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ちょっと趣向の違うものを書いてみました。戦闘描写多めです


 瞼を開く。

 暗闇に慣れた目に突然強い光が差し込んできて、男は目を細めた。

 投光機の太い光の帯が、海中で獲物を探す魚眼のように右往左往する。光の熱視線から逃れようと男は物陰へと身を潜める。少し上に目を投じると、棒状のアンテナが見えた。そのアンテナの半面を光が撫でる。男はアンテナを支える壁に背中を密着させて、息を詰めた。光が男の呼吸音まで感じ取るわけではない。だが、光に照らされればそれまでだという認識が常に頭の隅にあった。光はしばらく反対側の壁とアンテナの周辺を照らしているようだった。背中にちりちりとしたものを感じる。視線だ。誰かが狙いをつけている。男は手元へと視線を落とす。握った銃の重みが、肌に感じる冷たさが、否応なく現実を突きつけてくるようだった。どうしてこんなことをやっているのだろう。浮かんでくるのは場違いな思考で、ここで銃を捨てて光の前に立てばどうなるだろうとついつい考えてしまう。馬鹿なものだと一蹴して、再度銃を握る手に力を込める。肩越しに見やると、もう光は失せていた。

 今しかない。男は回りこみ、先ほどまで光が照らしていた場所へと身を低くしながら駆け寄った。背中に狙いをつけていた視線は幸いなことに消えている。コンクリートで固められた床の一角に、四角い金網でできた部分があった。男は懐から取り出した道具で金網の鍵を解除し、開いて中を覗き込んだ。ほとんど真っ暗闇に近い。男は一度首だけを突っ込んで周囲を見渡してから、次に足先から金網の中へと降り立った。懐中電灯を取り出し、周囲を照らす。身を屈ませなければ通れないほどに狭い通路だった。通常の歩行もほとんど不可能に近い。男は身体を沈ませてゆっくりと進み始めた。警戒を怠らずに銃口は常に前を向いている。足腰に負荷がかかったがいつまでもこのような体勢でいるわけではない。察するにここは空調用の区間だろう。ならば、もちろん館内へと侵入する手段はあるはずだ。

 侵入、という不意に脳裏で突き立った言葉に男は思わず身を固くする。そう、自分は部外者なのだ。この建物に侵入し、内部から破壊活動を行う。そのための武器、と握った銃の重みを確認する。そしてそのために今日まで鍛え上げた自分自身の身体だった。黙したまま、呼吸音さえ押し殺して進むと、僅かながら光が見えた。懐中電灯のスイッチを切り、男は足音を忍ばせてゆっくりと光へと向かった。四角い光が闇を切り取っている。影のつき方から考えて、廊下か、あるいはそれに類する通路だろう。人が通れるだけの光源が確保されていることは間違いない。男は慎重に空調用のダクトを開いた。まず首を巡らせて周囲を警戒し、足から降りる。出た場所は天井の高い通路だった。道幅は人が三人通れる程度。リノリウムに近い白の床を明るい色の光が照らしている。背後を振り返る。曲がり角はない。前に目を投じると、曲がり角が少し進んだ場所にあった。どうやら廊下らしいと判じた男は一歩踏み出そうとした。その時である。

