なんで後々遅刻しそうになるのわかってるのに、いつも家をギリギリで出ちゃんだろうね(オリオン)
着陸態勢に入った飛行船の窓から、私は大空に浮遊する、その巨大な島を眺めた。
——空中都市オリオン。
立法、行政、司法などの三権をはじめとする、我が国、コーデルネシア連邦の、ありとあらゆる国家中枢機能が集中する、言ってみれば、この国の政治的な心臓部に当たる地だ。
そのため、他国からの侵攻阻止と、防犯テロ対策の目的として、島の下部に大規模な魔力ユニットを設置して、わざわざ都市を島ごと浮かせているらしい。
飛行船がゆっくりと、船尾から都市の飛行場に座ると、私はおもむろに自分の鞄を持ち、客室を出て、真っ直ぐハッチに向かった。
やがて、どこからともなくやってきた飛行船のクルーが、洗礼された俊敏な動きでハッチを開け、私に向かって丁寧にお辞儀をする。
私はそのクルーに軽く会釈しながら、飛行船の外に出る。
その瞬間、突如襲ってきた冷たい風に、思わず足を止めると、私の優秀な魔族の女性秘書シルクが、淡々とした口調で自らの意見を主張した。
「ハル先生、時間が押しております。お急ぎください」
「わかったよ……」
私は彼女の言葉に従って、足を進めた。
都内には、眼光鋭い警察官がいたるところに配備されていた。その独特の緊張感の漂う都市の様相は、以前私のいた、永田町にとても似ている。美しい街並みを見るために、迂闊に目をあちこちに遣っていたら、怪しい奴だと思われて、職務質問を仕掛けられるかもしれない。そのため私は、ある一点を集中して見つめることにした。
「先生———」
横を歩くシルクが私に顔を向けることもなく、唐突に話しかけきた。
「今日の委員会での質問文と、関連資料でございます」
「あ……ああ」
私は彼女から手渡された紙束を、乱雑に鞄にしまう。
「それから先生、先ほどから何故、私の胸ばかりを凝視しているのでしょうか?」
「……いや……別に」
おっと……やはりばれていたか。
私は名残惜しくも、シルクの豊満な胸から目を離し、彼女の小振りな尻に焦点を当てた。
「先生……」
長らく彼女と一緒にいるものでなければ、気が付かないほどに、先ほどとは若干語気が異なった。
——その差異は、彼女の怒りを表していることは明白だった。
「……すみませんでした」
西洋風の格式高い建物の立ち並ぶ、街道を抜けると、ある大きな建造物の前に到達する。
その外観は、なんとも品のあるゴシック建築なのだが、経年劣化からか、ところどころ、外壁にはヒビが入っていた。
ここは、コーデルネシア連邦の国権の最高機関である、五院のうちの一つ、無族院。
私はこの無族院の議員で、無族とは、コーデルネシアでは人間族のことを指す。
なぜ人間族が無族と言われるのかというと、他の種族から見れば、人間族は凡庸で特徴が無いからとか、無価値だからとか、いずれにしても、人間族に対する極めて差別的な理由であることには間違いない。
「先生、もうまもなく委員会が始まります。お急ぎください」
「ああ、そうだったな」
殺風景なエントランスで、手早く入場の手続きを済ませ、くすんだレッドカーペットの廊下を、小走りで議場に向かう。
私は右腕に巻かれた腕時計に目をやる——委員会の始まる三分前。
「少々まずいな……」
当選一回目の新人議員である私が、委員会に遅れたのでは示しがつかない。
それに、前回の選挙で散々に大暴れした私を、敵対視している輩も多い。もし質問時間になっても、議場に私が現れなかったら、私は勿論、我が党までもがメディアでぼろくそに叩かれ、私と我が党を支持してくれた国民からの信用は、永久に失わることになるだろう。
「私の質問時間は何番目だ?」
「最初でございます」
であれば、尚更遅れるわけにはいかないな——私は一層足を速める。
やがて、長い廊下の先に、木目調の扉が見えてくる。
——委員会が始まるまで、あと数秒。
シルクは扉に駆け寄り、両手でノブを思い切り引く。
私は足を止めることなく、額の汗をぬぐいながら議場に入る。
それからほどなくして、議場の扉は閉められ、それを確認した委員長が、ギャベルを二回叩くと、議場は静寂に包まれた。
——どうやら、すんでの所で間に合ったようだ。
「ただ今より、哭暦一七○○年、八月六日、無族院、外交委員会を開会致します」
外交委員会とは、端的に言えば、外交のことを話し合うための委員会だ。
昨今、我が国と隣国パレルモ共和国は、我が国の一部領土をめぐって、軍事的な緊張が非常に高まっている。下手をすれば、領土紛争に発展してもおかしくはないだろう。
——それだけに、今回の委員会は非常に重要な意味をもっている。
「各会派の質疑の持ち時間、並びに、質疑の順番は、お手元の資料をご参照ください」
私は自席に座ることなく、ゆっくりと演壇に近づく。
漆黒の革靴が、大理石の床を蹴るたびに、乾いた音が議場に鳴り響いた。
「では最初の質問者、白狼党、ハル君」
中央の演壇に立った瞬間、私の中で、様々な思いがこみ上げる。
私に協力してくれた、沢山の仲間たちのこと。
私がこの異世界で、政治家になろうと決意した、あの日のことを……。
いつまでも口を開かない私に、議場が徐々にざわつき始める。
それを制すかのように、私はめいっぱい声を張った。
「白狼党代表、ハルです!」
この異世界に来てから僅か二十年——今私の、新たな政治家生活が始まる……。




