壱
重い目を開くと、また、雨が降ってきた。しとしとと降り続く類いの春の雨だ。天から地へ絶え間なく規則的に落下を続けるその音に耳を済ましていれば、今が戦場だなんてことはどこかに忘れてしまいそうだった。
やけに静かだった。普通は周りに張り巡らされた木々のざわめきの一つでも聴こえるはずなのに、今はただ落ち行く滴の音と自身の息遣いだけが密やかに染み渡っていく。そんな感覚だった。
(……また一つ大きな気配が消えた。きっと誰かが妖を倒したのに違いないーーそれなのに……)
その視線に当てられて息を止める。気がついたときにはもうすでに何十もの眼から見つめられているようだった。背中に虫酸が走る。振り向き様に手を突き出すも、そこには存在が無く、背中のむず痒さから真後ろへと瞬時に移動したことがわかる。また即座に後ろへと振り向くがーー同じことの繰り返しだった。陣を展開すればどんな小さな妖でも捉えられるはずなのに、禍と呼ばれるそれはどうしても掴むことができなかった。まるで何もない空を掴むような妙な感覚が訪れるだけだ。
「!!」
微細なその変化に襲われた柳田沙夜子は両耳を掌できつく押さえた。それこそ一分の隙もないように押さえつけているにも関わらず、それは沙夜子を執拗に襲う。
【……○△◎×……◆○】
目を強く瞑り歯を食い縛り、別のことへ意識を集中しようとする。それは、「声」だった。言葉とも言えなくはないが、言語の体をなしてはいない。感情にも成っていない剥き出しの衝動とでも言えばいいのか。その者の「声」が直接脳内に叩き込まれる。いくら耳を塞いだところで無意味だった。
【ムだダ。オマえ二わタしはころセナい】
頭を振るう、金切り声を上げる、側の大木へ頭を打ち付ける。それでも、掻き消すことはできずに容易に侵入を許してしまう。
【ムだダ。わザワイはーー】
「もう、もう、もうやめてぇぇぇぇぇ!!!」
【わザワイはオまエノなか二アる】
そして再び茶色がかった瞳は閉ざされる。




