8.感情だけで先走るのはヨクナイ
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
「え~っと……?」
鬼ィ様の出現に、動揺を隠せないヘルメス。彼は視線を泳がせると──
「んじゃ、またねッ。ステラ」
逃げた! ライオット様が「消えるなんて、ズリィ!」と椅子から立ち上がるも、それ以上はどうしようもなかった。引きつった顔、ぎこちない動きで、鬼ィ様を見る。
鬼ィ様は、笑顔だった。そりゃあもう、イイ笑顔で……背筋が凍りそう。しかし、ここでひるんではいけない。こっそりと深呼吸してから、素知らぬ顔で笑みを浮かべ、
「……あの、シール兄様? わたしに、何か御用でも?」
声をかけてみた。自分でもびっくりするぐらい震えていたけど、これは仕方ないと思う。
「そうだった。夕食の用意が出来たから呼びに来たんだった」
「わざわざ、シール兄様が? ありがとうございます」
「これくらい、何でもない。食事が冷める前に、下へ行こうか」
「はい」
さっと差し出された手を取って、わたしは頷き返した。
鬼ィ様の出現は、本当に一瞬のことだったらしい。
「ライも食べていくだろう?」
兄は何もなかったかのように、ライオット様にも声をかけた。
「おう」
答えた彼は、ホッと胸をなでおろしているご様子。そりゃそうよね。恐怖と寒さで、歯の根が合わなくなりそうなくらい、鬼ィ様は怖かったもの。
兄のエスコートで食堂に向かうと、一足先にグロリアがいて、ぽっちゃり体型のオバチャンとにこやかに話をしていた。グロリアはわたしに気付くと、
「紹介しますね、ステラ。コックのエリカ・フェローです」
「ミセス・フェローは、僕のワガママを叶えてくれる、最高の料理人だ」
「ミセス・フェローのメシは、何でも美味いぞ」
彼女の紹介に続いて、男性2人が手放しで褒める。
ミセス・フェローは照れくさそうに、
「まあ、嫌ですよ、お二人とも。いくら何でも、ほめ過ぎですよ」
ほんのり色づいた頬に左手を当て、右手首のスナップをきかせた。前世で、隣に住んでいたオバチャンを思い出すわ。あのオバチャンも、こんな風に「いやだわ」なんて言っていたものだ。
「初めてお目にかかった身でありながら、失礼なことを申しますが、お嬢様は少しお痩せになっておられますね。ですが、もう安心して下さい。あたしが、美味しいものをしっかり、たんと食べさせて差し上げますからね」
任せて下さいと、彼女はどんと胸を叩いた。
「ありがとう、嬉しいわ。楽しみにしているわね。でも、ほどほどにしてくれるかしら? これでも、年頃の娘ですもの。食べることは大好きだけど、悩みを増やしたくないの」
イヤミに聞こえないように、笑顔と明るい声で。実際にやったりはしないけど、イタズラっぽくペロッと舌を出すような声音を心がける。
まだ若いから新陳代謝はそれほど落ちてはいないと思うけど、気付けば体重が……なんてことにはなってほしくない。ダイエットサプリなんてここにはないし、運動は苦手だから、食生活には気を付けたい。
「あら、まあ! それもそうですね。若い娘さんが無理にダイエットなんてするもんじゃありませんし、ほどほどにいたしましょう」
「お願いね」
わたしの遠回しなお願いは、きちんと伝わったようである。
「それじゃあ、あたしはこれで失礼させていただきます」
ミセス・フェローは、一礼をして食堂から退室していった。彼女がいなくなると、着席を促される。テーブルの中央には、可愛らしい名前も知らない小さな野の花が飾られていた。
テーブルには、カトラリーはもちろんのこと、スープとサラダ、前菜が乗っている。四角いお皿に乗った前菜は、色とりどりで美味しそう。残念なのは、キッシュぐらいしか料理名が分からないということ。1、2……9種類もあるわ。
「今日は、種類が多いな。いつもなら、この半分くらいだろ?」
「ステラがいますからね、張り切ったそうですよ」
「嬉しいです。どれから食べようか、迷ってしまいますね」
ウキウキしながら、まずはつみれのキノコソース掛け(見たままよ)を口に運ぶ。うん、美味しい。つみれは、鶏肉ね。とろっとしたソースがまた、美味しいの! 幸せ。
食材のほとんどは、牧場から運んでもらっているそうだ。まさに、産地直送。どれも、素材の味を引き出す薄味なので、いくらでも食べられそう。
「っと、そうだ、そうだ。1つ気になってたことがあったんだよ」
「何だ?」
スープをすくおうとしていた手を止めて、兄がライオット様を見る。ライオット様も、カトラリーを使う手を止め、
