拾参
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『もしもし!』
弾かれた声は耳に痛かった。思わずスマホを耳から離すと、吉良は震える声で応答した。久しぶりの沙夜子の声に怯えているわけではない。そんな次元で声が震えるほど、伊達にこれまで起こった怪異を潜り抜けて来たわけではない。
『もしもし。今、突然SNSに動画が流れたんだーー』
視線を落とすと川瀬愛姫が淡いピンク色の自身のスマホの画面を見せてくれた。そこに繰り返し流されているのは、沙夜子や酒呑童子、九尾の狐といった伝説級の妖怪達の戦闘の様子。
『それも僕のところだけじゃない。他のみんな、たぶん何かしらのSNSに登録している全ての人に』
『……そんな……。紙都! 犬山! それからそこの二人も全員SNSを見なさい!!』
慌てた様子が沙夜子の背景から伝わってきた。この原因について、沙夜子達なら何か知っていると思っていたのだが、その予想は外れてしまった。
「吉良。それだけじゃない。テレビにも流されている」
『えっ!?』
こんな状況でもさすがに落ち着いている鎌倉颯太の声に振り向くと、病室に備え付けられた小さなテレビ画面が異様な映像を伝えていた。そこには、今見た映像の他にも蓮ーーと思われる人物が人を刺す映像も挟み込まれていた。
『どうしたのよ!!』
はっと、引き戻されるとテレビにも流れていることを告げる。病室の外がにわかに騒がしくなってきていた。SNSなどやらない他の入院患者や病院関係者の間にもテレビの映像が伝わったのだろう。
『とにかく、原因を特定しないと! 吉良、そんな妖怪いないの!? あんたならきっと心当たりがーー』
『ありません』
即答した。即答するしかなかった。吉良の知っている妖怪の知識は今のようにインターネットがまさに網の目のように生活に組み込まれたような時代の妖怪ではない。そんな妖怪など本来はいるはずがないのだ。
だが、現に現象として怪異が目の前に現出している。これまでのような誤魔化しも記憶の改竄も効かないほどの敢然たる事実として。
部屋の外から聞こえてくる喚き声が、泣き声が、争い合うような怒鳴り声にまとわりつくような妙な汗が背中に流れ始めていた。
吉良はスマホをベッドの上へと落とし頭を抱えた。
(いったいなにが、だれが)
そしてどんな目的でこんなことをしているんだ?
「伸也くん!」
伸びた手が優しく腕を掴んだ。画面が一斉に切り替わったのはそのときだ。
「所謂人間の皆さん。初めまして、あなた方が妖怪と呼ぶ集団を代表して挨拶します。元興寺と言います」
非常に間の抜けたような挨拶だった。妖怪など、子どもだましの古い概念。その名が出てくること自体が非常にシュールに聞こえることだろう。だが、吉良はテレビ画面に映るその顔を知っていた。鬼灯のような赤顔に僧侶のような服を着たその妖は、最も古い鬼と呼ばれる元興寺。何度も何度も読み返した辞典に載っていた顔そのままがそこには映っていた。
「さて、宣戦布告です。とは言っても全員を殺すなんてことはしません。半分、若しくはそれ以上。犠牲になってもらいます。そう、このように」
至近距離から悲鳴が上がった。その声が自分の喉から絞り出した声だと気が付くのに数秒の時間が必要だった。
「ヒドイよ……」
隣に座る愛姫が口元を両手で覆いながら呟く。
元興寺の左手に握られたのは、まだ年端もいかない子どもの顔。空っぽの両目からは痛みを訴えるように血が流れ、ぽかんと開いた口は悲しみを叫んでいた。
「見たくない方はどうぞ目を瞑ってください。はい、三、二、一」
真っ赤な果実を潰したようにグシャッと背筋の凍る音が走り、画面が真っ赤に染まった。
絶句。
鎌倉でさえその瞬間は目を逸らしてしまったほどの衝撃が襲い、さっきまで阿鼻叫喚の騒ぎだった病院は水を打ったように一気に静まり返ってしまった。
その静寂の中で鬼は牙を見せて笑った。滴り落ちる涎の奥には墓石が見える。
「というわけで半分はこうなります。人間が勝つのか妖怪が勝つのかーーさて、それでは、よろしくお願い致します」




