1.兄と嫁と友人と
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「突然の訪問、お許しください。わたしは、ステラ=フロル・エデア・ホーネストと申します。兄のシルベスター・ヴァレンタインに目通り願いたく、参上いたしました」
メイドじゃなくてフットマンが対応に出て来たことに少し驚きつつ、わたしは答えた。
彼の頭には、ピンと立ったお揚げ色をした三角形の耳がある。獣人の男性をフットマンとして雇っていることに驚くより先に、いなり寿司を思いだすわたしって、一体……。
人間の使用人と違って、獣人は仕える人間を選ぶのだそうだ。彼らを雇い入れる時、必ずお試し期間が設けられ、自分が仕える主として相応しいかどうか、見極められるのだとか。
そのため、獣人の使用人を持つことは一種のステータスになっているらしい。お金持ち特有の見栄を満たす為、雇用主になりたいと望む人は、あれこれと頑張っているそうだ。
ちなみに、ホーネストの家に獣人の使用人はいない。
さらに付け加えるならば、この世界には獣人の他にも鳥人や竜人などが存在しており、彼らの中には人を使う側の人もいる。
「──失礼します」
主人の妹を名乗るわたしを、いぶかし気に見やるフットマンは、ふさふさの尻尾を大きく揺らすと、いきなりわたしの首筋に鼻を近づけてきた。
「へ?! あ、ちょ……あの……?!」
嗅がれてる。思いっきり、匂いを嗅がれてる。スンスンと鼻を鳴らす音が聞こえてる。
今日はいい天気だけど、少し歩いたくらいでは、汗なんてかきそうにないし。昨夜は、ちゃんとシャワーを浴びて体も洗ったし、冷遇されてるから香水の類は持ってないけど、その分、庭のカモミールをポプリにして、タンスに入れてるし! 臭くはないはずだけど……?!
思わず、臭いですか、匂いますかと聞きそうになったその時、
「ふむ……この匂いは確かに旦那様のお身内の方ですね。どうぞ、中へお入りを──」
おぉぅ……そうか。身元確認だったのか。まさか、そんな確認方法があるとは。そう言えば、獣人って嗅覚に優れているって聞いたことがあるわ。あ~、びっくりした。
彼に促され、屋敷の中に入る。
兄が、この屋敷で生活を始めたのは、3カ月前のはずだ。インテリア関係は手付かずでも不思議ではないだろうに、屋敷の中は、驚くほどしっかりと兄の色に染まっていた。
そうそう。そうだったわ。うっすらと覚えている兄の部屋は、博物館みたいだったの。
この家もそう。玄関ホールに置かれた、アイアンワークが美しいシェルフには、化石の標本と小さなサボテンが飾られ、ベージュ色の壁にはポピーのボタニカルアート。廊下には、木彫りの仮面をはじめ、どこの国の民芸品だろう、と首を傾げるものがずらり。
通されたサロンにも、そういった物は置かれていたけれど、わたしの目を引いたのは、大きな水槽だった。青々と茂る水草の中には、赤や青の小魚が優雅に泳いでいる。
最近、アクアリウムが流行りだと聞いていたけど……兄も飼っていたのね。ちょっと意外かも。小魚の姿は、前世で見たグッピーやネオンテトラにそっくりだった。
水槽の前に張り付いて、気持ちよさそうに泳ぐ小魚の群れにほっこりしていると、
「どうぞ、お2階の方へ。旦那様がお会いになられます」
さっきのフットマンがノックと共に入室してきた。わたしは頷き、彼の後をついて行く。
案内されたのは、兄が書斎がわりに使っているというキャビネである。フットマンの彼がドアをノックすると、中から入室を許可する返事があった。
書斎の真正面には、どっしりとした濃茶色のデスク。羽ペンやら文鎮といった文房具の他、書類らしき物がデスクの片側に積まれているところを見るに、仕事中だったようだ。
椅子の背もたれに上半身を預け、こちらを見やる兄シルベスター。
兄と言っても、10年ぶりなので、距離感がうまくつかめない。この間は、ろくに話もできなかったし。
それにしても、先日会った時にも思ったけど、わたしは、本当にこの人と血が繋がっているのかしら? インテリ系美人と言えば雰囲気が伝わるだろうか。鋭角的でしゅっとした、硬質的なイメージなのよね。かくいうわたしは、太ってはいないものの、ふにゃふにゃのほにゃほにゃだと思うのよ。
両親とも、鋭角的だし。全然似ていないのよね……。わたしは、本当にこの兄の妹なんだろうか?