「いやな、カサンドラって言ったか? 伯爵の養女。さっきは感情的になってたから、詐欺だって言ったことも気にしなかったけどよ。9年前の話だろ? 9年前っつったら、お前、その子だって、まだ6つか7つのガキじゃねえか」
「あ……!」
ライオット様の指摘に、わたしたちの口がぽかんと開く。
「そんくらいのガキが、立派な恰好をした大人に『それは我が家に代々伝わる~』なんて言われてみろよ。そうなのかって、疑いもなく信じるだろ?」
「信じるな。アミュレットがいつ頃出回ったとか、そんなことだって知る由もないか」
確かに。大人が2歳児に騙されるなんて考えにくいように、そんな手口で、自分を騙そうとしている大人がいるなんて、子供は思わないだろう。飴をあげるから~とはレベルが違う。
「疑えという方が無理な話か。勉強をしておかしいと思っても、伯爵夫人に自分はあなたの娘ではない、とは言えないな」
伯爵家の名に、傷が増えかねないのだから、当然だろう。
「違いますよ、旦那様。家名に傷がつくとか、そういう話ではなく、貴族の生活を知った娘が、元の庶民の暮らしに戻りたいと望むかどうか、という話です」
「あ~……」
グロリアの指摘に、わたしたちはそれもありそうだと頷いた。
とは言え、カサンドラが自分を偽り続けている理由については、あまり重要ではない。大事なのは、彼女が自らの意思で伯爵家を騙そうとしたわけではない、という部分である。
「だからと言って、ステラにしたことがチャラになるわけじゃねえけどな」
「当然だ。我が家もヴィリヨ商会も、彼女とは関わらない。ヴィンス兄ィと相談する必要があるだろうが、将来的の縁切りも視野に入れて、嫁入り先を探してやれば十分だろう」
ホーネスト伯爵家を継ぐのは、長兄のヴィンス兄様だもの。勝手に動いた結果、迷惑をかけてしまっては、何をしているか分からないものね。と言うことで、忘れてはいけない重要事項──
「……あの、カサンドラは2年前に婚約しているのですが……」
これを言っておかなくては、噛み合う話も噛み合わなくなるかも知れない。
「何っ!? どこの誰と?!」
「サンドロック伯爵家のフランシス様です」
いずれは伯爵家を継がれる方ではあるが、人と争うことを嫌う、穏やかな方だ。のほほんとしていて、陽だまりの下でお茶を頂いている姿が良く似合う。きちんと『カネ花』にも登場していた。ただし、ヒロインの婚約者ではなく悪役令嬢の婚約者として。
漫画の中で、悪役令嬢がヒロインをいじめる理由は、ここら辺にもあったようである。
自分の婚約者は、同じ伯爵家の血筋ではあるものの、良く言えば穏やかで優しい人。悪く言えば優柔不断で頼りにならない。漫画でも、準レギュラーのキャラクターだった。
一方、ヒロインの周りに集まるのは、王子や、侯爵・公爵家のご子息など。どの方も将来性に加え、それぞれに違う魅力にあふれる人たちばかり。悪役令嬢に限らず、イケメンに囲まれたヒロインをよく思わない人がいるのは、当然だと思う。
ただ、それはあくまで漫画での話。カサンドラは、フランシス様も含めた逆ハーレムを築いているのだ。そのせいか、彼女の彼に対する態度は、あまりよろしくない。
「……ヴィンス兄ィと話し合わなくてはいけないことが増えたな──」
「そうですね。こちらでも情報収集はしますが、ライオットの方でもお願いできますか?」
「おうよ。サンドロック伯爵家な、あそこは確か、奥方が虚弱体質なんだよ。んで、薬を集めまくってる。ウチでも依頼を引き受けたことがあるし、良い医者を知らねえかって聞かれたこともある。薬屋を始める気かってくらい、集めてるはずだ」
そうなんだ。知らなかったわ。
「薬屋を開業する気なら、婚約に関係なく話をしても良いかも知れない。あくまで、向こうから話があったらの話だから、ここだけの話にしておいてくれ。スーもいいね?」
「はい、もちろんです」
やっぱり、政略結婚なのよねえ? カサンドラは「あたしが魅力的すぎるのがいけないのよね」なんて、ドヤ顔してたけど。昔も今も、フランシス様のご様子を窺うに、あの子が、彼の好みとは思えないのよね。彼、もっと、大人しい女性が好みなんじゃないかしら?
「旦那様、ライオットが気付いてくれてよかったですね」
「そうだな。あのまま指摘していれば、子供相手に何を、という批判が出た可能性もある」
先のことは分からないが、カサンドラを詐欺で糾弾することはしない、という方針は決定事項のようだ。




