7.居心地の良い部屋と仰天エピソード
評価、感想、ありがとうございます。
あれこれと、散々迷いに迷った結果、カーテンはレースの物とクリーム色の地に大柄なデイジーが描かれた物を選んだ。2枚のカーテンは、ミスター・ガーナーが窓にかけてくれて、部屋の中の雰囲気が、先ほどよりも柔らかいものになった。
「一通り、片付きましたので、私はこれで失礼させていただきます」
「ありがとう。助かったわ」
「お嬢様、こちらも終わりましたよ」
ミスター・ガーナーを見送れば、今度はお魚のお兄さん。
彼の隣では、ヘルメスは水槽の中を覗き込んでいて「メルヘンにしたんだねえ」笑っていた。
「今は、水が少し白く濁っていますが、少しずつ落ち着いてきますので──」
「分かったわ。ありがとう。自分で言うのも何だけど、素敵ね」
水槽の中を泳ぐ魚は、サロンの水槽の魚と同じものを選んでくれたようだ。うん、綺麗。
「お気に召したのなら、何よりです。ですが、お嬢様? アクアリウムは生き物ですから、これからも少しずつ変化していきますよ。まだまだ、これからです」
「そうだったわね。これからも色々教えてちょうだいね」
日常での注意点や餌のやり方などを教えてもらって、お兄さんは引き上げて行った。
「ヘルメス? どうかしたの?」
「ん? いやあ、水槽ってば、人気が出たなあって思ってさ。シールがイェビナーで披露した時は、こんなに広まるなんて思ってもみなかったのに……」
しげしげと水槽を覗き込みながら、彼は半ば独り言のようなことを口にしたのだが──
「ちょっと待って、ヘルメス。今のアクアリウムブームの火付け役って……」
「シールだよ」
そんな、あっさりと……。
イェビナーは、この国から北西の方角にあって、流行の発信地として知られている。前世で言うところのパリのような位置づけにある街だ。そんな流行の最先端の街で、某貴族がレオン・バッハを馬鹿にしたことがあったらしく──
「そいつをぎゃふんと言わせてやるんだって、シールが巨大な水槽を用意したんだよ」
その大きさは、この部屋の壁とほぼ同じくらいらしい。珍しくも美しい魚を泳がせるのはもちろん、水草や流木などを使ったレイアウトは、まさに芸術品だと大絶賛されたそうだ。
「そんなこと、手紙に書いてなかったわ」
「拗ねない、拗ねない。実は、ぎゃふんと言わせた、その後が大変だったんだよ」
「お嬢様、お話の続きはお茶を頂きながらにいたしませんか?」
部屋に入ってきたディセルは、ティーセットが載ったワゴンを押していた。
「まあ! ありがとう、ディセル。いただくわ」
どうせなら、みんなとお茶をいただきたい。わたしは、ヘルメスとディセルにもお茶をすすめた。
初めは、遠慮していたディセルだけど、わたしのワガママだからと押し切れば、最後は「仕方ないですね」と笑ってくれた。
「ありがとう。わたしね、こうして会話ができることがとても嬉しいのよ」
学院でも家でも、わたしの話を聞いてくれる人なんていなかったもの。
ディセルからは、今後の参考にしたいからと、好きな物や嫌いな物をあれこれと聞かれた。
好きな物を聞かれるなんて、どれくらいぶりかしら。わたしは、兄から貰った物の中のお気に入りや、着られなくなったドレスをどんな風にリメイクしたかなどを話した。
ディセルはとても聞き上手で、ついつい色々と話してしまう。
ヘルメスは、話の合間に配達前後にあったことを面白おかしく語って聞かせてくれたし、ディセルもわたしの知らない兄のことについて話してくれた。
「まあ、そんなことが?」
わたしが目を丸くしたその時、部屋のドアをノックする音がした。ディセルが素早く立って、ドアを開けに行ってくれる。
「お帰りなさいませ。バッハ男爵閣下」
ライオット様が戻っていらしたようだ。わたしも席を立って、ライオット様をお迎えする。
忘れてたけど、ライオット様って男爵の爵位をお持ちだったのよね……。
兄がダンジェ伯の継承を認められた時に、ライオット様も爵位を賜ったのだと、今思い出したわ。駄目ねぇ、わたしったら。
「お帰りなさいませ、ライオット様。御足労をおかけいたしました」
「おう。今戻った」
わたしの頭を軽く撫でたライオット様に
「お疲れ~」
ヘルメスが座ったまま、ひらりと手を振り、労いの声をかける。
「ホーネストの家はどうだった?」
「どうもこうも……訪問の用件を伝えたとたん、蜂の巣をつついたような大騒ぎだ。旦那様がおりませんので、奥様がご不在で、ってな」
「それで、どうしたのさ?」
「デメテルがキレた。その場でセレネを呼んで、使用人たちを眠らせちまったんだよ。だもんだから、ステラの部屋が分からなくてよ」
まるで空き巣に入った気分だったと、ライオット様が肩をすくめた。
彼が話している横で、ディセルはライオット様がお持ちだった2つの大きなトランクを軽々と受け取り
「お嬢様、こちらの整理は、後程にいたしましょう」
「え、ええ。そうね」
見るからに重たそうなトランクなのに、ディセルは眉1つ動かさず、それをキャビネットの前に置いた。獣人って力持ちなのね。それとも、さり気なくヘルメスが力を貸したのかしら?
