参
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吉良は、雨の降り続くどんよりとした空をぼんやりと眺めていた。学校の中庭にあった大木がどういうわけか姿を消してから、ここの眺めはすごくよくなったと感じていた。
部室は、休日で雨降りのせいもあっていつもより一段と静かだった。
机に戻ると、温かい緑茶を味わうように飲む。思わず息が零れた。こういう静かな日に一人でいることが吉良には至福の時間だった。
思えば、柳田沙夜子が入部してから禄な目に会っていないなと振り返る。それまでは同じ趣味を持つ仲間だけが集まり、オカルト談議や雑談に話を咲かせてマイペースにやっていたのに、好奇心旺盛で行動派で我の強い沙夜子が来てから、何人もの部員が退部したり、幽霊部員になったりと結局自分しか残らなかった。
沙夜子が入部した当初は女の子で、それもパッと目を引く学内でも目立つ美人だったから皆で少しよろめき立ったが。
今やなぜか警察の関わるような事件の調査にも乗り出し、真実を掴もうとする探偵もどきな活動をするようになってしまった。今日も今日とて増上の話を聞くのだ。
おかしい。絶対に何かがおかしい。こんな部じゃなかったのに。
(学校に提出する活動報告書どうしよう……それに2人の入部届もらってないし)
「まあいいや」
そう投げやりに独りごちると、読みかけの民俗学辞典を開いた。辞典にはこの間の事件で関係するかもと思った妖怪や事象に黄色いマーカーが引かれている。それを指でなぞると、吉良はまたため息を一つついてにやっと笑った。
「おはようございます!! おっ!? 吉良、なにニヤニヤしてんの? もしかしてエロ本?」
「ち、違う!」
突然の犬山の出現にやましいものがないにも関わらず、吉良は体で覆い被るようにして本を隠した。
「……おはようございます」
犬山の後ろでおずおずとあいさつしたのは増上だった。泣き腫らしたのか、目が赤い。
「お、おはようございます」
その表情を見て、吉良は他に何の言葉も浮かばなかった。
「さあ、まずはどうぞ。あのソファへ。メッセージ送ったとおり、今日沙夜子さんいませんが」
犬山が気遣いながらも笑顔で対応するのを見て、さすがだなと感心する。
「吉良! お茶ある?」
「ああ、はい!」
いつものようにお茶汲みをしていると、増上がくすっと笑った。
「お! 笑った!」
その声に反応したのか、笑い声が沸き起こる。ひとしきり笑い終わると、目尻から出てきた涙を指で拭う。
「ごめん。部長さん、沙夜子さんとかからもいつも軽く扱われているのに全然怒らないから、不思議だなって思って。それがなぜかおかしくなって」
その言い方がすでに軽く扱っているんじゃ、と思ったが言葉を発する前に犬山が答えてしまった。
「確かに軽く扱ってますけど」
(おい!)
「でも、なんかそれが自然なんすよね。軽く扱ってるけど、馬鹿にしてるわけじゃなくて、吉良の無駄なオカルト知識が役立つこともあるし」
桜の模様が描かれた湯呑み2つにお茶を入れる。きちんと均等になるよう丁寧にゆっくりと。そうしないとお茶とともに思いが溢れそうだった。
「その部長さんの様子を見て、緊張が解けたのかな? 日常に触れたというか、平和に触れたというか。……とにかく、終わったんだなって」
お盆に湯呑みを乗せる手が止まった。犬山も何も言うことができず、珍しく神妙そうな困った顔を浮かべていた。
こんなとき、沙夜子なら「そうね、終わったわね」とか「大丈夫よ」とか何か気の利いた言葉を投げかけるに違いないが、自分にはそれができない。
だから吉良は、言葉の代わりに伝わるどうかわからないが、温かい緑茶をそっと増上に手渡した。
「ありがとう」
そう言って見せた微笑みはとても切なく見えた。
「武安はやっぱり死んじゃった……みたい」
降り止んだはずの雨が窓を叩く音が聞こえる。
酒谷武安は、焼死体で発見された。件の廃病院には焼け焦げた跡があちこちにあり、何らかの原因で火が起こり、それに巻き込まれたと警察と消防は発表した。火が起こった原因は目下調査中とのことだ。
