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彩名

僕は、北山倫太郎。


今年で十九歳になる大学一年生だ。通っているのは、日本で一番大きい敷地面積を誇る大学。その経済学部で日々を過ごしている。


趣味はオカルト。小学生の頃に図書館で読んだ幽霊図鑑にハマり、中学、高校とネットで情報を集めたり、時には実際に心霊スポットにも足を運んだ。まだ霊体験はないけれど、この世のどこかに、物理法則のねじ曲がった現象があってもおかしくないと、本気で信じている。


高校を卒業してからの生活は目まぐるしかった。慣れない大学生という肩書。高校とは違い、自己管理が求められる生活。広い構内を休み時間の間に移動する労力。毎回課される宿題とレポートの多さ。自転車を買うまでは、十五分の休み時間に次の教室に向かって走り続けることもざらだった。


そんな大学生活も、二月に無事テストが終わり、春休みに入った。


「春休みは何するの? 倫太郎」


数学の講義で仲良くなった、南野が聞いてくる。パーマをかけたボブカットに、オーバーサイズの服装。今どきの典型的な大学生だ。


「特に予定はないけど、一日だけ外せない用事がある」


「彼女とのデートか?」


西沢も食いついてくる。ツーブロックのショートカットにデニムジャケット。パンツはリーバイスの古着。足元はレッドウィングのブーツ。こいつは時代に流されないタイプらしい。


「お前から彼女、なんて言葉が出てくるなんてな。僕にはそんな浮いた話はない。幼馴染の一周忌だよ」


二人がハッとした顔をする。視線が下がり、気まずそうにしている。


「二人が気にすることじゃないよ。とりあえずテストも終わったんだし、少し飲みに行こうか」



≫

僕には同い年の幼馴染がいた。


斉藤彩名。


僕の家から歩いて一分のところに建っている新築に住んでいた。僕らは幼稚園から一緒だった。もう何をしていたのか覚えてすらいないが、日々、駆け回って笑っていた記憶がある。小学校では、同じクラスになることが何回かあった。その度に、二人でハイタッチをした。


中学生の時、僕は彩名に恋をしていることに気づいた。彼女の一挙手、一投足を自然と目で追ってしまう。彩名は相変わらず幼馴染として出会う度に何気ない話をしてくれるのだが、その射抜くような視線に耐え切れず、僕は会話がしどろもどろになってしまっていた。



≫

転機が訪れたのは高校受験。僕は地元の進学校と一応言われている高校を受験した。彩名は女子高に行った。お互い無事合格し、それからはすれ違う日々が続いた。しかし、彩名への僕の想いは募っていった。


「最近、学校はどう?」


「文化祭の準備で忙しいかな。私、準備委員長だから、やることが多くてさ。

みんなから引っ張りだこでほんと忙しい。倫太郎は?」


「僕は普通かな。中学から一緒のメンバーと仲良くつるんでるよ」


たまに休日にこんな近況報告をすることがあった。彩名は友達に囲まれ、楽しい高校生活を送っているようだ。話の節々から喜びが伝わってくる。彩名は中学校でも人気者だったから、納得だ。



≫

そして高校三年生。僕は国公立大学を受験することにし、昼夜問わず勉強に励んだ。机の良く見えるところには、彩名の笑顔の写真が置いてある。勉強して、合格したら告白するんだ。


合格発表の日。時間通りにスマホを確認する。


956番……あった!


僕は歓びに満ち溢れた。大学生活を憧れのキャンパスで送れる。ポケットに入れてある、彩名の写真を撫でる。彩名は、僕の幸運の女神だ。


高校の卒業式は、あっけなく終わった。それは僕だけだったかもしれない。彩名に告白する。このことだけしか頭になかった。卒業アルバムに一言書き添えている時でさえ、彩名のことが頭を離れなかった。


三月二十五日。僕が彩名に想いを告げると決めていた日。

僕は彩名のスマホに電話した。……なかなか出ない。家まで歩いていく。チャイムを押すと母親がでてきた。


「倫ちゃん、どうしたの? あ、合格おめでとう! あそこに受かるなんてすごいわ!」


「ありがとう、おばさん。今日は彩名はいる?」


「彩名は朝から遊びに行ってるわよ。お友達と街を回るんだって」


出鼻をくじかれたが、今日告白することに変わりはない。帰りの目安の時間を聞いて歩いてきた道を戻る。はやる心臓を抑えながら彩名の帰宅を待った。

しかし、その日、彩名は帰ってこなかった。



≫

三月二十五日、僕は父親の車を借りて、廃墟となったショッピングセンターに来ていた。

ここは十年以上前に火事を起こし、死傷者を出して閉店になった場所だ。残念なことに、死者を弔うことよりも心霊現象を期待して訪れる者のほうが多い。不吉な場所として放置されて長年が経っているが、中は意外ときれいだった。所々落書きはあるものの、マネキンが当時の流行りの服を着て立っていたり、いまでも変わらず売っている銘菓が、売り場にそのまま残されている。