 突如として光が赤へと転じ、鋭い警告音が耳朶を打った。男は銃を構えて辺りを見回す。すると、前方の曲がり角から何かの音が聞こえてきた。鉄が身を軋ませる音、甲高い機械の駆動音だ。男はその場に立ち止まって銃を構える。曲がり角から現れたのは、眼球のような巨大なカメラを備えた四つ足のロボットだった。前足の付け根に機関銃が備え付けられている。男の頭二つ分はある巨大なアイカメラがまず男を補足する。四つ足が緩慢な動作でそれに追従し、男へと機関銃の銃口を向けようとした。だが、男とてもちろんそんな暇を与えるわけにはいかない。アイカメラが男を捉える寸前に、床を蹴って走り出した。銃を構え、的そのもののような巨大なカメラへと一発、前足を駆動させるローラー部分へと一発ずつ撃ち込む。持っている銃は所詮ハンドガン、致命傷を与えられるとは思えない。だが、カメラが一瞬でも男の姿を見失い、動きが鈍ればそれで十分だった。水鳥が飛び立つように、軽やかに跳躍し、男は機械へと背後から組み付いた。人間へとそうるすろうにカメラ部分と本体の接合部を締め上げる。無論、機械が窒息死する道理はない。男は大腿部に装備しておいたナイフを抜き取り、逆手に持って接合部に突き立てた。ケーブルが数本千切れる。だが、それで機械の活動が止まるわけではない。男は呼気一閃、頚動脈を裂くようにナイフで掻っ切った。血飛沫の代わりのように、火花が上がる。だが、それでも動こうとする機械へと、男は銃を突きつけ四肢を動かす機関部に向けて何度も銃弾を放った。それ自体が獣のように凶暴な銃声が機械の駆動音と一緒くたになって響き渡る。最後の弾を撃ち切ったのとほとんど同時に、機械が後ろ足のローラーを駆動させ、突然に暴れだした。断末魔の叫びに近いその動きに男は戦々恐々するよりも、脳のアドレナリンの過剰分泌による興奮からか、ナイフを振り上げて機械の心臓部を何度も突き刺した。暴れ馬のような機械と男の戦闘は、実際の時間で言えば一分とない。だが機械がようやく動きを止めた時、男は荒く息をしていた。一機を仕留めるのにこれほど時間がかかるとは思わなかった。ともすれば、次は体力が持たないかもしれない。男はそう感じながら、機械の残骸を蹴りつけて、廊下を歩いた。アラーム音がけたたましく鳴り響き、視界は赤く染まっている。男は左大腿部から銃のマガジンを取り出した。空になったマガジンを捨てて、それを装填する。

 男は銃を構えたまま、廊下の奥を見据えた。一直線の道の突き当りには、扉がある。重々しい鉄の扉だった。扉の横には静脈認証のパネルが備え付けられている。男は手袋を取り出して、それをつけた。静脈認証の装置をカモフラージュする特殊な材質でできている。男はその手でパネルへと触れた。短い機械のアナウンスが響き、扉が開かれる。

 扉の向こうは廊下とは打って変わって、静寂と暗闇に包まれていた。赤い廊下から男は部屋の中へと一歩踏み出す。直後、背後で扉が自動的に閉まった。それに驚く暇もなく、重い音が響き渡り、強い光が網膜を刺激した。照明が点くと、この部屋が思いのほか広いことを思い知らされる。天井は高く、吹き抜け構造になっておりフロア同士を繋ぐブリッジが張り巡らされている。仰ぎ見ている男の耳へと不意に、何かの駆動する音が聞こえてきた。そちらへと目を向ける。部屋の中央に人影があった。だが、それは人間ではない。確かにシルエットは人そのものだが、見れば見るほどに違いが分かる。それは銀色の体表をしていた。四肢の接合部には赤いケーブルが筋肉の組織のように複雑に絡まりあっている。頭部は厳つい成人男性を思わせる。目の部分が横長の四角いバイザーになっており、その表面で青い光の筋が走った。人型の機械、アンドロイドだ。アンドロイドは僅かに顔を上げ、男をそのバイザーに捉えた。男は銃を突き出して身構える。細く長い息を吐き出し、緊張を取り除こうとするも目に見えて強張った肩が緊張の只中にあることを隠しきれていない。アンドロイドが一歩踏み出す。思った以上に機械の駆動音がない。機械じみているという印象はまるでなく、逆に極度のプレッシャーに苛まれている自分のほうがよっぽど機械のような動きをするのだろうと男は予想した。アンドロイドがまた歩を進める。どこをやれば効果的なダメージを与えられるのか、男の思考はそれに塗り潰されようとしていた。真正面からやりあって勝てる相手ではないことは明白だ。アンドロイドの動きには一部の隙も見出せない。先程の機械のような攻略法を試すには空間が広すぎる。どちらにせよ、ネックになるのはアンドロイドの視界、そして一撃の攻撃力。攻略するためにはこのふたつを熟知しなければならない。だが、短時間でアンドロイドの性能を知ることなどほとんど不可能だ。

