表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

何気ない日常

 誰かの声が聞こえていた。

 浅い海の底から、太陽の方を眺めているような感覚があった。身体は、宙空にふわふわと浮いていて、その中で、奇妙に反響する声だけが僕の耳朶を打っていた。

 ここはどこだろう、と思う。

 しかし、結局のところそこはどこでもない場所だった。僕にはそれがわかった。その場所では、柔らかな波が僕の身体に静かにやってきて、そして手足をふらふらと揺らせていた。僕は、そこからどこかへと辿り着かなければならないのではないか、と思う。手の平を、試しに軽く握ってみた後で、僕は腕を、そして脚を動かした。

 僕はどこかへと向かう。どこかへと。


     ◇


「――! おい、――。」

 その名前を呼ぶ声に、僕は目を開けた。

 僕は一体これまでどうしていたのだろう、と考える。

 それほどまでに意識の断絶は深かった。

 僕の目の前で、僕の友人である男子生徒がこちらに向かって手を振っていた。

「おい、――、寝てんじゃねえよ、――。どしたんだ珍しい」

 僕はその彼の声に目をぱちくりと瞬きさせた。

「こりゃ本格的に寝ぼけてるな」と僕の友人は軽く自分の後ろ髪を撫でながらに言った。

 結論から言えば、そこは教室だった。ざわざわとした声がそこら中から聞こえている。季節は、多分夏で、恐らくは梅雨が明けたばかりの時分で、そろそろ夏休みに突入しようかというその時期では、教室に収まった連中の様子もどこか浮き立ったような感を受けるのであった。

 僕は、そうやって呆れ果てる友人を目の前に、暫くの間ぼーっとしていた。どうにも意識の焦点を合わせるのに戸惑っていたのだ。

「――俺は何してたんだっけ」と僕はひとりごちる。

「夢でも見てたんだろ」と友人は言う。そんなものだろうか。

 首を振りながらに、僕はとりあえず席を立った。

「どこへ行く?」

「とりあえず眠気を覚ます」

 そう言いながらに、僕は席の間を縫うように歩いて、出口へと向かった。とにかく足取りが覚束ず、どうにも頭が上手く回らないのである。上手い具合に気分転換できれば良いのだが――と期待しながらに教室の外へと出ようとしたところで、入れ違いに教室に入ってこようとした女子生徒と、危うくぶつかりそうになった。

「びっくりした!

……って、――か」

 彼女は僕の方を、まるで何かの取引で大損をしたかのようなテンションの低い目付きで睨んでいた。それは僕とは付き合いの長いとある女子生徒で、まあ、これまでに何というかちょっとしたダブルデートに出掛けたこともあったりする程度には仲の良い女子だった。

 別に付き合ってるわけじゃないのだけれど。

「なんだよそれ」と僕は不満を露わに言う。

「別に? ただ、――か、って思っただけよ」

 要領を得ない説明に対して、僕としては反論をする気も起きず、憮然とした表情でその足を再度教室の出口へと向ける他なかった。

 しかし、そこでもう一度、僕は足を停めざるを得ない事態に陥る。

「ごめん」と僕はその視線の先に向けて反射的に謝っていた。

 僕の目の前では、僕と友人の女子生徒とがガヤガヤやっていた所為で道を塞がれていた別の女子が困っていたのだ。「別にいいよ」と、彼女はやや戸惑いの混じった笑みを浮かべながらに、僕に対してとりなしていた。僕の友人の女子生徒が、「ほら、行くよ」、とその女子に向かって声を掛ける。

 彼女は、何故か分からないけどその場から動こうとせず、僕の顔をじっと眺めていた。そこで、僕が軽く身を斜めに避けると、僕の顔をちらと見つめながらに、その傍を通り過ぎていったのであった。

 僕は擦れ違うその姿を、何となく視線で追いながらに、そして、やがては正面へと再度足の先を定め、そして教室から出て行ったのであった。

 さて、と僕はそこで頭を軽く捻る。

 先程僕が通路を塞いで困らせてしまったところの女子は、名前を一体何と言ったっけ?


     ◇


 ということを放課後ビリヤードを撞きながら友人に話したところ、彼はニヤニヤしながらその話を聞いていた。一体何がそれほど面白いのかよく分からなかったが、僕は特に彼の表情にコメントすることなく、黙々とボールを弾いていた。

「げぇ」と最後の一球を僕が落としたところで友人が声を上げる。

 僕はキューを縦にして、軽く取っ手の部分を台の端に載せた。

「いずれにせよ、その娘はお前に惚れてるんじゃないか?」と友人が僕の方へとやって来ながら言った。僕は少しだけ顔をしかめ、それからその女の子のことについて考えていた。

「というかお前分かってて聞いてるんだろ」

「いや」と僕は少しだけ言って、正直何も言わまいかと暫く迷う。「俺は俺でそんなに自尊心の大きな方じゃないんだよ」

「またまたよく分からんことを」と友人は言いながら、僕から遠ざかって行った。

 僕はぼんやりとそのビリヤード場の空気を眺めていた。暖色系のやや控え目の灯りに満ちていて、それから、イージーリスニング調のジャズアレンジが流れていた。僕は自分のキューを何となく両手で握って、弄んでいた。


 ということで、数日後僕は、友人と、その友人のガールフレンドと、例の女の子とで、デートに出掛けることになる。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