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**********


 その日、朝から異変は起こっていた。犬山蓮が珍しく学校を休んだのだ。理由は不明だった。


 まあ、急な気候の変化と続く長雨で風邪でも引いたのだろうと紙都は思っていた。メッセージを送るが、返信も既読もつかなかったから寝ているのかもしれない。


 もう1つの異変は、昼休みにオカルト研究部の部室に向かったが、鍵がかかっていたこと。いつもなら吉良や沙夜子がいるはずなのだが、今日に限って誰もおらず、少し待っても現れることはなかった。


 そして、放課後、紙都が再び部室を訪れるとちょうど入れ違いに沙夜子が部室から出てくるところだった。


 一瞬目が合ったがなぜかすぐに視線を逸らされ、部室の鍵をかけられる。


「沙夜子、おつかーー」


「今日の部活動は中止です」


 紙都の挨拶が遮られる。早口で機械的な冷たい声だった。


「吉良と犬山から休むと連絡がありました」


「え、蓮から連絡があったのか?」


「ありました」


 そっぽを向いたまま話し続ける沙夜子の態度に焦燥感を感じていた。蓮が自分には連絡がないのに沙夜子に連絡が行ったことも疑問を覚える。


(まさか……)


 最悪のケースが紙都の頭をよぎり、思わずつばを飲み込んだ。


(俺の正体がバレた?)


 汗ばんだ手を握る。確かめてみるんだ。もし、正体がバレたとしても沙夜子なら気にしないはず。


「あ、あのさ」


「すみません、失礼します」


 紙都の問いかけは冷たくあしらわされてしまった。沙夜子のローファーの足音がどんどん離れていく。


「い、いや待てよ!」


 足音が止まった。


「あ、そうそう。しばらく部活動は休止することにしました。もう、来なくていいです」


 振り向いた沙夜子の瞳は何の感情も映してくれず、それ以上追及することはもはやできなかった。


 しばらくして外の雨音が戻ってくると、紙都はようやく握り締めていた手を離した。


 その夜。紙都はパソコンを立ち上げると、「妖怪事件簿」にアクセスをした。


 書き込みはやはり盛んで、禁忌の森、高校、そして廃病院で立て続けに起きた怪事件が話題の中心になっていた。


「最近、変な事件多くない? ニュース見ててもなんか釈然としないんだよね」


「わかる。行方不明の事件多いし、山んとこの廃病院にしたってあんなところでホントに火事なんて起こるもんかね」


「警察の人やたら見かける。この前なんか職質されてる人いたしさ、なんかヤバい感じ?」


 3つの封印が解かれ、結界が薄くなっているなかで異変が隠しきれなくなっていることが、掲示板の書き込みからも伝わってきた。同時に人々の不安な様子も。


 そのリアルタイムな様子を感じながら、紙都は焦る気持ちを抑えて画面をスクロールさせていく。


 鎌倉颯太と名乗った男は、次の封印場所が海であることを紙都に伝えてきた。それが真実である確証はどこにもなかったが、海は南柳市の西側に大きく広がっており、封印の場所としてはおかしくはなかった。


 今までの特徴として封印が解かれた場所には必ず妖怪が出現した。ならば、新たな妖怪が出現しているもしくは海に関する何らかの噂が話されていれば、ぬらりひょんがそこに現れる可能性が高いーーと紙都は踏んで、その情報を探していた。


 オカルト研究部に行こうとしたのもそのためだった。海に関する妖怪の情報を調べようと思ったのだ。


 紙都の手が急に止まる。あのときの沙夜子の態度が再び頭をもたげた。電子機械のような無機質な声、そして何か異質なものを見るような冷たい瞳。あれは一体ーー。


(いや、それよりも今はぬらりひょんのことだ)


 頭を振って無理矢理沙夜子のことを引き離すと、紙都はディスプレイに表示された文字の羅列に意識を集中した。


「怪事件と言えば雨の日に窓に張りつく鬼女の話って知ってる?」


 その書き込みに目が引き付けられる。何人かがそれぞれ肯定、否定のコメントを残している。 


「話を続ける。大雨の日に一人で部屋にいると、雨音に混じって窓を叩く音がするらしいんだけど、そこで窓の外を見ると血だらけの鬼女がいるらしい」


「なにそれ、怖い。雨の日ってここ数日ずっと降ってるじゃん」


「カーテン閉めればいいんじゃね?」


「雨の日と言えば、もう一つ。傘を差した長身の女がいるらしい。微動だにしないでじっと何か一点傘の隙間から見ているんだが、その女に気がついたら今度は自分自身が見られる対象になるんだって。よくよく見ると女はすごい美女でどんな顔か見たくなるんだけど、もし顔を見てしまえば殺されるらしいよ」


「雨ってさ。水じゃん。人間の体も水分多いじゃん。なんか水を伝って体に入り込む話とかありそうだよね」


 紙都はマウスを動かして、ページを閉じると、体を畳の上に投げ出した。


 情報が多過ぎる。断片的な情報だけで、どれも正しく思え、どれも間違っているように見える。これも封印が解かれたせいなのか。怪異の目撃情報が噂がこのまま加速度的に広がっていけば、南柳市全域に、いや、さらに広範囲に混乱が生じかねない。


