肆
「あいつの意図だって?」
思いつきで動くことの多い蓮に意図も何もないと思うんだが、といぶかしむ紙都。
「あいつは囮になって俺らに牛鬼を攻撃させるつもりだ」
「……囮だって?」
「ああ。あの沙夜子とかいう女が啖呵を切ったときに牛鬼はそっちを襲った。今の犬のやつもそうだ。あれは恐らく声に反応する。より大きな声がする方に突撃する性質がある。だから、あいつを囮にしてーー」
紙都は肩に触れた颯太の手を振りほどくと、蓮の元へ駆けた。
「おい、なんの真似だ!」
「あいつを囮になんて使ってたまるか! もし攻撃を受けたら、即死なんだぞ!」
刀を上段に構えて飛び掛かろうとする紙都の身体は、突風によってあらぬ場所へ飛ばされた。
「お前、なにすーー」
起き上がりざまに、その頬に強烈な拳が叩き込まれた。
「俺にはまだ人間のことも妖怪のこともわからないが、犬野郎が命を投げ出してでも勝機を見出だそうとしているのはわかる。鬼神御言と同じように。ならば、それに応えるのが必要なんじゃないのか?」
ぬっと黒い影に覆われた。反射的に体を後ろへ跳ねると、目の前に鋭い槍が突き刺さる。続けて化物はぐるりとその巨体を回転させると、後ろ脚で紙都の身体を串刺しにせんと空を疾はしらせた。
それを刀で防ぐが、弾き返せず、そのまま背中を壁に打ち付けた。口から血が吐き出される。
「紙都ーー!!!!!」
霞んだ視界が捉えたのは、声を荒げる蓮の姿。その直後、嫌な予想が当たり牛鬼は身を翻し蓮の元へ飛躍した。
(……させるか)
紙都は頭を振って壁を蹴ると、その後を追った。先に蓮の方へ走る颯太と目が合う。そうだ。蓮だって、俺の横に立ってくれた仲間なんだ。ーーそこから先の動きは、事前に打ち合わせたかのように的確で滑らかだった。
颯太が鎌を振るい風を起こすと、その風を背に受け紙都が一気に加速する。蓮の左手へ紙都が、右手に颯太が到達すると同時に跳躍し、勢いよく降ってくる牛鬼の腹部にそれぞれの得物を突き出し、その鬼の頭部ごと切り裂いた。
(まだだ、このまま)
血塗れの体のまま二人は驚愕の顔を浮かべるぬらりひょんに向けて突進していった。
が、にやっと醜悪な笑顔に変わると、ぬらりひょんは軽々と二人の攻撃をかわす。同時に顔面に蹴りを食らわせ、地に突き落とした。
「だから無駄だって言っただろう?」
「くっ……なぜ、完全に不意討ちだったはずなのに」
「ちょっと大丈夫!?」
紙都と颯太の元へ沙夜子と蓮が駆け寄る。
「なぜだ」
頭上に降るぬらりひょんの低い声に全員が顔を上げた。だが、ぬらりひょんの視線は紙都らの後ろに向けられている。
「なぜ、回復しない。それに他の妖怪の気配もない」
視線の先には渾身の一撃を受けて真っ二つに分かれ倒れた牛鬼の姿があった。体から赤い血が溢れ出て血の海を形作っている。
「……まさか、まだ結界が残っているのか? だが、鬼救寺の本尊は破壊したはず……」
ぬらりひょんの視線が移り、紙都の持つ刀に止まる。
「鬼面仏心……。そうか、そういうことか」
その不気味な笑みに悪寒が背中を走った。それに気づいたときには、真後ろから恐ろしく感じるほどの殺気が襲う。
しかし、この間の戦いの経験がそうさせたのか、恐怖を意識するよりも先に体が動く。振り向き様に放った一閃は、ぬらりひょんの腕に食い込んだ。
「ふむ。やはり、そう簡単にはいかないか」
平静な顔で一人ごちながら刀を自身の腕から抜きとると、後ろからの攻撃を小刀で捌く。そして、そのまま身体を捻ると裏拳を鳩尾に正確に当てた。颯太の体が宙を舞い、畳の上へと落とされる。
「だから無駄だと言っている。君もだ、紙都」
下段からの攻撃を足のステップだけで器用に避けると、紙都の顔を掴み颯太と同じようにそのまま畳の上に叩きつけた。
「こうなったら癪に触るが、鬼神御言の身体を借りるとしよう」
そう言うと、ぬらりひょんは一足飛びで壊れかけた本堂から外へ出ていく。
「待ちなさい!!」
沙夜子がそのあとを急いで追いかけた。身体を借りるとはどういうことか、沙夜子はまだ知らなかった。
本堂を出て廊下に出たところで突き当たりから妙な気配を感じて、沙夜子は足を止めた。ひっそりとした空気感の中、そこから出てきたのは蒼白な顔をした御言の姿。
「うそ……でしょ?」
少し口角を上げた御言は、一歩一歩頼りない足つきで歩み寄ってきた。体を動かす度にポタポタと赤塗れのお腹から血が垂れる。
「沙夜子、さん」
声まで御言そっくりだった。血を吹き出した口周りは紅を失敗したかのように異様に赤くなっている。
沙夜子は動けないでいた。それが御言でないことを頭ではわかっていても、釘付けになる。
御言は、目の前でぐるりと梟のように首を回転させた。
「死んで」
にたりと意地の悪い顔に変わった。
「沙夜子!」
後ろから飛び出した紙都が、沙夜子の身体を抱きしめ木板へと伏せた。
紙都は沙夜子を抱いたまま後ろへ跳んで、御言の身体を操るぬらりひょんと距離を取った。
「……ちょっと、いつまで抱き締めてるつもり?」
「あ、ああ、ごめん」
沙夜子をそっと床に降ろすと、紙都は鬼面仏心を構える。御言の顔が歪んだ。
「実の母に刃を向けるか」
「母さんはそんな風に笑わない。そもそも笑顔すら滅多に見せないような人だった」
「なら、この身体を貫けるか? 君を宿し、君を育て、そして産み落としたこの身体を。ほら、ここを貫いてみるがいい」
ぬらりひょんは御言の胸に手を置いた。
「やってやる!」
紙都は刀を水平に構えるとぬらりひょんに向かって突き進んだ。刃先が震えていたのに気づかない振りをして。
目の前に御言の顔が迫る。血の匂いに混じって微かに母の香のかおりが鼻孔を刺激した。その刹那、ぶわっと溢れる思い出の渦に紙都の刃はぬらりひょんの身体に届かず止まってしまった。
「これで終わりだ」
御言の細い腕が高く上がり、手刀が振り下ろされる。それは鬼面仏心を直撃し、真っ二つに破壊した。
折れた刃がぬらりひょんの後ろへ飛ばされ、木板の上に突き刺さる。直後、地鳴りが辺り一体に響き渡った。
今度こそ勝ち誇ったように御言の顔をしたぬらりひょんは高らかに笑い声を上げた。
「やはりその刀こそが、最後の封印! これで人の世は終わりだ! これからは我ら妖怪がーー」
紙都は何が起こったのか瞬時に理解することができなかった。
ぬらりひょんの動きが止まった途端に御言の胸から真新しい鮮血が吹き出した。




