拾参
足元に反対側の巨腕が伸びる。そこに片足を乗せると、もう一段高く飛ぶ。一息のうちに残りの二合を飛び越え紙都は眼前へと舞い上がった。
躊躇っている暇はまるでない。風に乗り、勢いに任せて鼻骨に向けて右腕を振り抜く。
確かな衝撃が拳に跳ね返る。それは激痛を伴いながら相対するにはあまりにも小さな紙都の身体を地へと向かわせた。成す術もなく背中が地面へ叩き付けられ、言葉にならない声が勝手に口から飛び出した。
痛みに耐えながら即座に立ち上がり上空を見上げると、殴った箇所からパラパラと白い線状の物体が舞い降りてくるのが見て取れた。
だが、それだけだった。渾身の一撃を叩き込んだはずなのに、顔面がひび割れるどころか鼻骨の粉砕もままならず、ただ僅かに表層が削り取られただけだった。
「……そんな」
そして軋む音とともに瞬く間に骨が再生してゆく。
「……これはまた……」
乱れた呼吸の合間に少しでも頭を回し、身体を奮い立たせようと言葉を吐く。白い吐息が空気に霧散していくように、儚く聞こえはするものの。
「どうする……か」
(単純な打撃では力が足りない。それなら何か武器があれば? いや、仮に武器があったとしても並の武器ではきっと歯が立たない)
白い呼気が止まった。
(ーーあるいは鬼面仏心ならば)
どこまでも降り積もるような粉雪に紛れるように、景色と一体化していた白色の腕が緩りと半円を描くように動く。
「……くそっ」
(どうすればいい。あのときのあの光。どうすれば、また刀は復活するんだ?)
成す術のない紙都の頭上に、容赦なくその掌が振り下ろされた。避けることは容易い。だが、このまま避け続けても勝算はない。
(なにか、なにかないのか。なにか方策が!!)
諦めて回避動作を取ろうとしたその刹那。躯に怒号が突き刺さった。
「紙都! そのまま真上に跳べ!!」
(真上!?)
疑問を呈したのは既に跳躍した後だった。目の前ではもう身体を押し潰そうとばかりに骨を軋ませながら五指が開いた。
「関節だ! 指の関節を狙え!!」
言われるがままに拳を上げた。狙いは中指の第二関節。再び衝撃に備えて歯を食い縛る。
激突の瞬間。予想とは真逆に紙都の体は雪風に晒されていた。瞳の先が捉えたのは、分厚く覆われた雲の隙間に一点だけ射し込んだ陽光。
紙都の拳は硬い岩盤を貫き、宙へ飛び出した。
地に降り立つと紙都は隣へ首を振った。見下ろす日向の視線とぶつかり合う。
「一体、何が!?」
「言ったはずだ。目で追うな。聴くとは、耳と目と心で聞くことだ、と。この骸骨には大勢の精神が宿っている。適切な例えかはわからないが、魂とでも呼べばいいだろうか」
日向の目が追う先を紙都も追った。地面へめり込んだ掌が、頭痛が起きそうな軋轢音を轟かせながらようやく引き戻されていく。
「大勢の魂が合わさっているんだ。互いの意思がそぐわないときは、軋轢が生まれてもおかしくない」
「まさか……あの音はーー」
そのときだった。ビクッと脈打つように全身の骨が軋み、揺れ動く。がっちりと噛み合わされた歯が不気味に震えながら大きく開かれ、奥から喉から絞り出したような音が発せられた。その音は、どこか苦渋の音色を響かせながら、無為な風音に掻き消えていった。
「この骨と骨が擦れるような音。意思と意思がぶつかり合う音に聞こえないか? 一つに纏まりきれないそここそが、おそらくこの化物の大きな弱点だ」
日向が確信を持って言い切った直後、巨大な両腕が音を上げながら乱暴に上空へと掲げられた。よくよく地面を見れば、取り残された中指の先が融けるように消えていく。
「どうやら強硬派を怒らせてしまったらしい」
紙都が日向の呟きを理解するよりも早く、文字通りの豪腕が頭上目掛けて降ってきた。




