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「わからないわね。そこまで知っておいて、なぜ敵対するのかしら。私達が辛うじて実体を保つためには人間に決して忘れられないほどの恐怖を植え付けなければいけないのに。半妖とはいえ貴方だって例外じゃないはずよ」


 全ての妖は人間から創られる。その怨み、妬み、願望といった人間の想念から。ところがそうして生まれた妖怪は実体があやふやな状態、結界陣で例えるならば世界との境が曖昧な状況に置かれる。そこから世界と区別され個となる存在になるためには、記憶を定着させなければいけない。


「その事実を知ったときはさすがに驚かざるをえなかった。だが同時に合点もいった。俺がなぜ他の家族に忘れられてしまうのかを」


 記憶は遠い遠い昔へ飛ぶ。すっかり色褪せてしまったセピア色の写真のような記憶の数々。そのどれもが家族との間にぽっかりと穴の空いたように隙間があった。そんな風に無いものと扱われていたはずなのに、時折思い出したように言葉を投げ付けてくるのだ。


 ーー汚い、穢らわしい、邪魔だーーなどと。


「そうね。貴方は誰にも必要とされなかった。望まれずにこの世界に産み落とされた子供。だって、貴方の家族、みんな人間だったじゃない。愛し合っていたのか犯したのか知らないけれど、血の繋がった貴方の本当の父親は完全に忘れられていた。ーー同じ半妖でも貴方が紙都くんと決定的に違うのはそこ」


 どこまでも人の心を抉るのが得意な奴だ。そうやって世の権力に取り入って来たのか。人の心の内を炙り出し、虜にし、意のままに操る傀儡のように。だが……。


 九尾は細長い指先を絡ませるようにして再び颯太の髪の毛を触る。漂う香りが、妖しく光る瞳が、吐息が奥底に燻る感情を蠢かせる。


「貴方はもう人を殺している。親を兄弟を、その破壊衝動のままに血の海に沈めてきた。今更後戻りは出来ないし、赦されることだってない。呪われたその命、何にも囚われずに生きればいい」


 まるで誘うようにその目が細まる。目の前に差し出された柔らかな手。それを掴みさえすればもう何も考えずに済むのだろう。全てを破壊しようとしていたあのときのように。


 勝手に伸びたのは自分の腕だった。どんなに強く抑制しようとも、身体反応はいつも正直だ。楽な方に楽な方に流れようとする。


 無くせばいい。認めてくれないなら、見てくれないなら、この手で全てを壊せばいい。血色に染めたあいつらのようにーー。


 カランっと鎌が静かに床に落ちていく。勝手に掴もうとする腕をもう片方の腕が止めていた。


「確かに魅力的な話だが、お前の策に乗るのは癪に触る」


 薄ら笑いを浮かべていた九尾の顔がハッキリと歪んだ。


「くっ……なぜ」


 鳩尾にめり込んだのは程よく筋肉のついた白い細腕だった。一瞬の隙の内に床に落とした鎌を拾い上げると長い首元へ向かって勢いよく伸ばす。空を切るものの、九尾の身体がようやく近距離から離れていった。


「味方をするつもりはないし、憎悪が消えたわけでもない。ただ妖怪が人間からつくられし者と気づいたときに、俺はようやく仕方なかったと思えたんだ」


「仕方、なかった?」


 距離をとった九尾の右腕が弧を描くように下ろされる。それは一種踊りのように見えなくもなかった。


「ああ」


 鎌を後ろに向けて振り回すと、背中に出現した九尾の幻影が切り裂さかれる。


「名を与えてはくれなくとも、軽蔑した眼差しでしか見てくれなくとも、俺の親であることに変わりはない。ただ、それだけは事実だ」


 風を自身の背中に巻き起こすと九尾が次の手を編み出す間に懐へ忍び込む。その宝玉のような瞳が断末魔の代わりに驚きに見開かれた。


「よく、私が貂ちゃんじゃないと気付いたものね」


 幻影が霧のように霧散すると同時に、階下の暗がりから絵画に描かれたような美しいの形容詞をそのまま表現したような陰影が施された完全な美貌が姿を現す。


 それへ睨み付けるような視線を寄越すと、颯太は階段の手摺を軽々と飛び越えて足音一つ鳴らさぬよう一階へと着地した。


「いくらなんでもおしゃべりが過ぎる。頭のいいあんたのことだ。おしゃべりの最中に不意打ちを喰らわないよう、幻影を用意しておくだろうなと検討をつけたんだ」


「ご明察通りね」


 わざとらしい拍手が叩かれた。蝋燭の灯がゆらゆらと九尾の張り付いたような笑顔を美しく照らす。


「貴方の心に入り込めたつもりだったんだけれど。錯覚だったかしら」


「錯覚ではない。その隙が俺自身にあったのは認めよう。だがーー」


 灯りに当てられた得物の刃先が燃え上がるような光を放ちすぐに消えた。再び現れたのは九尾のその背中。滑らかな肩甲骨のラインをなぞるように刃を当てるとひっそりと囁くように次の言葉を放った。


「あんたの心にも入り込んでやるよ。琴音」

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