 頭を悩ませる紙都の耳へスマホのバイブ音が入ってきた。起き上がってそれを手に取り、画面を見る。紙都の目が大きく見開かれた。スマホが落ちたのにも気にせず紙都は慌ただしく部屋を出ていった。


 残されたスマホの画面には「たすけて」と一言。沙夜子からだった。


 紙都は土砂降りの雨の中、傘も持たず海へ向かって駆け出した。数分も経たないうちに冷たい雨でぐっしょりと濡れたTシャツが体に引っつき不快な気持ちになる。


 まだ夕暮れ時だというのに辺りはもうすっかり暗闇に包まれていた。人通りがまるでなく、走っていくうちに誰も存在しない世界に迷い込んだような奇妙な感覚に紙都は襲われた。


 沙夜子が誰か妖怪に襲われたことは間違いない、と紙都は駆けながら思考を巡らせる。なぜ「助けて」という連絡が来たのか、その理由は明白だった。問題はどんな妖怪に襲われたのか、だ。


 雨に関する妖怪の噂は、3つあった。窓に張りつく鬼女、傘を持つ女、雨を通して憑依する妖怪。そのうち前者の2つは攻撃するイメージが湧くが、後者の妖怪はどうやって対峙したらいいのかわからなかった。斬撃や打撃が効くのか。むしろ、鎌倉や御言のような術系の攻撃の方が上手く対処できるのかもしれない。


(その場合、鬼救寺に連れ帰ってーー)


 前方に人影を見つけて紙都は思考を中断させて刀をその手に召喚した。ゆらゆらと頼りなく歩く人影の姿が大きくなっていく。


 住宅街を通り抜けて海へと続く舗装されていない一本道の砂利道には、見慣れた茶髪のボブヘアがあった。


「沙夜子!」


 その異常な姿に思わず声が出る。沙夜子の身体は流れ落ちる雨でも全く落ちないドス黒い血がこびり付いていた。


 紙都は全速力で沙夜子の元へ走り寄る。倒れ掛かった沙夜子は力強い両腕に支えられた。沙夜子の顔が上がると、紙都の顔をぼんやりと虚ろな目で見つめた。


 ヒューヒューと苦しそうに息をしながら、沙夜子の口が微かに動いた。雨音に紛れ込み聞き取れないその言葉を聞き取ろうと紙都は耳を傾けた。


「お前のせいだ。お前が……私と関わるから……私を助け……る……つもりなら……それは……お前のせいだ」


 頭を振り、苦悶の顔を浮かべながら沙夜子はそう呟く。身体が痙攣を起こしたように、紙都の腕の中で動く度に、べっとりとした血が紙都の体に付着していく。


「ごめん」


 紙都はその言葉を発することがやっとだった。それだけ言うと、沙夜子を抱えて立ち上がった。鬼救寺まで行けば、母さんのところまで行けば、まだ助かる。


「やめ……て。さわら……ないで……」


 ところが沙夜子は紙都の腕から逃れようと身体をバタつかせて抵抗する。


「沙夜子待て。鬼救寺に行って傷を治すんだ」


 優しく諭すように言うが、なおもわめき声を上げながら抵抗は続く。もう息も絶え絶えのはずなのに、その力は強く、無理矢理抱きかかえて連れていくのは難しかった。


「沙夜子! 何にもないから! もう何もしないし近づかないから! 鬼救寺に行くだけ、それだけ。それだけだから!!」


 それはもう懇願に近かった。雨とそして沙夜子のわめき声を断ち切るように紙都は声を張り上げる。


「いや……いやーーーーー!!!!!!」


 沙夜子は両腕から逃れようと体をくねらせた。その拍子に紙との手から滑り落ちて、地面へと落下する。


「沙夜子!」


 そして、そこで見たのだ光る物を。自身の血を浴びて妖しく光る凶器を。


 紙都の目の前でそれは起こった。瞬きをする間もないまさに一瞬の出来事だった。


 沙夜子は、地面に投げ捨てられていた刀を拾うと、躊躇ためらうことなくその切っ先を自分の喉元に突き差した。


 血が噴き出す。死の喜びを、解放の喜びを謳歌するように高く鮮やかに。それら一粒一粒がまるで呪いのように何が起こったかまだ思考の追いついていない紙都の顔目掛けて飛んでくる。


 沙夜子の顔に笑顔が咲いた。


「コレデ……」


 喉奥からそれだけ絞り出すと、沙夜子は目を瞑りゆっくりと仰向けに倒れていった。その安らかな顔に雨が降り注ぐ。


 声が出なかった。頭の中には何も浮かばなかった。体だけが動いて沙夜子の首筋に指を這わせ脈がないのを確認していた。虚ろに開かれた瞳にはもう何の色も見当たらない。


 沙夜子の体にポタポタと水滴が落ちた。雨にしては温かく、雨にしては柔らかいそれは絶え間なく零れ続けた。雨は雷雨を伴いその激しさを増していく。紙都の気持ちに寄り添い応えるように、紙都の声を代弁するように。


 紙都は地面に落ちた刀を乱暴に拾い上げると、ゆらりと立ち上がった。血が流れ落ちて綺麗な白い顔に注がれる両目は赤く紅く光る。


 守れない力なんていらない。情けない心なんてイラナイ。いっそのことヒトノココロナンテ。


「ナクナッテシマエバイイ」


 ーーそして、空気が振動した。

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