真冬の外は冷える。ましてや、夜は空気すら凍てつく。僕は愛飲しているピース・リトルシガーに火をつけながら、持ってきたホッカイロで暖を取っている。今夜はここで夜を明かすのだ。



≫

ここには様々なうわさ話がある。おもちゃコーナーから聞こえる、赤ん坊の泣き声。午前二時になると鳴り響く、非常ベル。誰もいないはずの食品売り場から聞こえる主婦の会話。


そして、最近、新しく加わったものがある。制服を着た少女の霊が、深夜三時に屋上に出る。僕はその噂を確かめるためにここに来た。今は午前一時半。まだ時間があるのでゆっくりと店内を練り歩く。


おもちゃコーナー。特に不審な音はなし。午後二時、非常ベルは鳴らない。食品売り場、人影すら見つからない。やはり噂は噂でしかないのか。そう思った時、ぞくりとした悪寒が背中を襲った。これまで心霊スポットは嫌というほど行った。そういう場所での思い込みによる錯覚は何度か経験がある。揺れる木の葉が、人の手に見える。差し込む影を、人影に感じる。しかし、今回のは明らかに違う。


怖くて後ろを振り向けない。何かが地を這う音が、べちゃべちゃと聞こえる。不規則だが、ゆっくりとこちらに向かってくる。僕はなるべく音を消して物陰に隠れた。しばらくすると、そこを得体のしれないものが通っていく。全身が焼けただれ、不規則になる呼吸。顔は焼けただれているのに、左目だけがはっきりと露出している。


思わず声を上げそうになる。こんなものは、この世のものじゃない。幽霊だ。叫びそうになる口を抑え、がたがたとなる奥歯をかみしめる。そいつはゆっくりと僕とは違う方向に進み始めた。べちゃべちゃという音が遠ざかっていく。僕は安堵し、口から手を離した。


その瞬間、上からべちゃり、と大きな音がした。つられて視線を向けるとさっきとは違う焼け焦げた死体。こいつは左腕が欠けている。見つかってしまった。腰が抜けて動けない。


「……熱いよ。……どうして助けてくれないの」


かすれているのに、はっきりとよく通る音が耳に入ってくる。僕は這いずりながらそいつから逃げる。しかし、別の方向からまた音が聞こえてきた。



≫

べちゃ、べちゃり。ずるずる。


僕は音に囲まれている。懐中電灯は持っているが、奴らの姿を見たいとは思わない。ここは本物だった。震える手でタバコを取り出し、火をつける。ジッポを落としてしまったが、気にならない。息を吐いて、思いっきり煙を吸い込む。二、三度繰り返して落ち着きを取り戻す。まだ足は震えているが、動けそうだ。ここが本物なら、あの噂も真実だろう。


時間は午前二時五十五分。僕は五階建てのショッピングモールを駆け出した。後ろから迫りくる音は相変わらず数を増している。そんなことはおかまいなしに止まっているエスカレーターを駆け上る。いる。きっといる。そう信じて屋上に出る。


そこには彼女がいた。



≫

――一年前の三月二十五日。彩名は帰ってこなかった。


警察への捜索願が出されたのはその翌日。そして一週間後、彩名はこのショッピングモールで見つかった。屋上から飛び降りたそうだ。五階から飛び降りたにもかかわらず、死体はきれいだった。


葬儀は四月に執り行われた。本州では満開であろう桜は、こちらではまだ芽吹く様子すらない。彩名は学校でいじめられていた。文化祭の委員長、仲の良い友達の名前。全部嘘だった。学校では徹底的に無視され、身体の人目には見えない部分には、あざもあったそうだ。彩名は、僕にも、家族にも何も打ち明けなかった。ただ、高校生活を謳歌している少女。それを演じていた。


