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拾捌

 双子の姉を庇うように楓の前に出ると、柊が代わりに答えを口にする。


「犬山の脅威は今現実に起こっていることや。沙夜子、あんたの言う脅威は起こるかもしれへんことやろ? 当主として、京極家の一人としてまずは犬山を止めなあかんねん」


 なるほど、それは現実的で正しい判断なのかもしれない。目の前に見えることに対処する。だけど、最も怖いのは犬山じゃない。人を傷つけ殺すことすら愉しむあの鬼のはず。


「あのバカ犬が人にとって十分危険なのはわかりました。だけど、犬山家だって京極家と同じように妖怪退治を目的にしてるんじゃないの? 手段は違えど酒呑童子の名を出せば協力できそうなものだけど」


「あいつらがそんなこと思っているものか!」


 楓が妹の手を押し退けて激昂する。いつもの能面のように冷たい表情が般若のそれのように険しくなった。


「犬山家は京極家を(かたき)にしている一族! 京極の名を潰し、自らが成り上がるためなら手段を選ばない野良犬のような連中なんや! 見たやろ! 問答無用に人を斬る獰猛さを! あいつらは、もう人やない! (あやかし)と一緒や!!」


 制止しようと肩を抱く腕を振り切って今にも掴みかかってきそうな勢いで喋り倒すその様を沙夜子は冷ややかな目で見つめていた。年下相手に感情を露にする大人ほど、苛つくものはない。語気が荒くなればなるほど、不思議と反対に頭の中は冴え渡っていく。


 これなら梓さんが現当主を信頼し切れないのもわかるわね。


「これ以上喚き散らすのはやめてくれませんか?」


「なんやって!?」


 馬鹿にするわけではないが、無自覚に溜め息が乾いた唇の間から漏れ出た。


「時間に猶予がないって言ってたのは自分じゃない。それに、人だとか妖だとか、私には関係ない。私は一人でもここに残る。和花を、これから生まれてこようとする命を守るために、ね」


「あんたは知らないんや! 沙夜子! あれらの恐ろしさを! 妖怪の恐怖を!! あいつらはなぁーーー」


「姉さん、もう、これ以上話している時間はないで」


 楓の白装束の肩口に爪が食い込んだ。もっとも楓を止めたのは痛みよりもそのあとの柊の今にも爆発しそうな怒りを含んだ低い声だったようだが。


 柊はジロリと不愉快そうに沙夜子と目を合わせた。


「あんたの言うことはわかるで。そら、半分妖怪の紙都といればそう思うやろ。御言さんも慕っていたようやし。せやけど、あんたはどうするつもりなんや? 犬山を放って、来るか未確定の脅威に備えるんか? それで多くの被害が出てしまったらどうするつもりや。ウチらは当主として命を預かる身。そんな無責任な態度は取れへん。まずは、犬山への対処を優先するしかあらへんのや」


「犬山への対処ならもうできてるわ」


「……なんやと?」


 細い眉が僅かに動いた。その仕草を驚きと受け取った沙夜子は強気な笑顔を見せる。


「紙都がなんとかしてくれる。絶対に」


 言っている意味がわからないとでも言うように目を瞬かせると、柊はひっそりと息を漏らした。


「何を言うかと思えば。紙都が犬山を倒せるとでも? 今見ていた限りではまるでスピードについていけていないようやったけど」


「あいつはくよくよ悩む男だから。だけど、犬山ごときに負けるような紙都じゃない。むしろバカ犬を相手にするのに一番適してるのは、誰でもない紙都よ」


 そう。紙都ならやってくれる。止めてくれる。犬山蓮を。


「だからあっちは安心して任せて、屋敷ここを全員で守るのが最善の手よ」


「……やけど……」


 白足袋が畳の上を擦った。無意識のうちに柊の足は楓とともに一歩後ろへと下がっていた。


「私もそう思います」


 開け放たれたままの襖の奥に人影が浮かび上がった。


「梓!!」


 その人影は一人だけではなかった。一様に白装束を着込んだ面々が梓の後ろへと並ぶ。


「すみません、話を聞くつもりはなかったんですが耳に入ってきてしまったもので。楓様に柊様。私も、沙夜子の意見に賛同いたします。他の者たちも同様に」


 出口に立ち塞がる数名が力強く頷いた。


「それは、どうしてや!」


「紙都さんは御言様の子ども。それだけでは理由になりませんか? それにきっと一振様がご健在ならばこう言われたことと思います。『どんなときでも心を落ち着けよ』、と。違いますか?」


「それはーー」


 二の句が継げず、二人は同じタイミングで項垂れた。念入りに手入れが施されたのであろう烏髪が、静かに波打つ。


(!! なに!?)


 一等先に空気の変化を感じ取ったのは他でもない沙夜子だった。肩越しに視線を凝らすとともに右手を前へと突き出す。


 京極家の反応が遅れたのは無理もないことなのかもしれない。屋敷特有の空気に幼い頃から染まってきたのだから。しかし、沙夜子はこの静けさが、外の景色と隔絶されたような静寂の音に当初から違和感を感じ鋭敏になっていた。だからこそ、その微妙な変化は、鳥肌が立つように彼女の全細胞を自動的に活性化させた。


「なんや……?」


 全員がその方向を向いたのは、沙夜子が右手を振りかざした直後だった。にもかかわらず、すでにその一手は放たれていた。


 縁側の真上、空間が歪むようにして突如現れた火球が一人を呑み込む。食するように茜に橙に煌めくと、満足したのか焔は姿を消した。一人の人間を引き連れて。


「何がーーいや!」


 沙夜子に続いて右手が一斉に上がる。乱れた空気を浄化するように左右に小刻みに揺れながら対象を探す掌が、ピタリと止まった。


「なっ……うそやろ? これは、まさか!?」


「そのまさかやね、姉さん。沙夜子の言うとおりウチらは過ちを犯すところやった。酒呑童子と、もう一人はーー」


 柊がその名を口にした途端、空気の色が変わった。


「和花、逃げて!!!!」

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