ある晴れた昼下がり
赤い空に黒い雲と黒い太陽。空気中を漂う青黒い毒素。
毒素は地底から流れ出て、吸った者の生命力を容赦無く奪い去っていく。
一人また一人と目の前で人間が、あらゆる生物が倒れ、そして目を覚ます時には自我を失い暴れた。
理性を失った生物たちは互いに殺しあう。
世界は終焉へと歩み始めていた。
青く澄み渡り、白い雲ひとつない空の下で純白のマントを靡かせて整った顔立ちをした銀髪の青年クーザはラクリア国のとある小さなココナツ村に暮らしていた。その面立ちと聡明さから村では王子と称される程だが、そのような生い立ちではなくただ平凡な青年である。とは言え元々ココナツ村の生まれではなく、数年前にふらりと現れてこの村に腰を据えたのだが。
村人たちからは「何故わざわざ何もない小さな村に?」と口を揃えて問われたものだがクーザにしてみれば「落ち着いたから」という言葉しか当てはまる理由もなかった。
最初こそ容姿端麗な青年が何故…と訝しんだ村人もクーザの直向きな働きぶりに徐々に心を開き、今では村の住人の一人として認められていた。
世辞にも広いと言えないココナツ村では住人が少ない為人口密度さえも低く更には若い者よりそれなりの年の功を経た者が多い印象を受ける。
家と同じ位の割合で田畑のあるこの村では多くの村人が畑仕事に勤しんでいた。
クーザは老夫婦の住む民家の屋根の上でそんな見慣れた風景を眺めていた。
その家の持ち主である老夫婦も絶賛畑を耕し中だったのだが、キョロキョロ辺りを見回しながら歩いている赤みのかかった茶色い髪を持つ青年を見かけると老婆は曲げていた腰を起こして声をかけた。
「シギ坊! クーザを探してるのかい?」
声をかけられたシギと呼ばれた青年はパッと振り返ったのち苦虫を噛み潰したような顔をする。
この青年、クーザとは同じ年頃で気が合う為特別仲が良い。背丈はクーザよりやや高く、体格もがっちりとしていて喧嘩に強い。
雨に弱い所以外は非の打ち所のない青年だと評価する。
「ステラさん…いい加減その“シギ坊”ってのやめてくれないか…もうそんな歳でもないんだから。
……で、クーザどこか知ってますか?」
「私からすればいつまでも坊やだよ。クーザならほら、屋根の上」
ステラの差す指を辿って上を仰げば、丁度自分の名前が聞こえて屋根の上から覗き込むように見下ろすクーザと目があった。するとシギの顔は苦虫を噛み潰したようなものから呆れたものに変わる。
「お前…高い所好きだよなぁ」
「なっ!? 違うぞ! ほら、屋根の修理!」
呆れるシギに心外だとばかりにクーザは手に持つ小振りな木槌を掲げて見せる。
今日は朝から雨漏りするとステラに相談されて直していたのだ。そりゃまぁ確かに屋根の上に居ることは少なくはないが、いつものように寝ているわけではないし、そんなことをしているのは決まって夜である。昼間からゴロゴロしていた記憶はない。
冗談でからかっただけなのだがムキになって言葉を返すクーザにシギは「はいはい、悪かった」と軽く両手を上げた。
「修理終わりそうか?」
「ん? あぁ。終わってる」
「なんだ、やっぱりゴロゴロしてたのか」
「違う! いま終わったところなんだ!」
またすぐにムキになるとシギは笑う。そんな2人の掛け合いはココナツ村の名物のようなものでステラはまた始まったと思いながら仕事に戻る。
ココナツ村の民家は一階建てで屋根も大して高くはなく、梯子も使わず軽やかにひらりとシギのもとに飛び降りたクーザは木槌を右手でくるくると回して弄ぶ。
「それで? 何か用事か?」
「あぁ、親父からでな。村の畑の肥料が減ってきたんだと」
「村の…って、またすごい量だな? 村長いつも無くなってからまとめて頼むの悪い癖だよな…」
クーザは自分の腰に手をやってそこに剣の鞘が掛けられていないことを確認すると自分の家に足を向ける。シギもちらりと視線を向けたステラ夫妻に軽く会釈で挨拶をするとクーザの横に並ぶ。
