参
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沙夜子はパソコンのディスプレイを食い入るように見つめていた。マウスの上に置かれた手が素早く動く。
ディスプレイ上には「妖怪 記憶」の二文字が強調され、関連のページがびっしりと並んでいる。
妖怪の成り立ちは古い。過去には陰陽師などの妖の問題を専門に扱う職業が国の一機関として存在していた時代から、今に至るまで妖怪は人々の隣に形は変われど生き続けてきた。
(なのに記憶をなくす、記憶を改竄させるなんてことはあるのだろうか。校庭の事件が妖怪の仕業かなんて確証はどこにもないけど、あの異常な状態には、何か強大な力と明確な意図が感じられる。それに)
沙夜子は、淡いブラウンのソファに横たわる女子生徒に目をやった。急に部室に現れて倒れた彼女は、安らかな寝息を立てていた。
(この子、確かに『妖怪』と言った)
そう思案する沙夜子の手元に湯呑みが置かれる。湯気がモワモワと出ている熱い緑茶だ。
「吉良! あんたなんでこんな暑い日にホットの緑茶を出すのよ」
「す、すみません」
「まあ、いいわ」
沙夜子はお茶を一口、口に含んだ。
「それより、何かわかったの? 記憶について」
吉良はのそのそと本棚に移動すると、分厚い本を取り出した。
「それがよくわからなくて、記憶をなくす妖怪なんてこの本にも書いてなくて」
「全然ダメじゃない」
沙夜子は大きくため息を吐いた。
「やっぱ紙都を逃がすんじゃなかったわ。急用を思い出したとか、絶対嘘じゃない。あいつ、次は拘束してでも知ってること全部吐かせてやる」
「あ、あの……」
ためらいがちに聞く吉良に鋭い視線を向ける。
「なによ」
「鬼神くんと何かあったんですか」
「……はっ?」
「あーそれそれ、俺も聞きたかったんです」
部室のドアを開けながら犬山が介入してくる。
「あんた、どんな耳してんの? じゃなくて、何が聞きたいのよ」
「なにがって、ねぇ……」
犬山と吉良は目配せをしてお互いの思いを共有する。そのやり取りが余計に沙夜子を苛立たせた。
「なんなのよ! ハッキリしなさい」
「いや、その、紙都のこと名前で呼んでるじゃないですか」
(…………え)
「な、なななな名前」
確かにそうだ名前で呼んでた。そう言えば、一週間前はずっとあんた呼ばわりだったような。なんで名前で呼んでーー。
「はっ」
犬山がニヤニヤして沙夜子を見ていた。心なしか吉良も笑っているように見える。
「い、いや! 違うからね! なぜか名前で呼んでるだけで、何かあったとかそういうことは何も」
両手をブンブンと振って全力で否定するも犬山のにやけ顔は止まらない。
「別にそこまで聞いてないじゃないですか」
「だから! そうじゃなくて」
「まさか、あの沙夜子さんが紙都のことをす」
犬山の顔面に沙夜子の右手パンチがクリーンヒットして、その先を話すことはできなかった。
「それ以上言ったら殺すわよ」
「す、すみません」
犬山はなんとか声を絞り出してそれだけ言った。その様子を見た吉良の顔が青ざめている。
「う、うーん」
一連の騒動で目を覚ましたのか、ソファで寝ていた女子生徒がうなされたような声を出した。3人は一斉に女子生徒の方を見る。
まだ幼さの残る顔立ちの女子生徒は、眠気眼を擦りながら、辺りを見回した。
そして沙夜子と目が合うと、おもむろにソファから立ち上がって、沙夜子の胸に飛びついた。
「彼氏が武安が」
記憶がぶり返したのか大粒の涙が次から次へと溢れ、言葉は続かなかった。しゃくり上げながら出た言葉は、自責の念のみ。
沙夜子は、女子生徒の手を体から離すと、その肩を抱き、努めて冷静な声を出した。
「聞いて。まず、彼氏が襲われたのは、廃病院ね。最近不良やヤンキーが肝試しで使ってたって言う。次に、襲ったのはきっと火に関する妖怪。そして彼氏の名はーー」
犬山が沙夜子の後を続ける。
「酒谷武安。うちの高校3年の先輩で、元野球部。暴力事件を起こして野球ができなくなって荒れて素行の悪い奴らと付き合っていたらしいですね。増上美郷先輩」
増上は沙夜子の腕を振りほどいて、キッと犬山を睨み付けた。
「あんた、武安の何を知ってんのよ! 荒れたとか暴力事件とか、実際にどんな事件だったかあんた知ってんの?」
急な剣幕で怒られて犬山の対応はたじたじになった。
「いや、その、それはさっき聞いたばかりの情報で……」
「何にもしらないのに人を悪く言うなんてあんた何様?」
「その、すみません、そういうつもりじゃ……」
「いいから、あんた、それでなにしにここに来たわけ?」
沙夜子が間に入り、増上に詰め寄る。
「彼氏を救いに来たの? 妖怪を探しに行きたいの? 私たちはあんたが起きたときにすぐ行動できるようにネットや人を使って情報集めてたんだけど。あんたはそうやって泣いたり怒鳴ったり、感情的になってるだけなの?」
「違う!」
そう言うと、増上は力が抜けたように冷たい床にへたりこんでしまった。
「……ごめんなさい。武安のこと悪く言うのは許せなくて……私、武安が逃げろって言ったから一人で逃げてきて、でも……武安来なくて……火が包んでた……あの部屋全部……武安の体……全部、全部赤く燃えてた」
増上の体は目に見えるくらい確かに震えていた。その震えを止めるように、床に置かれた増上の手がぎゅっと握り締められる。
「気づいたらここにいた……先生や警察に言っても絶対信じてくれないと思ったけど、とにかく走って走ってオカルト研究部って看板見えたからここなら助けてくれるんじゃないかって……私、私、確かめたいの! 武安のこと、私が見たものがなんだったのか確かめたいの」
沙夜子は増上の前に手を差し出した。にっこりと珍しく笑顔を浮かべて。
「それじゃ、行くわよ。真実を見に」