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あやかし鬼譚~現代百鬼夜行絵巻  作者: フクロウ
外伝~雨、落ちる夜に~
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**********


 たぶん、この戦いに勝ち目はない。それが御言が一番最初に思いついたことだった。ならば、そんな負け戦に京極家とは何の関係もない怜強を巻き込むわけにはいかなかった。次に思ったのは、ぬらりひょんと羅城門の鬼が手を組んでいただろうということ。一度は潜入に失敗したぬらりひょんは、羅城門の鬼を派手に暴れ回らせることで我々全員の注意を逸らした。食べられる寸前までいった者を、地面へ投げ出され気絶された者を敵だと、誰が疑うだろう。


 京極家の技は守りの技。だが、その守りの中に入ってしまえば、崩壊させることは容易い。


「梓!」


 和風門の前にソワソワしながら立っていた梓に駆け寄ると、御言は右手を突き出した。


「私の好きな花の名前を言って」


 梓は頬を緩ませた。


「鬼灯です」


「本物の梓ね。ぬらりひょんはどこにいるの?」


「今、離れへ向かっています。今、楓と柊の二人が対峙していますが……。他の上段の者は不意討ちにより……」


「わかった、梓はここに!」


 早口で捲し立てると、御言は一振のいる離れへ全速力で走った。ぬらりひょんは妖怪の解放を口にした。結界陣を扱う京極家を皆殺しにすれば、妖怪を縛る一族は双璧をなす犬山家だけになる。ーー犬山家は、危険すぎる。


 離れが視界に入った。楓と柊が双子の妙を活かし畳み掛けるように陣に掛けようとするものの、ぬらりひょんの方がはるかに速く、その足で二人を凌駕していた。


「待て!」


 玉砂利を踏み鳴らしながら御言は腹の底から大声を上げた。振り向くぬらりひょんの顔に向けてその腕を突き出しながら。


「来たか、御言」


 怪しく嗤うと、ぬらりひょんはその場で回転した。その手に小刀を握りながら。


 御言の目の前で再び血が吹き出した。ただし、今度は人形のそれのように美しい姉妹の体から。


「!!」


 ぬらりひょんは刀についた血を振るうと当たり前のように一振のいる部屋の戸を斜めに切り裂いた。その後を追う御言の腕が何かに掴まれた。


 そこには顔面蒼白の柊の顔があった。


「御言……はん。当主を……お父さんを……助け」


 言葉はそこで途切れた。代わりに口から出た大量の血が御言の黒髪を汚す。御言がその手に自身の手を重ね握ると、柊は子どもらしい笑顔を浮かべてその場に倒れ込んだ。


「……許さない」


 そう一人ごちると御言は殺気に満ちた視線をぬらりひょんの背にぶつけた。


「それ以上踏み込めば、あなたを消滅させる」


「ほう、羅城門の鬼を退治しそこなったお前にそんなことが可能とは思えんが」


 ぬらりひょんは右足で崩れ落ちた戸を蹴ると、跳躍した。御言は指先に力を込めて結界陣を発動させる。


「遅いわ!」


 しかし、蹴り上げた戸を利用してさらに跳んだぬらりひょんは、陣の中から抜け出していった。


 戸が御言の顔面横を飛んでいく。その先、ぬらりひょんが畳の上に着地したその先には、じっと目を閉じ、腕を組み、正座で座る白装束姿の一振の姿があった。


「来たか」


 一振は静かに呟くと、目を開いた。鋭い眼光がぬらりひょんに注がれる。


「待て! ぬらりひょん!!」


「どんなときでも心を落ち着けよ。御言、そう教えたはずだが。陣は緻密な計算の上で成り立つ術。人間の理性に基づいたその術を扱うには、邪念や感情はコントロールできなければならない」


 言いながら、一振は立ち上がった。目線は目の前のぬらりひょんではなく、あくまでもその後ろで構える御言に注がれていた。


 ぬらりひょんが口角だけを横に引いた。


「ほう、どんな人物が屋敷の奥で待ち構えていると思ったら、こんな臆病者だったとは。身内を助けることもなく、ここで座して待つとは、結界陣とは大層な術だな」


 一振の真黒の瞳が動いた。


「ぬらりひょん。言い伝えと随分と違うな。お前は妖怪のことに詳しくても、人間のことは何もわかっていないようだ」


「……なに?」


「古来より、お前ら妖怪に対抗するため、我々人間は種を増やし、知恵を絞り、力を重ねてきた。時には残酷な手立ても打ったようだ。それらを今に至るまで引き継いできたのが我々京極家。京極家のものは、妖怪との戦いの中で生まれ、育ち、そして死んでいく。それらすべて、人と呼ばれるこのか弱き種を守るため。そのためになら我らは、死をも選ぶことができる!」


 一振は腕組を解くと、すかさずぬらりひょんへ陣を張った。予想していたその攻撃を宙へ逃げることで容易く避けるぬらりひょん。このままこの刀で首を掻っ切って――しかし、次の瞬間、その張り付いた笑顔が崩れる。


