弐
**********
授業終了と昼休み開始のチャイムとともに、鞄を手に取り沙夜子は真っ先に騒がしい教室を出てオカルト研究部の部室へと向かった。
オカルト研究部を含む文化系に属する部活は、校舎4階にある部室棟をその活動の場としていることが多い。
普通教室と同様、中庭をぐるっと囲むようにして造られた部室棟のどこからでも中庭が見えるようになっている。そうすることで部内の雰囲気をより和やかなものにし、いじめや喧嘩をなくす効果があるとかないとか。
ただ少なくとも、今の沙夜子の心中は和やかな状態からはほど遠かった。
(なんなの!? あいつ、明らかに何か知ってるくせに、知らないふりして!)
沙夜子は、部活の生徒が賑やかな談笑を広げている廊下のその真ん中を肩を怒らせ早足で抜けていった。
(でも、これでやっとあのメモの謎にたどり着けるわ)
今朝、いつもと同じ時間に携帯のアラームで起こされた沙夜子は、ノートパソコンの上に置いた一片のメモを見つけた。
調査メモにしている簡単な手帳から切り取ったもので、『ヌカヅキ』と殴り書きされていた。
明らかに自分の字だった。しかし、書いた覚えはなかった。
(まさか、私の部屋でミステリーに出会うなんて……。これは絶対にホンモノ。ずっと探していた。やっとスクープに出会える!)
怒りはこれから起こる未知の出来事への期待に変わる。沙夜子は、思わずにやけてしまいそうな気持ちを必死に抑えながら、オカルト研究部のドアを開けた。
部室にはいつも通りオカルト研究部部長の吉良伸也が、部屋の片隅に置かれたパイプイスに座って本を読んでいた。
よほど面白いのか、いつもはすぐ気がつくはずの沙夜子の出現に全く気づかず、熱心に文字を追っている。
沙夜子はわざとらしく咳払いをすると、「ヒッ」と小さな叫び声とともに本が床に落ちる。
吉良は慌てて立ち上がると、会議で使う2つ並べた長机を通り過ぎ、窓際に置いた備品置き場から急須と湯のみを取り出した。
「何慌ててんのよ! 大事な本落としてるじゃない!」
「えっ、ああいや、ありがとうございます……。今、急いでお茶を! ああ、あれ?」
「どうしたのよ!」
「す、すみません、お湯が」
吉良が備品棚の上に置いてあるポットの蓋を開けると、そこには虚しい空洞が広がるばかりだった。
「はあ? もう、なにやってんのよ!! すぐに水入れてきなさい!」
「は、はい…今すぐ!」
「それと三人分よ、三人分」
「えっ、あ」
沙夜子は声を荒げた。
「いいから、早く行け!!」
「は、はい!」
吉良はポットと湯のみとそしてなぜか今読んでいた本まで持って、慌ただしく部室を出ていった。
「はぁ……」
大きなため息が一人しかいない部屋の中にこもっていった。
「なんであんなのが部長なのよ」
ちゃんと鏡見てるのかと疑ってしまうくらいぼさぼさの髪に、しわしわのシャツ。見るからに頼りなさそうで内気そうな外見。そして実際にも頼りなくて内気で陰気くさい、と沙夜子は思っていた。
長机のちょうど真ん中、窓の外の景色と部室の入口が両方とも見える指定席に深く腰掛ける。
(だいたいなんであんなのばっかなのよ)
(校則によると、部として成立するための最低人数は、5人。当然、オカルト研究部も5人以上の部員を揃えていないといけない。
現在、オカルト研究部に所属している生徒はその最低ラインの5人。沙夜子と部長の吉良以外にも3人の部員がいたはずなのだが。
(あいつら全然顔出さないじゃない!)
彼らは沙夜子が4月に入部してから少しして幽霊部員となっていた。
沙夜子は備品棚の横にある乱雑に並べられた本棚を眺めた。
(だいたいやる気がないのよ、この部活。オカ研なんだから胡散臭い本ばっか読んでないで、調査に行かなきゃダメじゃない。誰も立ち入ってはいけない森とか、海とか、廃病院とかこの近辺だけでもいくつも心霊スポットがあるって言うのに!!)
