拾弐
見れば童子切は真っ二つに分かれて床に突き刺さっていた。紙都と犬山、二人に挟まれた酒呑童子は動く術ももう残っていないように見える。その慟哭に応えるように犬山は口を開いた。
「何言ってやがる。てめぇだって大勢の人間を殺してきただろうが。ここでだって京極家の人間を散々いたぶりやがって」
「当たり前や! それが妖怪というもの! 人を殺しその生き血を酒のように浴び、恐怖を植え付けなければ妖怪は生きていけないーーお前ら人間とは違うんや!」
沙夜子の頭の中に疑問符が並ぶ。まるで理屈の通らない言い方だ。まるで、仕方なく人間を殺してきたとでも言いたいような。
もしやと思い横目で楓の顔を見るが、いつもの感情も思考も読み取れない無表情だけがそこにはあった。
空気が変わった。空気が燃えているような肌がひりつくような空気。その空気の中で、酒呑童子は徐に立ち上がる。
「殺す。あんたらをここで皆殺しにしてまた伝説を創るんや。そうすれば、また次の妖怪が立ち上がる」
耳をつんざくような雄叫び。そこには、今まで聞いたことのないような怒りと哀しみが混じっていた。神様への怒りと運命への哀しみのようなその音は空気をも震え上がらせるようだった。
酒呑童子は標的をただ一人に絞って跳躍した。身に纏った黒衣が翻り、握り締められた両拳が同じ紅の瞳へと収斂されていく。
その瞳が見開かれたとき。酒呑童子の躯がはたと止まった。
またもや空気が変わったーー沙夜子はそう知覚した。肌がひりつくような空気から重く包み込むような諦観へと。場の空気は、最後にただ一人残された玉が握っていた。
「……まだ、終わってない。終われるわけがあらへん」
暗闇すら汚す血飛沫の中で崩れ落ちる少年のその顔が嗤った。
「前に言ったやろ。おれは玉やない。本当の玉はーー」
酒呑童子は地に落ちた。それきり言葉はもう続かなかった。
安堵の空気が広がっていく。犬山が歓声の声を上げてそのまま後ろへと倒れていった。止血はしたが、今日一日に渡って血が流れすぎたのかもしれない。楓と柊の二人は痛みを押して倒れた者の治療に急ぐ。沙夜子と紙都の二人だけが、空気に溶け込まずただお互いを見つめ合っていた。
ふわり跳び上がると紙都は沙夜子の前へ降り立った。目の前に広がるは久方ぶりの漆黒の瞳。あまりにもその瞳が近過ぎて沙夜子はつい視線を逸らしてしまった。視線の先には刃の折れた鬼面仏心が。
「……折れてしまったの?」
「いや、違うよ。元々折れてたんだ」
紙都はそっと微笑みを浮かべた。戦いの後の声は嘘のように穏やかで、心音がトクンっと跳ねる。
「誰かを助けたいと思ったときにこの刀は元通りになって手元に戻ってきてくれる。血を媒介にしていたはずなのに。この手に馴染んだからかな」
心地のいい声だ。1週間しか経っていないはずなのに、もう随分と久し振りに聞くような気がする。胸にきゅっと軽く握った拳を当てると、真っ直ぐに見つめるその視線に向き合う。
「私も……こうして結界陣を身に付けたわ。もう、あんたばかりに戦わせはしないんだから、紙都」
「ああ、ありがとう」
嫌味もなく向けられた笑顔のせいで両頬がカッと熱くなる。それを隠すようにまた俯くと、沙夜子は思いついたような声を出した。
「あっ、私も京極家の人たちを回復させないと! またあとで話すわよ!」
「あ、ああ……」
一瞬触れ合う肩にまた胸が弾む。「またあとで」という約束が上乗せされていたのかもしれないが。
「沙夜子! そっちの奥頼みます!」
「はい!」
破損した板に頭が挟み込むように俯せで倒れていた白装束に手を当てる。その体はまだ温かく、微かにではあるが息をしていた。
掌から陣を展開する。胸が大きく切り裂かれてはいるが、刃は深部までは届かなかったようだった。両腕を垂直に伸ばすと掌に力を込めて声を掛ける。
「これで大丈夫よ! じきに痛みはーー」
突き刺すような叫び声が励まそうとした言葉を遮る。遠く屋敷の外から聞こえてくるその声は。
「和花!!」