 ならば、どうする。突き当たった疑問に、男は歯噛みした。どうすることもできない。この状況では、離脱すらも困難だ。男はアンドロイドの背後にある扉へと目をやる。懐へと潜り込んで一撃を回避した後に、すぐさまあの扉へと走り込み最低限の戦闘行為のみを行って離脱というシミュレーションを頭の中で組み上げる。できるか、という問いかけは無意味だ。やるしかない。男は銃を手近に構えた。奥歯を噛み締めると同時に逡巡を振り払い、男はアンドロイドに向けて走り出した。それとほぼ同時にアンドロイドが歩調を速める。気づいたか、という思考が過ぎったのも一瞬。アンドロイドの懐へと潜り込むために姿勢を低くする。どのような格闘攻撃を行ってくるのか全く予想がつかない。だが、頭の高い状態では攻撃を避けることなど到底かなわない。男はアンドロイドへと全身をぶつけるように、猛進した。アンドロイドが片腕を振り上げる。横薙ぎの攻撃が来る、と判断した身体が針のように感覚器をささくれ立たせ、男は咄嗟に身を低く落とした。その瞬間、鳩尾へと鋭い一撃が襲いかかる。膝蹴りで腹をやるつもりだろう。男はそれも予見していた。姿勢を落とすと同時に、銃から離した片手を突き出し、それを鳩尾へと飛び込もうとしていた膝へと添えた。アンドロイドの攻撃を受け止めて、男はその余剰エネルギーを利用して後方宙返りを決めていた。空中で目まぐるしく視界が移り変わる中、一瞬だけアンドロイドの顔が視界に映る。それを逃さず、男は素早く空中で照準を合わせアンドロイドの頭部へと銃撃した。鉄同士がぶつかり合う激しい音が響き、アンドロイドが僅かに仰け反る。男は身を捻りながら着地し、すぐさま床を蹴りつけアンドロイドの脇を走り抜けようとした。

 作り出した一瞬の隙、それを逃すわけにはいかない。

 だが、その進路は突然伸びてきたアンドロイドの腕によって阻まれた。アンドロイドに目を向けると、まだ顔を仰け反らせたままである。では、どうして、と思ったその視界の中に部屋の各所に備え付けられている監視カメラの姿が飛び込んできた。やられた、と男は感じると同時にアンドロイドの太い腕によって投げ飛ばされていた。空中で姿勢を制御する、などという離れ業ができるわけもなく、男は壁へと叩きつけられた。一瞬、呼吸ができなくなるほどの衝撃に見舞われ、男は白みかけた視界の中にアンドロイドを見据える。アンドロイドはゆっくりと頭を戻して、人間がそうするように首をひねった。何ともないというアピールのつもりか。男は毒づきたかったが、そのような気力さえも湧き上がってこなかった。代わりに、男はこの空間を見張っている監視カメラへと目を走らせる。一番近いブリッジの下に三つ、アンドロイドと同じ視線の高さに四つ、見えないが恐らくは足元にも数個。破壊しきれる数でないのは一瞬で理解できた。つまりだまし討ちは通用しないというわけだ。

 男は再度銃を握る手に力を込める。真っ向勝負でアンドロイドを破るしか、この場で生き残る方法はない。だが、それが不可能だから自分はそういう戦法は取らなかったのだ。できれば苦労はしない。

 男は脳内に幾つもの戦闘パターンを浮かび上がらせる。どれがアンドロイドを倒すのに適しているか。中距離の戦法ではダメージを与えることは難しい。現にほとんど近距離で放った弾丸ですら無効化する装甲だ。ならばゼロ距離まで近づいて、心臓部を直接叩くか、という線も考えたが駄目だと首を振る。接近戦で勝てるとは思えない、それに加えてどこか心臓部かも分からない。先程廊下で交戦した機械のように分かりやすい構造ならばよかったが、相手は高密度の装甲に身を包み弱点となる部分はほとんど露出させていないマシーンだ。僅かに見える制御ケーブルを切るか、と考えたが、それもアンドロイドの攻撃の応酬を避け切れればの話。一撃すら避けられるか分からない現状では危険すぎる賭けだった。

