9. 男たちの思い出話
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「ところでシール兄様、ライオット様。旅の話を詳しく聞かせて下さいませんか? 山向こうは、いかがでした?」
話がひと段落したので、わたしは旅の話を2人から聞くことにした。だって、手紙に書いてあることなんて、ほんのちょっとなんですもの。
グロリアと、どこでどんな風に知り合ったのかも聞きたいわ。
わたしが身を乗り出すと、
「想像以上に広いな。驚いたよ。見ると聞くとじゃ大違いだと、実感させられた」
「山越えは低いルートを選んで行ったんだが……それでも、山頂に立った時は震えたし、何より山向こうの景色に圧倒されちまった」
兄とライオット様が続けて、口を開く。
低いルートと言っても、背骨山脈は、富士山級かそれ以上の山々が連なっていたはずだ。登山経験なんてゼロに近いから、2人が見た景色を想像するのも難しい。でも、強い風に吹かれ、雲を下に眺めたら……世界の広さにただただ圧倒され、立ち尽くすしかできないような気がする。
「北を見れば、スネィロガよりもまだ広い森林がずっと地平線の向こうまで続いていて──あれは言葉が出なかった。一生かかっても調査を終えられそうにないな。広すぎるよ」
スネィロガは背骨山脈の麓に広がる森だ。兄が、この森にとても大きな興味を持っていたのは、わたしも知っている。旅に出てから、興味の範囲が背骨山脈まで広がったことも。
「山向こうの森は確か、スネィトマと言うのでしたか?」
「こちらではそのように呼ばれているようですが、向こうでは深魔の森と呼んでいます」
あちらの地図を見る限り、スネィロガよりも、スネィトマは広いらしい。その広さゆえに、森はほとんど手付かずの状態なのだそうだ。
「グロリアは、山向こうに詳しくていらっしゃるの?」
「私は、山向こうからこちらに来たのです」
「まあ! 本当に?!」
思わず、こちらに来て大丈夫なの!? と言いかけてしまった。──と言うのも、山向こうの国とこちらの国は、どこも正式に国交を結んでいないのだ。わたし自身、山向こうに人が住んでいることは知っているものの、それ以外のことは何も知らない。
「山を越えて、最初に目指したのがリッチェモントという湖だ。ここから、川を下って海に出て、大陸の南にあるヘリュム島を目指したかったんだが……」
「潮の流れが悪いとかで、船が出なくてな。待っている内に予定をオーバーしそうだったんで、諦めたんだ。んで、背骨山脈の最南端をぐるっと回って、こっち側に戻って来た」
「グロリアとは、ヘリュム島への定期船が出ている、シュアイアという町で会った」
「旦那様とお会いした時のことは、今でも忘れられません」
頬に手を当てて、ほぅとため息をつくグロリア。何かしら、彼女の深い所で様々な赤色が絡み合って、燃え上がっているような、そんな雰囲気があるわ。
艶っぽさの中にも、こう……何て言うのかしら? どうしてくれようか、というような、にっちもっさちもいかない、何かがふつふつと沸き起こっている、という感じ。
一体、どんな出会いだったのかしら? 気になるわ。
「グロリア、毒を垂れ流すんじゃねえ」
「おっと、失礼しました」
ライオット様の指摘に、グロリアは頬に当てていた手をはなし、少しだけ目を丸くした。
「あちらとこちらで違うところは、何かありますか?」
「ええ、ありますとも! あちらでは獣人を見るどころか、話に聞いたこともなくて。こちら側に来てすぐに、ライオットに三角の耳と尻尾が生えたのには驚かされました」
「えっ?! 山向こうには獣人がいないのですか?!」
「おう。少なくとも、俺らが旅した範囲では見かけなかったし、そういう匂いもしなかった。そんなところを、耳と尻尾を隠さずに行けば、確実に大騒ぎになるってんで、シールが擬態の魔法具を作ってくれたんだ」
「でも、レオン・バッハは大所帯なのですよね? 全員に魔法具を?」
噂によると、何千人という数の人たちが所属しているという。
「スー……僕にだってできることと、できないことがある」
「勘違いしてるヤツが多いけどよ、俺の親父は第8中隊の隊長であって、レオン・バッハ全体の長じゃねえんだわ」
「えっ?!」
そうなの!?