第一発見者は、増上と沙夜子。警察が現場に駆けつけたときには、増上は沙夜子の膝の上で気絶しており、沙夜子が証言した。後日、酒谷の母親とともに増上も身元を確認し、改めて酒谷が亡くなったことを確認した。
「実は、武安が死んだとき、私死のと考えていた。だって、生きる意味が何もないから。だけど、沙夜子さんが真相解明をしようと言ってくれて、オカルト研究部のみんなが一緒に来てくれて、それは違うんじゃないかって」
増上は人差し指で前髪をかき分けると、床の薄黄色のタイルを見ながらポツポツと話し始めた。
「私は武安から声をかけられて付き合うことになったんだけど、武安も一回居場所を無くしているんだよね。野球部にいたとき、武安はエースでキャプテンもやっていた。けど、うちの野球部は厳しいことで有名で顧問やコーチからの体罰とか当たり前だったんだって」
吉良は犬山が持ってきた情報を思い出した。酒谷武安は野球部で暴力事件を起こし、退部させられた。
「で、あるとき顧問の体罰が行き過ぎちゃって入ったばかりの一年生が骨折してしまったことがあったの。そのときさすがにヤバイと思って武安は止めに入ったんだけど、顧問とコーチは問題が発覚するのを恐れて全てを武安のせいにして、退部させたのよ」
「そんな! 他の部員だってその現場を見てたんじゃないんスか?」
「全部員が口裏を合わせたのよ! 入院したその一年生を見舞いに行ったときには、持っていった花束を床に投げつけて、二度と来るなって叫ばれたって言ってた。それまで居場所だと思っていた人たちがみんな裏切ったんだ!」
荒ぶる感情を抑えるように増上はお茶を喉に流し込んだ。
「居場所を失った武安は、不良グループとつるむようになった。でも、武安はやっぱり真面目だからなかなか馴染めなくて、それで私と出会って居場所ができたって……。だから、武安も一度居場所を無くして自分で探して居場所を作った。なら、私にだって居場所はきっとあるんじゃないかって。そう思わないと、あのとき武安が私を助けてくれた意味がなくなっちゃう……と思った」
増上は犬山とそして吉良の顔を真っ直ぐに見つめた。
「だから、今日はお礼に来たの。みんなが一緒に来てくれたから、一緒に居てくれたから生きていこうと思えた。沙夜子さんと、あと、あの紙都くんだっけ? に会えなかったのは残念だけど、伝えておいて、ください」
目頭が熱くなる。わかりましたと言おうとしたら、また犬山に先を越されてしまった。
「わかりました! それにしても、紙都のやつマジで来なかったなぁ。メッセージ送っといたのに」
「それなんだけど、見たような気がするんだよね」
増上は首をひねって記憶を辿ろうとするように目を瞑った。
「なんかね。ちらちらと紙都くんの姿が思い出されるときがあるの。廃病院の記憶ね。不思議なんだけど」
「また、それかぁ。あいつなんなんだ。もしかして、妖怪とか?」
犬山の発言に、吉良と増上は顔を見合わせた。
「いやいや、そんなわけないッスよ! 冗談冗談!」
雷が鳴った。さきほどよりも雨は強まり、激しく部室の窓にも雨粒が当たる。
2人が部室を出たあと、吉良は犬山の言葉が気になって辞典を虱潰しに探していた。
妖怪は数あれど、記憶を消す妖怪なんて聞いたことがない。退治される話も多いから、実体はあるはず。けど、過去には多く見られて現在はほとんど目撃情報がないのはなんでなのか。もしかして、もしかしたら、沙夜子が考えたように妖怪には記憶を操る何かがあるのかもしれない。そうだとすると、今までの不思議な事件も全て妖怪がーー。
そこで吉良の思考は止まった。いや、止まってしまったと言った方がいいだろう。
雨粒が窓を叩く音に紛れて、何者かが窓を叩いていた。しかし、ここは4階なのだ。誰かが外にいるなんてありえない。
それでも連続して窓を叩く音に恐る恐る吉良は窓へと目を向けた。
息が止まる。そこには、顔全体に血がべったりつき、髪を振り乱した女が不気味な笑顔をたたえていた。その手は小さな子どもの生首を掴んでいる。
低い絶叫が校舎の中に響いた。