 男の逡巡を他所に、アンドロイドは一歩一歩男へと近づいてくる。決断を急がねばならなかった。ある一定の距離を取っているならば、と男は部屋を周回するように壁沿いに走り出した。アンドロイドはその装甲の厚さと重量故に、そう簡単には人間に追いつけないはずだ。男はそう考えた。走っているならば追いつかれる心配はないと。

 アンドロイドは爪先で立って踵を浮かせた。アンドロイドの踵に収納されていたローラーが引き出され、アンドロイドは片手をついて前傾姿勢を取る。金切り声にも似たローラーの回転する音が響き渡り、アンドロイドが男に向けて滑走する。男は覚えず舌打ちを漏らした。侮っていた機動性を完全にカバーする機能すら持ち合わせているとは。男は迫ってくるアンドロイドへと銃を一射した。走りながら足元のローラーを狙おうとするも、氷の上を滑るように巧みに避けられる。頭部を狙った弾丸は腕に弾かれた。学習している、と感じると同時に、ならばと男は足を止めた。振り返り、肉迫するアンドロイドを待ち構える。アンドロイドは速度を落とさない。男は思い切ってアンドロイドへと走り出した。急な方向転換などできまい、そう判断しての行動だった。予想通り、アンドロイドは突然迫ってきた男に戸惑ったようだった。男は身体を風車のように捻り、上段回し蹴りをアンドロイドの頭部に向けて放った。鈍い音が響き渡る。足に痛みが走った。アンドロイドは衝撃を減殺しきれずに、体勢を崩す。そこへと間髪いれずに足元を払った。アンドロイドの身体が床へと投げ出される。床を滑るアンドロイドへとすぐさま体勢を整えた男が照準を合わせた。もちろん、足元のローラーに向けてだ。床を転がったアンドロイドは無防備そのものだった。足裏が見えている。男は正確無比な銃撃をモーター部分に放つ。銃から弾き出された弾丸は吸い寄せられるようにモーター部分に命中した。着弾と同時に僅かに火花が散る。アンドロイドが丸太のような太い腕を振るいながら立ち上がる。だが、モーター部分は何の装甲も施されていなかったために、ローラーは完全に使い物にならなくなっていた。これで機動性を殺した。あとは、と男は装弾数を確認する。残り、五発。予備のマガジンはもうない。勝負を急ぐしかなさそうだった。転倒の瞬間に急所を攻撃できればよかったのだが、弱点がまるで分からない。ケーブルを切断するような暇はなかった。それにもう同じ手は通用しないだろう。