とは言え、そんなことを口に出せるはずもない。兄への挨拶は、笑顔でせねば。けれど、わたしが挨拶を口にするより早く、
「よぉ。久しぶり!」
「あ……えっと……ライオット……様?」
まさか、こんなところでお会いするとは、思わなかった。しかも、歓迎(?)のハグつきなんて! 嬉しいやら、恥ずかしいやら。
この方は、兄の友人、ライオット・エルファイン・バッハ様。獅子の獣人で、今も尻尾がご機嫌にゆらゆらと揺れている。何か、楽しいことでもあったのかしら? 後で教えていただけると嬉しいな。
それにしても、ライオット様ってば、大きい! 10年前も大きかった印象があるのだが、今も大きいわね。一目見れば、この方が戦う人なのだと──逞しい体躯や雰囲気で分かる。うん、かっっこいい。
この方、右目のところに十字傷があって、真顔でいると少し怖い印象を受けるのだけど、笑ったとたん、やんちゃ坊主っていう雰囲気に変わって……わたしが言葉に詰まらせていると「うん?」なんて、顔を覗き込んでこられてっ……! 気の利いたこと1つ言えない我が身がうらめしい。
この方、兄と一緒に俺TUEEE旅をしていたせいか、いつの間にやら『スカー・クロス』と呼ばれるようになったらしいわ。二つ名って言うの? そういうの、みんな、好きよねえ。ただ、ライオット様としては、あまり嬉しくないらしい。兄からの手紙にそう書いてあった。
「ライオット、嫁入り前の女性に何をしているんです。そのバカは気にせず、どうぞ、こちらへおかけになって下さい。ホーネスト伯爵令嬢」
書斎には、兄とライオット様ともう一方、いらっしゃった。この方とは、初対面だ。ただ、性別が分からない。男性にも、女性にも見える。声でも、判別は難しい。
着ていらっしゃるのは、ミントグリーンの男性用チャイナ服。スリットの間から濃い緑のパンツが見える。プラチナブロンドの髪は、緩めの三つ編みにして垂らしていらっしゃる。
「ええと……?」
どなた? という言葉を飲み込んで、兄を伺うと、
「ああ、ロアとは初めて会うのか。僕の嫁、グロリア・リリー・マレフィセントだ」
女性でしたか! それにしても──
「嫁? シール兄様、いつの間にご結婚を?」
「ロアとは、まだ正式に籍を入れた訳じゃないんだ」
「その……身分的な問題がありまして──」
申し訳なさそうに身を縮こまらせるグロリアさん。
その後で、挨拶が前後して申し訳ないと、頭を下げてくれた。挨拶ができていないのはこちらも同じ。わたしも初めまして、よろしくお願いします、と挨拶をさせてもらう。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
にこりと微笑む笑顔の美しいこと! 後光が見えるようだわ。性別が行方不明っぽいところも、イイ! 男装の麗人って……うっとりするわよねえ。いいもの、見たわぁ。
「あの……わたしにお手伝いできることがありましたら、遠慮なくおっしゃって下さいね」
グロリアさんに勧められたソファーへ座り、慌てて言葉を付け足した。こんな人が、義理の姉になるなんて……嬉しいかも。
「ありがとうございます」
はにかむ美人も最高です。隣の一人がけのソファーに座るライオット様が「猫被りめ」っておっしゃるけど、ここで猫を被らず、いつ被るというのか。
「ところでスー。先ぶれもなく、供もつけず、1人で訪ねて来るなんて、一体何があった?」
「は! そうでした。シール兄様、どうかわたしを助けて下さいませ!」
「助けて下さい、とはどういうことだ?」
兄が、眉間に皺を寄せた。そうよ、わたしったら、グロリアさんに見惚れている場合じゃないのよ。
「実は……」
異世界転生のこと、『カネ花』のことなどを伏せて、わたしを取り巻く状況を兄に説明する。話が進めば進むほど、兄の眉間の皺が深くなっていった。
全てを話し終えて、わたしはようやく一息つくことができたのである。
わたしが話をしている間に、メイドが用意してくれたお茶で喉を潤し──すっかりぬるくなってしまっていたけど──兄の言葉を待つ。
「ナイわー」
と、呆れ顔で顔を左右に振るのはライオット様だ。グロリアさんは表情筋を微笑みに固定させたまま「脳みそがないんですね」──毒を吐いた。
「バカだ、バカだとは思っていたが……ここまでバカだとは……救いがたいな」
ここにも毒を吐く人がいた。兄のお顔は、完全にヤサグレモードである。
「えっと……?」
「まず、幾つか確認させてほしい。そのアミュレットにある紋章は、台座に描かれていたり、台座と石の間に護符を挟み込んでいたり、石に直接彫った物ではないんだな? 石の中に閉じ込められたような物なんだな?」
「は、はい。その通りですわ」
わたしが頷くと、兄は右手の指をパチンと鳴らした。直後、わたしの視界を映画のパンフレットくらいの大きさの箱がすーっと横切っていく。
「ッ?!」
ポルターガイスト!? っていうか、どこから箱が?!
「テレキネシスの魔法だ。知ってるだろ。シールは無詠唱で魔法が使える」
「ま、まあ……そうでしたの」
濃い茶色のそれが、テーブルに着地するまで、わたしは息を止めていた。良かった。心霊現象じゃなかったのね。わたし、お化けってダメなのよ……。
「シール兄様……これは……?」
兄が魔法で持ち出して来た箱は、標本箱だった。仕切り板で区切られた中に並ぶのは、護符の模様と共にホーネスト伯爵家の紋章が浮かぶ、様々な色のアミュレット。
カサンドラが自慢げに見せびらかしていた、あのアミュレットとよく似た品が箱の中に納められていた。
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