レオン・バッハには、16の中隊があって、各中隊には大体300人くらいいるのだそうだ。大昔ならともかく、今はこの中隊が独自に活動しているのだとか。それぞれの隊に活動拠点があり、ライオット様の所属する第8中隊は、この国を拠点にしているそうだ。
「んで、その300人をさらに10人前後に分けたのが小隊だ。出発の時は4小隊だったんだけどな、山を越えて、湖に行って、川を下ろうって頃は1小隊で行動してた」
「シール兄様がお作りになった魔法具は、20個くらい、ということですか?」
「実際には、もう少し少なかったけどね。小隊全員が獣人ではなかったから」
なるほど。獣人の傭兵集団として有名だけど、今はそれ以外の種族も受け入れていて、多種多様な人財が揃っているそうだ。
あら、いけない。話に聞き入っていたので、お料理を頂く手が止まってしまっていたわ。あ、このキャベツと人参の和え物、マスタードの辛みが美味しい……!
「それから、冒険者の少なさにも驚かされました。あ、冒険者というのは、魔物の駆除を中心に、人々の困りごとを引き受けることで生計を立てている人々のことを言います」
あちらでは、町や村といった集落から離れると、そこは魔物たちの住処となっているそうだ。人々は、彼らと何とか折り合いをつけて生活をしているものの、魔物が脅威であることに変わりはなく、困ったことがあると冒険者を雇って問題解決をはかるのだとか。
「こっちじゃ、町の外に出たって、道から外れさえしなけりゃ、魔物はほとんど出ねえからな。そういう稼業で生計を立てるのは難しいんだ。そりゃ、廃れるってもんだよな」
魔物が出ないのは、このあたりがまだ魔族の領土だった頃、魔族が主要道路に魔物避けの魔法具を設置していたからなのだそうだ。魔物避けの魔法具が効力を失った今も、魔物は近寄らないらしい。
「ただ、最近は少しずつ魔物の目撃情報が出ているらしいから、こちらでも冒険者として働く人間が増えてくるのかも知れないよ」
「とは言っても、しばらくは俺らみてえな傭兵の一人勝ちだろうな」
「そうでしょうね。今後、レオン・バッハとしてはどのような方針で?」
「さあなあ。来年の全体会議で問題提起するんじゃねえか? 将来的にはあっちの冒険者ギルドを参考に、似たような仕組みを作っていくんじゃねえかとは思うけどよ……」
今のライオット様の立場では、そこまで関われないのだそうだ。
「それはともかく、シュアイアでは、獣人は物語の中でしか登場しないのに、魔族は実在の人物として登場するんだ。面白いだろう?」
「えっ? 獣人はいないのに、魔族はいるのですか?」
「今から50年くらい前に、町に灯台を作った人物が魔族だと言われています。この灯台が出来たことで、ヘリュム島との行き来が安全にできるようになったそうですよ」
この魔族、褐色の肌を持ち、目が3つあったそうだ。
「最も、彼がシュアイアで目撃された最後の魔族のようですが」
「人を騙す手口として、自称魔族が出て来そうですけど、出て来なかったのですか?」
「3つの目を動かしてくれって言われた場合の対処法がない」
「シール兄様、魔族だから3つ目があるとは限らないでしょう?」
魔族と一口に言っても、その姿は様々なはずだ。力の強い方になればなるほど、人間とほとんど変わらない見た目をしていると学院の授業で習った。
「山向こうじゃ、魔族は3つ目だと思われているらしいぞ」
あ、なるほど。そういうことか。
「他の国でもそうなのかは分かりませんが、少なくともシュアイア周辺では、魔族は3つの目を持っていると思われていますね」
灯台は彼の名前をとって、シャクーヤ灯台と名付けられ、町のシンボルとして観光名所にもなっているそうだ。
良いわねぇ、旅。大変そうではあるけれど、楽しそうだわ。
さて、兄の旅だが、背骨山脈を越え、湖を見て川を下り、海を見て、陸路で山脈の麓を迂回してこちら側に戻ってくるまで、大体3年。そこから南部をずっと旅していたそうだ。
研究や論文の執筆、時にはレオン・バッハが受けた依頼の遂行などもあって、滞在時間が違っており、長い所では1年くらい同じ町で暮らしていたと聞いている。
「本当は魔族の国も見て回りたかったんだが……結局、ルァグーラの国境を越えたあたりまでしか行くことができなくて──」
残念だったと、兄は肩をすくめた。でも、聞き逃せない国の名前が出て来たわ。
ルァグーラは、獣人が治める国の1つで、この国の国境で起きたのが、アヴァローの諍いと呼ばれている事件。
兄とライオット様の名前が、世間に知れ渡ることになった事件である。魔族の1人が徒党を率いて、ルァグーラに攻め入ろうとした事件で、それを押さえたのが兄たち、という訳だ。
最終的には、魔族側から調停公と呼ばれる人物が派遣されて、諍いは手打ちになったと聞いている。詳しいお話を聞かせてもらいたかったのだけど、話せば長くなるから、また今度と言われてしまった。残念だわ。