「馬鹿な」


 御言が手を翳していた。つい今しがたまで発していた禍々しいまでの殺気はもう鳴りを潜めている。


「白装束は京極家の戦闘服。それを身に着けていた時点で、当主が陣を展開することはわかっていた」


 ぬらりひょんは、成す術なく地へ向かって落下した。


 すぐさま、一振が陣を張り、ぬらりひょんを二重に縛る。


「現当主と次期当主の二蘊結界だ。これで流石にお前も動けまい」


 ぬらりひょんは、畳に擦り付けるように突っ伏した顔を少しずつ動かし、ようやく片目だけで一振を睨み付けた。その目はいまだ嗤ったまま。


「どうやら、芝居も向いているらしい。いっそのこと妖怪退治の京極家はやめて、劇団京極家でも開いたらどうだ」


「ふん。お前ら妖怪が全て滅び去った後になら、立ち上げてもよかろう。題目はぬらりひょん捕物帖とでもしておくか」


 御言は、ぬらりひょんの体が小刻みに震えているのを見た。よもや結界が外れかかっているのか。一振がさらに力を込めると、震えは止まった。


「ぬらりひょんよ、何がおかしい。お前はもう終わりだ。京極家が誕生してから今まで幾多もの妖怪が襲ってきたが、我々はそれらを全てはね除けてここにいる。お前ごとき妖怪に崩せるわけがないのだ」


「可笑しいとも、こんなに愉快なことはない。私が何の策もなしにここへ来るわけがなかろう。老いぼれにはもう記憶がないのかもしれないが、忘れたのか? 羅城門の鬼のことを」


 ぬらりひょんは仰け反るようにして顔を上げて一振を睨み付けた。


「ば、馬鹿な、私の結界陣が効かないだと!?」


 あの目ーーダメだ!


「当主!!」


 御言の判断は一足遅かった。当主の瞳はぬらりひょんの瞳に吸い込まれるように離れようとしない。


「恐怖を感じたな? これでお前は私を殺すことができない」


 結界陣が破られた。ぬらりひょんは畳を蹴ると、即座に間合いを詰め、一振の首元を怪しく光るその得物で切り捌いた。鮮血が勢いよく噴き出す。


「当主!」


 その後ろを御言は跳んだ。一瞬でいい、もう一度結界に捕らえることができれば、どんな手を使ってでもぬらりひょんを殺す。


 その漆黒の瞳に鈍い光が見えた。次いで肩口に鈍い痛みが走り、体が前のめりに倒れていく。 ぬらりひょんが、返す刀で御言を刺していた。


「終わりだ御言。そして京極家よ」


 肩を手で強く押さえながら前を見据えると、邪魔な黒髪の隙間から屋根ごと離れが壊されるのを見た。ーー大仰な足音ともに羅城門の鬼が、その姿を現した。


 握り締めた両手を高く掲げると、鬼は勢いに任せてその拳を御言に振り下ろす。衝撃音とともに風圧が御言を吹き飛ばした。急いでそこを見ると、鬼神怜強の大きな背中があった。


「うぐぅ……おわぁぁぁぁ!!」


 喚きながら全身の力を込めて、自身の顔ほどはある拳を押し返すと、怜強は後ろへと、御言の横へと弧を描くように跳んだ。


 御言は、戦闘中にも関わらず、その横顔を眺めてしまっていた。


「なんだ? 何かついてるのか?」


 変わらぬ言動に眉をひそめる。


「なぜ来た? これは京極家の問題だ」


「そんなことは言われてないけどね」


「ふざけるな! わざと陣で縛ったんだ。その意味はわかっているだろう!」


 怜強は短い黒髪を掻いた。そして、真っ直ぐに御言の顔を見つめると、太陽のような満面の笑みを浮かべた。


「だって放っておけないだろ」


「なっ……!」


「それにーー俺はもう十分関わっているよ」


 そう言うと怜強は笑顔を潜めて、体格の上でも実力の上でも自身より遥かに強大な鬼を見据えた。遊びがいのある玩具を見つけたみたいに残酷な微笑を見せる鬼に。


「話はついたか? なるほど、そこの鬼、お前の鬼だったか。いつから京極家は鬼を従えることになったんだ?」


『従えているわけではない』


 同時に声が発せられた。そのことに胸が熱くなったことを御言は感じた。


「怜強は、私のーー相棒だ」


 自然と出たその言葉に一番驚いたのは御言自身だった。出会ってまだ数日も経っていない、それも人間と妖怪という互いに憎み合うべきはずだった相手が、今は誰よりも近くに感じる。同時に死を覚悟したはずの心に生への欲動が顔をもたげる。怜強をここで死なせるわけにはいかない。


「御言様!」


 自分を呼ぶ声に焦点を合わせると、息を切らした梓が二体の妖怪の間を縫って走り寄る。恐らく、当主を助けに来たのだろうがーー。


「まだ動ける者がいたか」


 ぬらりひょんが刀を構え、羅城門の鬼が拳を握った。次の瞬間には土埃が舞うが、その中から梓は一つも傷を負うことなく現れ、一振の元へ急いだ。ぬらりひょんを御言が、羅城門の鬼を怜強が、ちょうど背中合わせになる形でそれぞれ押さえ付けていた。


「御言、肩から血が出てるが大丈夫か?」


「ええ、大丈夫。まだ戦える……怜強、巻き込んでしまってごめん。だけど、ありがとう」


 それを合図に二人は跳躍した。刀が空を切り、拳が地を揺らす。

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