そこまでグチグチと愚痴を心の中で消化した所で、沙夜子は両手で机を叩いて立ち上がった。
「そうだ! こんなこと考えてる場合じゃない! 今のうちにヌカヅキについて調べておかないと」
朝は時間がなかったために聞き込みをするので精一杯だった。その結果、ヌカヅキを知っている人物――実際にはヌカヅキ本人――にたどり着けたわけだが、それ以外の情報はまるでない。
(あいつは素直に教えてくれなそうだし、準備をしておかないと)
沙夜子は備品棚の一番下に置いてある部に一つしかないノートパソコンを机の上に持っていき、電源をつけた。
起動するまでの時間が長い。イライラしながら待っていると、部室のドアが開いた。
「すいません、おそくな――」
「遅いわよ! 早くお茶入れなさい! あと、あんたのスマホでヌカヅキって検索して!」
「えっ、あ? ぬか?」
「ヌ・カ・ズ・キ、早く!」
もたもたとポットを置き、お茶の準備をする部長を横目に、沙夜子は起動したパソコンでヌカヅキを検索する。画面が移り変わると、ヌカヅキに関連するページが表示された。
「結構ヒットするんじゃない」
一番上に表示されたページに飛ぶ。現れたのは、シンプルなページ構成の総合辞書的サイトである。
「ヌカヅキ……鬼灯の別名……鬼灯って木かなんかよね?」
沙夜子の右側に入れたばかりのお茶が置かれた。いつも少し時間をおいてから入れろと言っているのだが、今はそんな注意も浮かばない。
「鬼灯って……どっちかっていうと花ですよね」
「うるさい! そんなのわかってるわ!」
「す、すみませ――」
「どういうやつよ」
「えっ」
「だからどんなやつよ!」
「あっ、はい……ええっと」
吉良はおどおどしながら顔を上げた。
「実が有名ですよね。あの暗いオレンジ色の……あとは、ええっと、お盆とかに使われる」
「お盆?」
「はい、あの……あの世とか霊的なものとかに関係する儀式みたいな」
「それを早く言いなさい!」
吉良はびくりと体を震わせて、頭を下げた。
「す、すみません……」
消え入りそうなその声を無視して沙夜子はキーボードを叩く。
(お盆と関係があるなら、お寺関係? 近辺のお寺のどこかに)
南柳市内にあるお寺をピックアップする。そこから、より鬼灯と関係しそうなお寺を調べる。
(龍谷寺……天庵寺……)
「あ、あの?」
吉良の申し訳なさそうな声が沙夜子の思考を中断させた。
「なに?」
「あ、僕は何をしたら……」
「私の邪魔をしないで」
そう言うと、沙夜子は顔をひきつらせた部長を睨みつけた。
「す、すみません……」
(……でも、お寺を探しても関係ないかも。ヌカヅキが鬼灯とわかっただけで、そっから先の手がかりがない。そもそも何を調べていいのかわからないんだから……ん?)
沙夜子の手が止まった。吉良が不思議そうな顔をして沙夜子の後ろに回り込む。
デジタルの画面上にお寺の写真が載っていた。遠目で撮った写真からもわかる古びた外観。その横にひっそりと生えているのは独特な形状と色を持つ鬼灯の実。
「これだ……」
直感的にそう思っていた。いや、確信していた。
「鬼救寺」
同時になぜかマウスをつかんでいる右手が震えている。
これは何? 怖いの? いえ、違うきっと。
「嬉しいのよ!」
沙夜子がそう叫んだ瞬間、タイミングよく部室のドアがノックされた。
「だ、誰ですか?」
吉良が怯えた声を出した。
沙夜子はゆっくりと立ち上がると、髪を軽く直し、そこは女の子らしい華奢な腕を組んだ。
「どうぞ」
威厳に満ちた声で静かに言うと、ガラガラガラとドアが開かれる。
そこにいたのは、先ほどここに呼びつけたヌカヅキを知っている男子生徒――とテンションが無駄に高くとにかくうるさい男子生徒の2人だった。
犬山は沙夜子の顔を見た途端に爽やかな笑顔を被り、何も知らない女子生徒ならばうっとりしてしまうような甘い声で話しかけようとした。……が。
「あんたは邪魔。帰りなさい」
逆に沙夜子から先制攻撃を受けてしまった。
それでもひるむことなく犬山は大きな身振り手振りで自分をアピールする。
「なかなか個性的な歓迎だね。でも、用があって呼んだんじゃないか」
「そうね。確かに呼び出したわ。でも、何度も言うけど、用があるのはあんたじゃなくて」
沙夜子は腕組みを解くと、真っ直ぐに紙都を指差した。
「あんたよ!」
紙都は顔をこわばらせた。その横で犬山が恨めしそうに呪詛をつぶやく。
沙夜子はパソコンを閉じ、イスに座った。
「こっちへ来なさい。吉良、お茶を出して」
「えっ……は、はい」
今まで突っ立っていただけの吉良は、命令を受けたロボットのようにぎこちなく動き出す。
「待って。オレはお茶なんていらない。さっき、ヌカヅキがどうとか言ってたけど、オレは何も知らない」
「じゃあ、なんでここに来たのよ」
所詮、言い訳よ。沙夜子は不敵な笑みを浮かべた。
「なんでって……」
「なんで?」
