拾肆
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『がしゃどくろは、戦死者とか、ちゃんと埋葬されなかった死者の骨や怨念が集まって形成される妖怪なんだ。京は歴史の古い街だからーー』
「さすがにそれくらい私でも知ってるわよ!! いい? 聞いているのはこの混乱をなんとかできないのかってこと!!」
スマホに声を荒げても意味のないことだというのはわかっていた。それでも昂る感情を隠して平静に振る舞うことは、今の沙夜子には無理なことだった。
こうして電話をしている間にも事態は刻一刻と展開していく。軽く百人以上は入る大広間では、設置された大型テレビが混乱する市内の様子を映し出していた。もちろん生放送、でだ。
道路は大小様々な車で渋滞しており、車を捨てて右往左往する人々は、警察の懸命な避難誘導もほとんど無視して、我先にと背中を押し退け、足を転ばせとにかくどこか遠くへ逃げ惑うーーそんな有り様が、醜く繰り広げられている。中継に当たったリポーターも、惨状を映し出すカメラマンも本当はすぐにでも逃げたいのだろう。目線は泳ぎ、画面もあちこちに揺れ動き、落ち着きはなかった。
リポーターの顔が上空へと向けられ、その動きを追うようにカメラも空を捉えた。そこには先程から何ら変わることなく巨大な骸骨が悠々と街並みを踏み潰して佇んでいた。
『ーーそ、それはさすがに。テレビでこんなに流されたら、混乱はどんどん広がっていってしまうと思います。なんとか、報道を止めさせないと……』
「そんなこと! 私ができるわけないじゃない!!」
乱暴に通話ボタンを押すと、沙夜子はテレビに向き合った。
画面にハッキリと映し出されたがしゃどくろは、時折上半身を反らしたり、腕を上げたりしながらもずっとそこに留まっていた。紙都がいるはずの栂尾山に。
「沙夜子! 行かなくていいの!?」
そっと白装束を着た肩に手を置いたのは和花だ。怪異を知り、すぐに京極家へと飛び込んできた。その手に触れられると不思議なことに心が和らいでくる。
「行きたいけどーー」
間違いなく紙都はあそこで戦っている。まがりなりにも結界陣を身に付けた今なら、戦いでも少しは役に立つかもしれない。でも。
「今は、行けない」
沙夜子は自分に言い聞かせるように首を振った。
「まずは、この混乱をなんとかしないと。あれがもし市中に向かって動き出したら、悠長に戦っていられないでしょ?」
和花の温かい手がそっと離れていく。
「そうか。沙夜子がそう決めたんなら、うちはもう何も言わへん」
「ありがとう」と微笑みを返すと、沙夜子は口元を引き締めてテレビ画面に向き直った。
(……とは言え止めるとしたって、どうしたらいいのか。陣は妖怪にしか通用しない。大勢で陣を展開すれば、がしゃどくろは封じることができるかもしれない。だけど、混乱は収まるの? いえ、そもそもこんな状況で白装束が結集して陣をつくることなんて無理なんじゃ)
状況を想像してみる。逃げる人々と反対方向に向かう白の集団。まずもって制止させられる。制止を振り切ったとしても、無理矢理進むその姿は悪目立ちして報道陣の注目を浴びる。カメラとマイクを向けられて、『あれは妖怪です。結界陣であれを封じるんです』なんて誰が信じるのだろうか。
信じてもらえると仮定したとして、テレビをネットを通じてその事実が、今まで公の下には隠されてきた妖怪という存在が、知れ渡ってしまう。その人数は、これまでの比じゃない。
「……ん?」
テレビ画面に違和感を覚えた。何か一瞬光るものが映ったような。
腕組みを解いて画面を凝視すると、沙夜子の疑問に応えるようにちょうどいいタイミングでカメラが動いた。リポーターも動きに合わせて慌てたように言葉を続ける。
『なんでしょうか、今のは。あれはーーな、何かが素早く動いています! 犬? いや、人です! 人が屋根を伝って巨大な物体にぐんぐんと近づいていっています!!』
「いや、犬っていうか、犬山!?」
「ど、どうしたん? 沙夜子?」
「知り合いが映ってんのよ!」
沙夜子はテレビに走り寄り、食い入るように画面を見つめた。揺れが激し過ぎてしっかりと捉えきれてはいないが、スッキリと整えられた黒髪ベリーショートに、黙ってさえいれば精悍なその顔付きは、紛れもなく犬山蓮、その人だった。
(あいつ右手に何を持って……爪?)
そこではたと気が付く。
「そう言えば、犬山家は京極家と双璧をなすってーー」
「その通りや!」
勢いよく戸を開けて入ってきたのは、双子の当主。
「あの周辺を警護していた組から危急の連絡があったんや」
「獣のような動きにあの爪は、犬山家の証。やから手の空いてる者は全員現地へ向かわせた。犬山家のもんが現れたんなら、一大事態や」
沙夜子は二人を交互に見ると、眉を潜ませた。
「どういうこと? 犬山家が現れるとそんなに問題に?」
大きく首肯すると、楓は感情も露に勢いよく捲し立てた。
「犬山家は危険なんや。同じ妖怪を退治する一族と言ってもウチらと犬山家は考え方がまるで違う。向こうは妖怪が殲滅するんなら他がどうなろうと関係ない。人間ですら、障害と見なせば簡単に殺してしまう」
「……そっ、か」
楓の言葉を受けて脳裡に浮かぶのは、愛姫を必死に助けようとした吉良を嘲笑い、愛姫を殺すと明確に述べた犬山蓮の顔。憎しみに満ちた、本能を剥き出しにした獣のような。
「だからあの男は絶対に止めないといけないんや。がしゃどくろだけやない、あそこには紙都もおる」
ドクン、と心臓が跳ね上がった。その瞳は知らず知らずのうちに柊を睨み付けてしまっていた。
「なんや?」
「……紙都が、殺されるって言うんですか?」
「そうや。だから沙夜子も一緒に現場へーー」
「違う」
捕まれた手を振りほどくと、畳に向かってそう小さく呟く。
「あいつは、親友なんです、紙都の。それにーー」
あいつはいっつもヘラヘラしていて、軽くて、調子よくて、でもいざというときにはどんな怪異からも逃げることなくみんなを守るために立ち向かってくれた。樹木子のときだって、火車のときだって、ぬらりひょんとの戦いでも。
「あいつは、オカルト研究部の、私たちのーー」
今になって殴った右手がじんじんと痛み出した。
『さすがに、痛いですね』
ぐっと痛む右手を握り締めて、沙夜子は顔を上げた。
「あいつは私たちの仲間なんです」
驚いて互いに顔を見合わせる当主のその行為が、なぜか沙夜子の胸を締め付けた。