僕は小さな棺に入った想い人を前に、涙が出なかった。どこか現実ではないと思っていたのだろう。血の通っていない無表情の顔から、あの笑顔を思い描こうとする。しかし、あの笑顔が思い出せない。彩名は死んでしまった。事実を受け止めて入る。心はそれを認めていない。僕はこっそりと裁縫用のハサミを取り出し、髪の毛を切るとポケットに入れた。



≫

「彩名!」


その姿を見て僕は叫んでいた。

手には、遺髪の入った白いお守り。充実した大学生活を送りながらも、毎晩夢に出てきてくれた彩名。今日、この日にここで会おうと約束をしてくれた彩名。彩名が目の前にいる。


僕は走り寄り、彩名を抱きしめた。温かい。うっすらと香水の匂いがする。彩名の好きなバラの香りだ。僕は涙が止まらなかった。後ろからやつらが迫ってくる。だが、もう関係ない。彩名に会えた。それだけでよかった。


「倫太郎」


彩名が静かな声で言った。


「私、あなたが好きだった。いつでも私の話を笑顔で聞いてくれる、当たり前の存在。

私と一緒にいてくれる?」


彩名と一緒に……。

彩名は死んでいる。頭では理解している。死にたくない。まだやりたいことがいっぱいある。人生が走馬灯のように思い出される。しかし、口をついて出た言葉は想いとは違った。


「彩名、永遠に一緒にいよう」


僕はもう一度、強く彩名を抱きしめた。



≫

気が付くと、僕は服の袖を奴らにつかまれていた。焼け焦げた肉の臭いが強烈に鼻につく。


「お前も……来い。熱くて……痛くて……。死にたくなかった」


次から次へと手が伸びてくる。僕は必死に彩名をより強く抱きしめる。僕は彩名とずっと一緒だ。こいつらと永遠を共にする気などない。だが、僕は彩名を抱きしめたままどんどんその手に引っ張られていく。背後には猛火が見える。こいつらはこれに焼き尽くされたんだ。焼死は一番つらい死に方だと聞いたことがある。自分の焼ける臭いを嗅ぎながら、肺を焼かれ、もだえ苦しみながら死ぬ。僕の最後の姿か。でも、彩名がいる。僕にはそれで十分だ。



≫

その時、彩名が手を緩めた。力の均衡がとれなくなった僕の身体は急激にやつらに引っ張られていく。


「彩名!」


彩名は立ち尽くしている。僕は見捨てられたのか。ああ、ちゃんと一緒の所に行きたかった。


「私の倫太郎は渡さない」


彩名から黒い空気が吐き出される。目が赤くまがまがしく輝いている。僕らを引っ張っているこいつらの手が止まった。小刻みに震えている。


「私と倫太郎は永遠に一緒。邪魔しないで」


彩名が目の前からかき消えたと思うと、僕をつかんでいた手を引きちぎり始めた。奴らの顔が苦悶にゆがむ。彩名は止まらない。蹴り、殴り、引き裂き。奴らを後ろの業火に押し戻す。気が付いた時には僕と彩名しか屋上に残されていなかった。


「おいで、倫太郎」


彩名が手を伸ばしてくる。


「彩名……」


僕らはもう一度抱きしめ合う。


「永遠に……一緒だからね、倫太郎」


ふっと身体が宙に舞うのを感じた。彩名が僕に抱き着いたまま、屋上から飛び降りたのだ。

迫る地面。温かな体温。彩名と一緒ならどこでもいい。僕は目を閉じた。



≫

寒い。身体が芯まで冷えている。わずかだが、手の感覚はある。指動かしてみる。痛みを伴うが、曲げ伸ばしができている。こわごわと目を開ける。そこはショッピングモールの駐車場だった。屋上が遠くに見える。

僕は彩名と飛び降りたはずだ。どうして生きてる? ふと、身体の上にある物に目が行く。焼け焦げた部分のある僕の服の上に、女子高の制服が置いてある。体が冷えないようにかけてあるようだ。ああ、僕は生きている。身体を起こしてあたりを見回す。彩名はやはりいない。


「彩名……連れて行ってくれなかったんだな」


僕はひとり呟き、立ち上がる。暦の上では春とはいえ、この大地は未だに氷点下を下回るときもある。凍えた身体を引きずりながら車に戻る。鍵を取り戻そうとしたとき、手に握っている物に気づく。それは真っ黒なお守りだった。


――ずっと一緒だよ、倫太郎


彩名の声が耳元で聞こえた。

離れ離れになったんじゃなかった。彼女はここにいる。お守りを胸に当ててぎゅっと抱きしめ、僕は車で帰路についた。


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