遠いところから、ようお越しはったなあ」
緩やかに引いた口紅が真横に伸びる。二人は、机を回って真正面に座ると、一口お茶を口に含んだ。
「こないな格好ですんまへん。今、取り込み中どした。御言さんも陣を使うときは、おんなじ格好しとったと思うけど、これはーー」
「姉さん、今はそんな話してるんとちゃいますか? まずは、自己紹介せな」
「せやな。えらい、すんまへん」
二人は全く同じタイミングで湯飲みを置くと、背筋を伸ばして右耳に髪を掛けた。
「うちは京極楓。柊とともに京極家現当主をやらせていただいとります」
沙夜子から向かって左側、紙都の前に座る方が軽く頭を下げた。続けて隣のもう一方が小さな口を開く。
「同じく現当主をやらせていただいとります。京極柊です」
(当主が二人? 双子だから二人でやっているということなの?)
その考えが見透かされたように、楓が微笑んだ。
「前当主が急死し、跡を次ぐ予定やった者もおらんようになってもうたものやから、うちら二人でなんとかやっているということです」
楓が口を閉じると同時に柊が顔を上げた。視線は紙都へと注がれる。
「その予定当主が、あんたの母、京極御言さんやったんですよ。鬼神紙都さん」
「……母さんが?」
「そうどす。当時まだあんたと同じ15歳かそこらやったんやけど、陣の扱いがずば抜けていて、冷静沈着なあの性格に、前当主から次期当主の太鼓判を押されてました」
「やけど、そっから先はあんたも知っての通り、鬼と通じ合い、京極家を追放されはったんや」
不穏な空気が流れた。というよりも、やはりというべきか京極家が紙都の存在を受け入れる気がないことは明白だった。鬼の存在をどうしたって認めることはできないのだ。
楓と柊の目が冷たく変わった。異質なものを見やるように。
「それで、話というのはなんどすか?」
重圧がのし掛かる。二人の視線は紙都を捉えたままだ。それでも、何の力も持たない沙夜子にとっては、息を呑むくらいには影響を与えていた。その気になればこの二人は紙都を封じることができる。
膝の上に置いた手が勝手に震え出していた。いや、震えているのは手だけではない。全身が、制御できないくらいに震えていた。
(なん、で? 何とか反論しなきゃ、いつもみたいに、やらなきゃーー)
そう強く願っても、震えは止まることがない。これまで幾多もの命懸けの修羅場を潜ってきただけに、行動すらできない自分自身に困惑していた。
(ーーえっ?)
左手に何かが触れた。温かなそれは、人の体温。
大きくてゴツゴツした手が自分の手に重ね合わされていた。横を向くも、紙都は何も言わず首を縦に振って、京極家の二人を交互に見た。
「南柳市へ封印に来ないのは、鬼神御言が原因なんですか? 封印が解かれた以上、この京にだって怪異は増えているはず。それを防ぐのが、あやかし封じの京極家の仕事なんじゃないですか?」
そうだ。その通り。過去のいざこざなんて関係ない。
まさか反論されると思っていなかったのか、双子の姉妹は互いの顔を見合わせた。その様はまるで鏡写しのようだ。
いつの間にか震えは止まっていた。紙都の手に掴まれたまま掌を強く握ると、沙夜子は大きく息を吸った。
「ここへ来た要件はもう察しがついているんでしょ? 南柳市の封印と紙都の持っていた鬼面仏心の復元の二つよ。できないって言うのなら、理由を聞かせてちょうだい」
楓と柊は沙夜子の言葉を無視したように互いの顔を見つめたまま硬直しているように見えた。数秒、十数秒経っても動かない二人に痺れを切らして沙夜子は声を張り上げた。
「いい加減にして! 答えはどうなのよ!」
「取り込み中、失礼致します!」
襖が音もなく開かれ、弾んだ声が滑り込んできた。振り向けば、声の主の他に数人が部屋の外で待っていた。短く刈り上げた黒髪の男性は、急いできたのか息を切らしている。
「どないしたん!? 何があったんや!!」
「死者が、死者が出てしもうたんです! 件の化物の仕業です!!」
全員が一斉に立ち上がった。危険を察知した小鳥が飛び立つように。