 真っ向勝負しかない。

 全方向をカバーする監視カメラを破壊できていない以上、対等な勝負というわけではないが、男にはこれ以上にアンドロイドの裏をかける気がしなかった。死角のない敵、だが白兵戦ならば、と男は銃をホルスターに仕舞い、腿に隠し持ったナイフを取り出した。ゆっくりとアンドロイドへと歩み寄る。アンドロイドも男へと鋼鉄の足音を響かせながら近づいてくる。アンドロイドに中距離武装がないのは不幸中の幸いだった。そのような武装がもしあったなら、もう男はやられているだろう。ナイフを逆手に握り、男は振り上げた。左肩口のケーブルを狙って打ち下ろす。だが、それは腕によっていとも簡単に阻まれた。無論、それを予期していないわけではない。空いた方の手でアンドロイドのがら空きの顎へと掌底をくらわせる。アンドロイドの頭部が傾ぎ、視界がぶれたと思った瞬間、受け止められていた腕を返してアンドロイドの首筋へとナイフを突き立てた。火花が散ると同時にアンドロイドのバイザーに赤い線が走る。アンドロイドは両手で男の腕を引き剥がそうとする。だが、男とてここでチャンスを逃せば次はないことを理解しているために、簡単に引き下がるわけにはいかない。渾身の力を込めてナイフでケーブルに覆われたアンドロイドの首の奥へと刺し込んだナイフを緩めることなく手首を返してさらに深く抉りこむ。人間で言えば頚動脈に当たる部分だ。アンドロイドの脳も頭部にあるのだと考えれば、当然弱点に近いであろう。これは賭けに近い。人間とアンドロイドが同じ弱点を持っているであろうという予想の上に成り立っている危うい賭けだ。賭けに負ければ、男は命を失う。アンドロイドは腕を外すのを諦めて、男の首を締め上げた。万力のような力に視界が暗くなりそうになる。それでも男はナイフを持つ手を緩めようとしなかった。首を絞められているせいか酸素不足に陥った身体に神経が正しく繋がっているのかどうか不明瞭になる。ほとんど握っている感覚は薄れている。だが、それでも男はナイフをより深くアンドロイドの首へと抉り込んだ。バイザーに赤い線が無数に浮かんでは消えていく。アンドロイドは男を締め上げたまま、捧げるように持ち上げた。足が床から離れる。ほとんど視界はないに等しい。頭に浮かぶものもほとんどない。人は死の淵に至れば走馬灯を見るというが、男の脳には何も浮かんでこなかった。あるいはそれが男の人生だとでも言うのか。その時、脳裏に何かがちらついた。一面が緑色の景色の中、虚無の中に屹立する己自身の背中がある。それが何を意味しているのか。その背中へと手を伸ばす前に、男は突然投げ出された。食い込んでいたアンドロイドの手から離れ、男は床に転がり落ちた。何度もむせ、激しい眩暈と頭痛を味わった。ようやく顔を上げると、アンドロイドは首にナイフを刺し込まれたまま活動を停止しているようだった。バイザーには何の光も浮かんでいない。男はアンドロイドを軽く押した。アンドロイドは何の抵抗もなく後ろへと倒れた。首筋にはナイフが柄の付近まで深々と突き刺さっている。賭けに勝った。その実感がようやく湧いてきたと思った刹那、空気の抜けるような音が耳に届いた。新手か、とそちらへと目を向ける。すると、入ってきたのとは反対側の扉が開いていた。来い、とでも言うのか。男はホルスターから銃を抜き取り、装弾数を確かめてからゆっくりと歩を進めた。何を仕掛けられているか分かったものではない。またアンドロイドのような強敵が現れないとも限らない。男は扉の前に立った。中の照明は一色なのか、緑色の光に包まれている。耳にこびりつくノイズ音が煩わしい。男がその場で突っ立っていると、中から「入りたまえ」と声が聞こえてきた。人間の声だ、と認識すると同時に男は扉の中へと踏み出していた。身体が部屋に入った瞬間、背後の扉が閉じた。振り返ったのも一瞬、男は部屋の中を見回した。先程の吹き抜け構造の広い部屋とは打って変わって機器がひしめき合っているような狭い部屋だ。息苦しささえ覚える。さしずめ、先程の部屋が闘技場だとするのならばここを示す言葉は――。

「ようこそ、私の研究室へ」

 その声に男は目を向けた。部屋の奥、幾つものモニターのある場所に黒い革張りの椅子の背があった。くるりとそれが振り返る。座っていたのは初老の男だった。研究者なのか、白衣を着ている。モノクルを片目につけており、白い口ひげはどこか浮世離れした印象を受ける。

