モーテル「ライラック」にて
モーテル「ライラック」。
外は嵐の影響で豪雨に雷、強風なんでもありだった。
しかし、トラヴィスはそれを気にも留めず、
今日も長年住んでいるモーテルの天井をただ見つめ、
寝るまでの時間を無意味に過ごすだけ。
彼の仕事は近くのダイナーで
誰でも作れる飯を客に提供する事。
なりたかったわけじゃない。ただ近かったから。
やりたい事も特にない。
友人もいない。
だけど不幸でもない。
トラヴィスは毎日をもて余していた。
日付が変わる時刻を少し過ぎたあたり、
ようやく眠りに落ちかけようとしていたトラヴィスは
ふいに人の気配を感じてベッドから身を起こす。
強さを増した雨が伺える窓の前に見知らぬ女性。
腰まである長いブラウンの髪に、
胸に大きなリボンがついた白のブラウス、
腰には黒のコルセットが巻いており、
ロングスカートも黒。
片手には明かりを灯す今時古風なカンテラが握られている。
こんなひどい雨だというのに
まるで水分を含んでいなかった。
何処から入ったのだろう。この部屋の鍵はすべて閉めたはずだ。見知らぬ訪問者に話かけるのを躊躇していると、女性は一言発した。
「待たせたわね。旅立ちの時よ」
その言葉で直感的にトラヴィスはすべて理解した。
この現実から、
この世界から抜け出したい。
もし存在するのなら別の世界へ行きたい・・・
そのように絶え間なく願い続けていた想いが成就したのだという事を。
「バッグに荷物を詰めなさい。焦らなくていいわ、まだ少しだけ時間がある」
トラヴィスはその言葉通りにゆっくりと、必要なものとそうでないものとの分別に取りかかる。
準備をしている間、女性とたくさんの話をした。
女性の名はナタリー。
心から願った者の前に現れる異世界への案内人。
案内を始めてまだ日は浅いらしく
案内した人数は今回のトラヴィスで2人目らしい。
どことなく冷たい印象を受けたが、
ただ感情の起伏が乏しいだけのようだ。
口の端をわずかにつり上げるだけの笑みにむしろ好感を覚えた。
「あなたを案内するのはプラムルージュという緑豊かな世界でドワーフ、ドラゴン、スケルトン、ハーピー、もちろん人間など様々な種族が共存しているあなた好みの世界よ」
彼女の言う通り昔から子供の頃から空想ばかりしていたトラヴィスにとってそこは夢の世界だった。
そして、それはナタリーにとってもそうだった。
彼女も元はこちらの住人で毎日を憂う中案内人が現れ、プラムルージュへとやって来た。後に彼女をその世界へと誘った案内人に弟子入りし、彼女も案内人となった。
昔話をする彼女は少し恥ずかしそうに見えた。
そうやって話している間に荷物の準備が出来た。
その様子を見て彼女は
何もない壁に手をかざす。
すると扉が現れた。
「この扉をくぐればもう二度とこの世界に戻ることは出来ないわ。それでもいいの?」
逃げ出したくてたまらなかった毎日。
だがそれでもほんの少しだけ後ろ髪を引かれつつ、
トラヴィスはこの世界に別れを告げる。
扉をくぐる際にナタリーが言った言葉が印象的だった。
「楽しい事ばかりではないかもしれない。プラムルージュもここではないもうひとつの現実。だから辛いこともあるかもしれない。でも怖がらないで。私がいる。私はあなたを光へと導く案内人なのだから」
Fin.