拾
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くすんだ空の色は、紙都の心をよく反映していた。鬱屈した心は常に世界を灰色に映し出していた。
自身の母――御言をオカルト研究部の面々とともに埋葬したとき、紙都は泣くことができなかった。大泣きしていたのは沙夜子の方で、その泣き顔を見て不思議な感覚に陥ったのを覚えている。妙な浮遊感と言えばいいのだろうか、確かに”そこ”にいるはずなのに、そこにはいない。薄紙一枚ずれた世界に一人だけ迷い込んでしまったような、そんな感覚だった。いっそのこと大粒の雨でも降ってくれれば、紙も溶けたのかもしれないが、あれから今にも振り出しそうな鬱陶しいこの雲が流れていくだけだった。
ポケットに入れたスマホが振動し、画面を開くと蓮からのメッセージが届いていた。
「学校内に川姫が出現した。部室に集合だ!」
「今、外だ。本当にまだ校内にいるのか?」
素早く指を動かし、メッセージを送った。それに加えて、もう一つ抱いていた疑問を紙都は続けて送信した。
「それに、川姫は本当に連続する失踪事件および昨日の殺人事件の犯人なのか?」
紙都は、件の河川敷に佇んでいた。そこにはいつもの平穏な川が流れているだけで、死体が上がったなんて夢か幻だったのかと思ってしまうほど何もなかった。だが、間違いなくそこには死体があがっていた。野次馬に囲まれて確認はできなかったが、聞こえてきた会話によると「顔がぐちゃぐちゃに潰れてる」無残な死体が。
吉良が話していたように「男を誘惑して、精気を吸い取ってしまう」川姫の特徴と、その死体の姿が、紙都にはどうしても一つに結びつかなかったのだ。
手に持ったままのスマホが震える。なぜか妖怪辞典をアイコンにしている沙夜子からのメッセージだ。
「吉良からも鎌倉からも、まだ連絡が来ないわ。校内は私とエロ犬が手分けして探すから、紙都は外を探してちょうだい。川姫が犯人じゃないとしても、これだけの騒ぎを起こしているのは間違いないから、見つけないと!」
そうだな。それが一番いい方法かもしれない。そう思いながらポケットに戻そうとしたスマホがまた震える。
(ん? 個人メッセージ?)
妖怪辞典をタップすると、画面にはどこで拾ったのか不明なスタンプが映し出された。「気をつけて」、という意味の。
何か返信しようかと思ったが、スタンプを選ぶ途中で手が止まる。
(……こんなこと、している場合じゃないだろ)
くしゃくしゃの髪の毛を指の間で鋤くように触って、スマホをポケットにしまいこむ。この事件が解決すれば、高校を辞め、京へ向かうのだ。オカルト研究部、なんて言って馴れ合っているわけにはいかない。それにーー。
(俺はあいつらとは違う。半妖なのだから……)
紙都の視線の先にはさざ波が揺れる川面が、ゆったりと流れていた。永遠に続くように見える平和そのものの川が。
「人間を守るためにあなたがいる」ーーその母の言葉通りに、妖怪と対峙し、人間を守ってきた。だが、妖怪と対峙するせいで父も母も殺され、無関係の人間が死に、オカルト研究部の面々も巻き込んできた。
水面の揺れが静かに少しずつ拡がる。この揺れはどこまで拡散していくのだろうか。
きっと、俺がいなくなればきっと、今の記憶はなくなる。妖怪の記憶は消えてなくなり、もう二度と思い出すことも、思い起こすこともなくなる。それでいいんだ。それが、一番の平穏。
その揺れは急速に激しさを増した。独り佇む紙都を呑み込もうとするかのように。
そのためにはーー。
紙都は強く拳を握った。血が滲む程に、全ての感情を拳の中に押し込める。
突然視界が揺らぐ。いや、揺らいだのは紙都の視界ではない。目の前に広がる川全体が生き物のように大きく揺れた。その大波のフォルムを例えて言うとするならば、それは蛇に酷似していた。
水から何かが飛び出る音とほぼ同時に水しぶきが紙都の身体を襲う。紙都は腰を低く落とし、次の衝撃のために構えた。
そのためにはーー妖怪を殲滅するしかない。
そう決意を固めた次の瞬間、紙都の姿はどこにもなかった。