「君の戦闘は見させてもらった。アンドロイド相手に実に興味深い戦いぶりだった。やはり、生身の人間と機械との闘いは何度見ても飽きない」

 顎に手を添えて話す仕草は柔らかいが、男はその奥に研究者の狂気を感じ取った。この研究者は歪んでいる。その確信に、男は握った銃を研究者に向けていた。

「何の真似かね」

 研究者が肩を竦める。男は、黙れ、と告げた。

「私を裁くと。そう言いたげだが、どうして君が裁く」

 それが、課せられた使命だからだ、と男は返した。研究者は「ふむ」と興味深そうに男を見つめて、

「では、使命とは。何だ?」

 それは、と男は口ごもった。何故か。自分が確かに帯びているはずの使命が喉から出てこない。それどころか頭の中にもない。一体自分はどうして、この施設に侵入したのか。研究者は男の様子を見て笑った。

「言えまい。そうだろう。君の使命を君自身が知らない。それもそのはずだ。そんなものなど初めから存在しないのだから」

 どういうことだ、と男は銃を向けて声を荒らげた。研究者は男の怒りと混乱を落ち着いた様子で観察しているようだった。

「分かるよ。怖いんだろう」

 怖いだと。そう口にした瞬間、男の中で初めて恐怖が実体を持って身体に纏わりつくのを感じた。蛇のように陰湿な恐怖。頭の先から爪先まで金縛りにでもあったかのような、得体の知れないもの。

「君には使命がない。何のためかも分からずにこの施設に侵入した。どうして疑いを持たなかったか。簡単なことだ。それ自体が、君の存在意義なのだから」

 ふざけるな、と男はいきり立って反発する。研究者は「まだ分からないか」と少し肩を落として呟いた。

「自分の経験を絶対として人間は生きていけるのか。経験の蓄積が人間を形作るのか、それとも人間にはそれ以上の意思があるのか。脳からの神経伝達だけではない。魂と呼べる根幹の部分が存在するのか、否か」

 何を言っている、と男は銃を突き出して歩み寄ろうとした。その時、研究者が手元のキーボードのエンターキーを押した。

「無駄だ。それ以上の侵入は許可されていない」

 男はその場に縫い付けられたように動けなくなっていた。頬の筋肉ひとつすら満足に動かせない。研究者は両手を組んで続けた。

「君はそのために造られたんだ。人間の素材と完璧なまでの戦闘技術を身につけた極上の実験体として。不思議に思わなかったのか。誰一人として人間のいないこの施設。そして用意されたように存在する機械の兵隊。監視カメラの存在。そして、それ以上に」

 研究者はノートパソコンのディスプレイを男に見えるように向ける。

「君は喋れないということに。君の会話ログは、ほらここにある」

 目を慄かせる。思考が揺すぶられる感覚に眩暈すら覚えた。ディスプレイには男が発したつもりだった言葉が羅列されていた。

 馬鹿な、そんなことが、と男が発するとその通りにディスプレイに文字が刻まれる。何のために、と呻く。だが、それは声にならずに文字情報として表示された。

「言っただろう。経験の蓄積で人は形作られるのか。経験をリセットすれば、人はどういう行動を取るのか、そのための実験だよ。何度見ても飽きないよ、君と機械との戦闘は。侵入、簡易的な機械との戦闘、アンドロイドとの死闘。何度目か教えてあげよう。これで五十二回目だ」

 男は、そんな、と口にした。それも文字として処理された。五十二回。そんなにも同じことを繰り返していたというのか。

「魂などという非科学がこの世に実現しうるのか。魂があるのならばこの迷宮から抜け出せるのか、試したかったのだよ」

 研究者が立ち上がる。男は引き金を引こうとするが指は全く動かなかった。研究者の手が男の額に添えられる。男の視界は滲んでいた。研究者が「ほう」と興味深そうに顔を覗き込む。

「涙を流したのはまだ三回目だ。貴重なデータが取れた。ありがとう。それでは」

 男は叫んだ。その言葉すら声にならずノートパソコンに激しく表示されるだけだった。

「次に会うときまで。五十三回目の人生を」

 瞼が閉ざされる。男の意識は無辺の闇の中へと消えた。


 瞼を開く。

 暗闇に慣れた目に突然強い光が差し込んできて、男は目を細めた。投光機の光が強く、突き刺さるかのようだった。男は自分の使命を思い返した。この施設に侵入する。

 その先は、まだ分からない。


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