ライオット様とヘルメスが話し、ディセルが荷物を移動させている。テーブルの上を片付けるのは、わたしの仕事である。手早く片付けて、ライオット様には、ディセルが座っていた席に座ってもらう。
「お茶は、わたしが淹れるわね」
彼女へ意思を伝え、ワゴンの上の未使用カップを手に取った。
保温機能付きのケトルを持って、お湯をポットに注ぐ。ライオット様に飲んでいただくのだから、お礼の意味も込めて、丁寧にお茶を淹れた。
「しっかし、お前の部屋……ひっでぇな。どこのオバハンの部屋かと思っちまったぜ」
オバ……。確かに、若い娘の部屋とは思えないでしょうね。
日当たりは良くないし、家具は、流行遅れのどっしり型。壁紙は濃紺地にごちゃっとした幾何学模様で、ちょっと目に痛い。カーテンも紺で、明るさとは無縁の部屋だった。
「住んでたお前の前で言うのもどうかと思うけどよ、屋敷の中は暗いし、ところどころ成金趣味だし……よくあんな屋敷で暮らしてたな」
「あの部屋も居心地が良いとは言えませんでしたが、それでも他の部屋よりはマシでしたので、極力、部屋にいるようにしていましたから」
「極力って、食事は?」
「自分の部屋で取っていたわ。母が嫌がったし、仮に一緒に取るように言われても、適当な理由を付けて断ったでしょうね。食事の味が分からなくなりそうな気がするもの──」
「あ~……ダヨネー」
ヘルメスは、ゆっくりとした動作で頷いた。苦味を乗せた生温い顔に、わたしは苦笑い。
「父もわたしには、ほとんど関心がないようだったし……あの屋敷で、誰かと会話が成立することなんてなかったように思うわ。使用人も、わたしが指示しなければ動かなかったし、指示してもきちんと仕事をしないことだって珍しくなかったし──」
「ステラ、お前……苦労してたんだなっ! けど、お前、1人で頑張りすぎだ」
「そうだよ。シールなんて、僕が我慢する必要がどこにある? なんて──どれだけ俺らを振り回してきたことかっ……!」
ぐぐっと拳を握りしめ、ヘルメスが唸る。ライオット様は「全くな!」とうんうん、力強く頷いていた。え~っと……? 部屋の隅で待機してくれているディセルを見れば、笑顔を浮かべていた。うん、笑ってごまかそうって雰囲気が隠しきれていないわよ。
「お前は、もうアレだ! シールから絞り取れるだけ、絞り取れ! アイツは雑巾と一緒だから、何も気にしなくていい!」
「雑巾と一緒って……」どういう意味?
「絞っても、絞っても、水は出て来るって意味だよ。シールの場合、水じゃないけど」
ライオット様も、ヘルメスも好き勝手なことを言うわね。
「何なら、うちの連中動かしたっていいぞ」
「俺も、俺も!」
「いえ……さすがにそこまでは……」
お気持ちは大変嬉しゅうございますが、後が怖いので、遠慮させていただきます。というより、プロの傭兵や精霊に何をさせようと?
「え~、何で? 自分で言うのも何だけど、いい仕事するよ? 俺」
「そりゃいい仕事はするだろうけどよ、何する気だよ、お前は」
「何って…………内緒?」
たっぷり間を取って、彼はぬふ、と笑った。うふ、なんて可愛いものではなくて、ぬふ。マッドな気配を感じる。
こ、これは、どうしたら良いの?! ちょっと誰か、飼い主──っ!
「僕をのけ者にして、スーと話をするなんて……君らはいい度胸をしているな?」
飼い主キターー! けど、これはこれで危ない!
まさかの鬼ィ様降臨!
思わず悲鳴を上げそうになったわたしは悪くない。
そして、悲鳴を我慢できたわたしは偉いと思う。
何が仰天って、アクアリウムブームの発端が、シルベスターの「その喧嘩、買ってやらぁ!」から始まったことです。決して、鬼ィ様降臨ではないですからね