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暗闇に煌々と浮かぶ液晶ディスプレイには、「11:30」という時刻が映し出されていた。
何の目的もなしに外に出るにしては不自然な時間。時間帯もそうだが、あまりにも切りのいい時間すぎて、あらかじめこの時間ちょうどに出ると決めているように思われた。
紙都は心の中で勘が当たったと一方では安堵しながら、携帯電話を閉じて黒ジャージの右ポケットに入れた。そして、2階のところどころ塗装の剥げた柵から飛び降りると、ターゲットから身を隠すため、駐車場に停めてあった車の後ろにその長身を収めた。
相手は教師だ。自分の担任。顔が割れているために、鬼化した状態でも気づかれてしまうだろう。それに誰かに見つかった時点で行動をやめてしまうかもしれない。
荒席は悠々と古い教員住宅の階段を降りてきた。自分の恋人をあんな形でなくした後とはとても思えない軽い足取りだった。
紙都の役割は妖怪から人間を守ることである。本来ならば0時からの集合に合わせて学校に赴き、樹木子とかいう妖怪を倒せばそれでいい。だが、今回は事件の真相を明らかにする必要があると紙都は感じていた。
それは、藤澤に涙ながらに解決を依頼されたからかもしれない。しかし、何よりも自分が事の顛末を確かめたかったのだ。
そのためには、まず事の起こりを知らなければならない。教師と生徒の恋愛という一種常識から逸脱したような関係がどうして築かれたのか。それが大人しいと評価されている、いかにもそういう話に縁の無さそうな女子生徒に起こりえたのか。そのあたりを調べるために紙都は荒席の家を訪れていた。
何も知らない荒席は、階段を降りきってアパートを出た。
だいたい、おかしいのだ。入学してから今まで自分の見てきた荒席は、とても生徒に手を出すようなことができる教師ではなかった。だから、もしかしたら荒席は、同一人物であって、同一人物ではないのではないかと考えた。前の足長手長のときのように妖怪が操っているか成り代わっているかどちらかなのかもしれない。
紙都は、音を立てないようにゆっくりと後を追いかけていった。
古びた教員住宅のすぐ裏手に高校がある。
どの家よりも近い立地に生徒達は羨ましいと思うが、そのボロさに教師の間では人気がなかった。だから、何十人もが住めるアパートなのに、住んでいるのはほんの一握りだけ。その珍しい例外教師の一人が荒席だった。
荒席は、紙都が思った通り、校舎へと向かっていた。
こんな時間にそれも事件があったばかりの校舎に向かうのは明らかに不自然だ。夜にしか済ますことのできない用事。少なくとも亡くなった女子生徒の弔いではないだろう。
荒席は校舎の裏に回った。辺りを見渡すこともなく堂々とした足取りで進んでいく。
裏には職員玄関がある。鍵を持たないと入ることはできないが、おそらく教師全員が渡されているのだろう。荒席はルームウェアのポケットからキーホルダーつきの鍵を取り出すと、くるくると指で回した。
カチャリと鍵を開ける音が二人しかいない夜闇に響いた。荒席は校舎の中に入り、再び鍵を閉めた。紙都は高く跳び上がり、学校のフェンスを飛び越え、静かにグラウンドに着地した。
職員玄関に微かな灯りが灯った。懐中電灯をつけたのだろう。
職員玄関からはまっすぐ職員室に向かうと紙都は考えていた。どこの教室に行くにしてもそこの鍵を持っていなければならない。その鍵は職員室にまとめてあるのだ。
白色の光は紙都の読み通り職員玄関を出て2階へと上がりそのまま職員室へと入っていった。
ここからが問題だ。荒席はどこへ向かうのか。おそらく中庭には向かうだろう。何をするかはわからないが、中庭で事を起こすとあの女率いるオカルト研究部の面々に会うかもしれない。樹木子も退治しなければならないが、上手く立ち回らなければあいつらを巻き込む形になるかもしれない。
こいつも、妖怪なのかもしれないんだから。
その点、他の教室に行くのなら話は早い。さっさと乗り込んでこいつをなんとかしたあと、樹木子の所へ行けばいい。
どちらにしても、相手の出方次第だった。
懐中電灯の光は職員室で一時止まり、動き始めた。職員室を出ると、階段を下がり、1階廊下を進んでいく。
ここまでくれば、中庭に向かうことはほぼ間違いない。1階には中庭の他に、玄関と特別教室、いくつかの部室しかないからだ。中庭に入るのだとしたら、荒席が中庭のドアを開けたと同時にこちらも侵入した方がいい。なるべく早く決着をつけて、樹木子と対峙しなければならない。
紙都は一旦しゃがみ込むと、反動を利用して跳躍した。校舎の3階、普通教室の窓に到達したところで軽く握りこぶしをつくり窓ガラスに当てた。そして、砕け散ったガラスの破片とともに、校舎内へと侵入した。
手の甲に破片が突き刺さっている。血は流れず痛みもないが、多少動かしづらかった。片手でつまむようにして、それを抜き取ると、向かいの窓を開けて、飛び降りていった。