ちらりとシギの腰に目をやればそこにはちゃんと剣が携わっていた。
広くはないココナツ村ではどこにいても大抵5分と歩けば目的の場所に着くことができる。
間も無く到着した我が家の扉を開ける必要もなく、クーザは家の表に立て掛けていた剣を腰に下げると代わりにそこに木槌を無造作に置く。王子と称されるこの青年は変な所で粗雑なのである。
「お前な…その家の前に物を置く癖直さないか?」
「いやだってほら、手間が省けるだろ。家なんて寝る時くらいしか使わないし」
「クーザの場合寝る時も屋根の上やらで家の中では滅多に寝ないだろ」
何故この青年は賢く整った顔立ちをしているというのにこうも残念な面もあるのだろうか。これさえなければ完璧なのだが。
とはいえ完璧なクーザというのも付き合いの長い今となれば気持ちの悪いものでもあるわけなのだけれど。
買い出しというのは村を出て別の町まで行かなければならなく、剣を持つのは何かあった時の保身の為だ。ココナツ村で若い男で剣を扱うことができるのはクーザとシギくらいなもので買い出しはだいたいこの二人で行っている。
ココナツ村の名コンビは村の人たちに軽く挨拶を済ますと外の世界に足を踏み出した。
村の必要物資の買い出しは主にココナツ村から出て南西の方角に進んだ所にある隣町オルトで済まされる。
ココナツ村と比べると活気があり、町の広さも人の多さも倍はあるだろう。
しかし隣町オルトに辿り着く為に避けられない街道では盗賊被害を多く耳にする。この世界、盗賊というものはそう珍しいものではない。その為こういう所を通る時は大抵他の街や村では馬車にその護衛や用心棒を雇ったりするものだがココナツ村には生憎とそのような便利な職業はなかった。
だからこその剣とそれを扱えるクーザとシギが買い出し役なのである。
◆
時はまだ正午過ぎ。太陽はほぼ真上でラクリア国を明るく照らしてくれている。
隣町には何度も訪れた事があり、ココナツ村から歩いてかかる時間は片道2時間程度。帰りは荷物もあってもう少しかかるだろう。それでも暗くなる前に帰ることは難しくはなく、隣町オルトで多少ならばゆっくりする時間もありそうである。
クーザはそよそよと風に揺られる街道の外れに咲いている桃色の花から少し前を歩くシギに顔を向ける。久しぶりの大きな街なのだ。
「シギ! オルトに着いたら本屋に寄るぞ!」
声を掛けられたシギは歩く足はそのままに首をクーザへと回す。
クーザの目は無邪気な子どものようにキラキラと輝いていた。少し時間に余裕のある買い出しに行くといつもこうだ。かく言うシギも表にはあまり出さないが内心多少なりとも気分は高揚していた。
「いいけどあまり熱中しすぎて時間忘れるなよ。俺も武器屋を覗きたいと思ってたんだよな」
「武器屋? 新しい剣か?」
今のような買い出しや狩り等、村から出る時は用心のため持ち歩くけれど活躍の場は少ない。よって新しい剣を調達する必要はないはずである。長い付き合いだが見て楽しむ趣味があったとは聞いていないしそんな光景を見た記憶もない。
「剣じゃなくて弓だよ。この間の狩りでポッキリ真ん中から逝っちゃってなぁ…」
「あぁ、あの弓も長かったしな」
そういえば折れたって言っていたなと思い出しながら納得する。剣と違って弓は一つの物を村のみんなで共有しているのだ。新しい弓を調達しなければ困るのは自分たちだけではない。少し壊れた程度なら軽い処置を施して使っていたのだけれどあれはもう直しようのない壊れ様だったので処分したのだ。
「一緒に見るか? 弓」
シギの誘いにクーザは間髪入れず首を左右に振る。
「いや、俺は遠慮しておく。弓の良し悪しはよくわからん」
「ははっ、そうだろうな。未だに自分の剣の手入れも出来ないもんなぁ?」
「やかましい!」
ニヤニヤとシギのいつもの意地悪にこれまたいつものようにクーザは怒って足を速める。置いていかれないようにシギも速度を上げながら苦笑するのだった。