「もう関わってほしくないから。きちんと言わないとまた探しに来るだろ?」
朝のホームルーム前の教室のときのように、二人の視線がぶつかる。確固たる意志を持った強い視線。
こうして他人と目を合わせるのは久しぶりだと沙夜子は感じていた。入学して初めてかもしれない。
その空気を壊すように、犬山が変な声を出す。
「あう。……えっと、鬼神紙都くん?」
「なんだよ」
「お前何言ってんだ!」
重いチョップが紙都の頭上に炸裂し、頭を抱えてうずくまる。
「いっつ……! いきなりなにするんだ!」
「お前が悪い! せっかくこんな美少女とお近づきになれそうなのに、『もう関わるな』だとふざけんな!」
「ふざけてんのはお前だろ!」
「何言ってる。オレは真面目だ。帰るなんてやめてお茶いただくぞ」
全く論点のかみ合わない口喧嘩が始まった。男同士の喧嘩ほどバカバカしいものはない。沙夜子の内にイライラが溜まっていく。
「だいたいお前には関係ないだろ!」
「何言ってる。一人で行くのが心細いからついてきてほしかったくせに」
「そんなわけないだろ!」
「そんなわけあるだろ」
「うるっっさーーーーーーい!!!!」
沙夜子は、溜め込んだイライラを全て吐き出すような大声で叫んだ。机に置いたお茶が微かに波立つ。
静寂が少しの時間、室内に訪れた。
「あんた、鬼救寺って知ってる?」
紙都の肩がピクッとわずかに震えた。その変化はなめるようにじっくりと相手を観察してもわかるかわからないかくらいの微々たるものだったが、沙夜子は見逃さなかった。
「ヌカヅキってね。調べてみたら鬼灯のことだったのよ。知ってた?」
試すように、挑発するように、わざとらしく首を傾けて質問をたたみかける。
吉良が自分と相手の顔を交互に見る。こんなときに話しかけないでね。
2、3秒待ってみても、案の定、答えは返ってこなかった。全く関係がないならば、素直にわからないと言葉が返ってくるはず。言葉が浮かばなくても、何か態度で示すはず。
だけど、それが全くない。ただ身体が固まったみたいに立ち尽くしている。ーーこれは、脈ありだ。
沙夜子は視線を落とすと、グレーのノートパソコンを開けた。
「それで調べたのよ。鬼灯と関係ありそうな場所がこの近辺にないかって。そしたら――」
「か、関係ないかもしれないだろ」
今さっきよりも勢いのなくなった声に、顔を上げる。うつむく姿が言葉と裏腹に不安な気持ちを現していた。
「なんか言った?」
「だから、関係ないだろ。鬼灯なんてそんなに珍しいものじゃないし」
「いいえ。関係あるわ。あんたの態度がその証拠よ」
沙夜子は空気を心持ち多く吸った。
「鬼救寺って言ったら、急に不安そうになったじゃない。あんたはヌカヅキと関係がある。そうよね?」
「ヌカヅキは知らないけど、こいつは鬼救寺に住んでます」
「お前っ! 何言って!!」
紙都が慌てて止めようとしたが、一足遅かった。
「住んでる?」
「こいつのお母さんがその寺の住職やってて、まあ家みたいなもんですよね」
沙夜子はもう一度パソコンの画面に目を向けた。寺を紹介する文章の中に『鬼神御言』という名前が載っている。
「あんたさっき名前何って言ってたっけ?」
「犬山れ――」
「あんたの名前なんてどうでもいい」
「……紙都。鬼神紙都だ」
紙都は観念したように長い息を吐いて、自分の名前を呟いた。
沙夜子は机に両手をついて勢いよく立ち上がった。
「これでもう言い逃れはできないわね。さっさと白状しなさい!」
紙都は再び息を吐いて、眼を閉じた。
(他の言い訳はないか。なんとかごまかせないか)
必死に頭を巡らす。理由は何だってよかった。ヌカヅキとの関係があるとしても、自分がヌカヅキ本人だと気づかれない理由。それが見つからなければ――。
(俺はもうここにはいられない)
目の前で甲高い音がした。思考が停止し、反射的に目を見開く。
ひょろ長い冴えない感じの男が慌てて窓に駆け寄る。沙夜子と言う女は床を見つめながら何事か怒っているようだ。
床にはまだ茶色のお茶が入ったままの湯のみが割れていた。破片があちこちに飛び散っている。そうかあの男が割ったのか。
「吉良!」
沙夜子はつかみかかる勢いで吉良に走り寄った。
「あんた、何してんの!?」
手を伸ばして、吉良の肩を揺らす。
「ねえちょっと聞いてんの!? ねえ!」
反応がなかった。いつもなら平謝りする失敗を犯したのだ。反応がないわけがない。
「ねえ、ちょっとどうしたの? 大丈夫? ね、ねえ?」
吉良の肩が震えている。それを感知したときにはすでに震えは大きくなっていた。
「う、うわあああああ!!!!!!!!」
急に叫び声を上げると、吉良は後ろに仰け反り返った。びっくりしてその顔を見ると、窓の外へ視線が注がれている。
沙夜子は窓を開けて、下を見た。桜の花の香りがふわりと鼻孔を刺激する。
満開の桜の木に人が一人吊られて揺れていた。ゆっくりゆっくりと。そよ風に舞う花びらのように。