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廿伍

**********


「何があっーー」


『紙都さん!!』


 沙夜子じゃない。この声はーー。


「藤原さん!?」


『はい。沙夜子の代わりに電話しとります。それより、早く戻ってきてや! 沙夜子が、このままじゃ殺されてまう!! 現れたんや! あの鬼が!!』


 「あの鬼」と聞いてその太い眉根が上がる。突如現れたがしゃどくろは、奴の仕業、か?


 通話終了ボタンを押すと、スマホを懐へ忍ばせ片手に握ったままの鬼面仏心に力を込めた。カチャ、と思いに応えるように金属音が鳴る。


「蓮、沙夜子が危険なんだ! ここで戦ってる場合じゃーー」


 振り向いた先に見たものは信じられないような映像だった。触れるだけで肉が食い破られそうな犬歯にも似た爪が深く深く突き刺さり、血飛沫が雪を一粒一粒染めていく。


「蓮……何を……」


「何をって、お前を殺すんだよ」


 そのドス黒い声は真後ろから聞こえた。ピタリと背中に張り付く不穏な気配。それは蓮、いや、もはや人間のものではなかった。


「お前は……誰だ?」


 ゴクリ、と生唾を呑み込む音がした。自分ではない、後ろの何者かわからない存在からだ。それを紙都はどこかで聞いたことがあった。ーー獲物を補食しようとする者が放つあの特有のねっとりとした怪しげな音だ。その音が一度したきり、不気味な沈黙が続いた。


 堪らず振り向き様に斬り付ける。斬った、と思ったはずの姿は雪煙の中へ消えていった。


(幻影!?)


「そっちじゃねえよ」


 再び、まとわりつくような気配が後ろへと回った。


「紙都。人間ってのは(あやかし)よりも恐ろしいんだぜ」


 身の毛がよだつような怖気が猛吹雪のように急襲し、紙都の身体を前へと突き飛ばした。


 ガチリ、と歯が噛み合わさる音が鳴り響く。尻餅を着きながら見上げたその顔は戌そのものだった。


「どうした? 恐いか? ーー俺が」


 そこには二本の犬歯が生えていた。元々あった犬歯が鋭く長く伸びたと言った方が正しいのかもしれない。とにかくも蓮の整った口から大きくはみ出した牙のようなその歯から、ぬらぬらと涎が垂れ落ちていた。


 すぐさま距離を離していなければ、その牙が紙都の首筋に大きな歯形を残していたことだろう。


「これがオレーー犬山蓮なんだよ。お前と同じように化け物じみてるだろ?」


「……どうして……?」


 絞り出すような掠れ声しか出すことができなかった。顔の変化に気を取られていて気がつかなかったが、手に装着したままの爪で突き刺した胸からは大量の血が流れたままだった。


「力を手に入れるためにイヌの血を増幅させたんだ。おかげでスピードも力もお前より上になったぜ。これでもう、お前の勝ち目はなくなった」


(イヌの血を入れるだって? そんなこと、普通の人間にできるはずがーー)


 ある考えが紙都の頭に閃いた。ある意味で自身の境遇と似ているがゆえにわかったことなのかもしれない。答えを得ようと立ち上がる。


「お前のその力。妖の力か?」


 対峙する少年の顔が紙都の質問を嘲笑うかのように醜く歪んだ。


「そうだ。なぜ京極家だけが表に居座り、犬山家が闇をひっそりと生きなければならなかったのかわかるか? それは、この狗神の(わざ)が人の術ではないから、怪しげで恐ろしい妖怪の力を源にしているからだ」


 刀を握り締める。空気が微妙に変わっていた。命を奪い合う戦闘時独特の緊迫感がすっかり冷え切ってしまった肌をひりつかせる。


「だからなぁ、紙都。犬山の名を持つ者として、オレはここでお前を殺すんだよ。お前を殺して、他の妖怪をぶち殺して、犬山の名を認めさせなきゃならねーんだ。そうしないとーー」


 そこから先の言葉は雪音に途切れた。


「いや、関係ないな。一つ言っておいてやるが、増しているのはスピードや力だけじゃねえ」


 上半身を地面スレスレに保ち、長い爪を下に向ける。


「狂暴さも段違いだ」


 ほんの僅か。風向きが変わったその一瞬の時間を縫うようにして、両者は足を踏み出した。激しく蹴り上げられた雪吹雪が二人の姿を消すように空へ向けて舞い上がる。 

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