婚約破棄を告げた王太子は、もはや人ではありませんでした
「エリザベート! 貴様との婚約を破棄させてもらう!」
煌びやかなシャンデリアが紳士淑女を照らす、公爵邸の大ホール。
その檀上で王太子マティアスが大声を上げた。
横には、瞳を潤ませた男爵令嬢ナタリアが控えている。
「何故、ナタリア嬢が……!?」
「とんでもないことだ!」
「マティアスさまは血迷ったか!」
出席者たちが騒ぎだすのも無理はない。
今夜は公爵令嬢エリザベート・コヴァの誕生日パーティだ。
本来、エリザベートと彼女の婚約者である王太子マティアスが壇上にいるべきである。
しかし、彼女は壇下で王太子に睨まれている状態であった。
「そうですか……」
周囲の喧騒と違い、エリザベートは落ち着いていた。
彼女は今夜、こうなることを予想していた。
最近、王太子はナタリアと二人きりでいるところを何度も目撃されている。「婚約者がいながら、他の女性と密接な関係になるものではない」と側近たちが忠告しても聞き入れなかった。
「我が妃にはナタリアがふさわしい」
優しい笑みを浮かべながら、王太子はナタリアの腰に手を回す。
ナタリアは頬を染め、「光栄ですわ」と小さく呟いた。
「……」
婚約を破棄されても、エリザベートは悲しむことができなかった。
自分の知っている王太子と今の王太子は、あまりにも違うからだ。
王太子マティアスは聡明ではないものの、愚か者ではなかった。いたって凡人。困難を打開することは出来ずとも、誤った道を選ぶような人間ではない。
だが、今、目の前にいるのはただの愚者だ。
「エリザベート、そんなお前に誕生日プレゼントだ」
違和感を覚えるエリザベートに、王太子が冷たい視線を送る。
「お前を僕の側妃として迎えることを約束する」
「……!?」
これにはさすがに、エリザベートも眉間に皺を寄せた。
周囲のざわめきが強くなる。
この場に国王がいないからといって、あまりにもやりたい放題ではないか。
「マティアス様、優しい~!」
王太子の胸に、ナタリアが顔を摺り寄せている。
バカげた光景に、視線を反らそうとして……。
エリザベートは目を見張った。
「あ……!」
マティアスの首筋に、二つの小さな穴が開いている。
わずかに紫がかり、牙の跡を思わせた。
(……)
エリザベートは、隣国で吸血鬼騒動があったことを思い出す。
吸血鬼が貴族令嬢に化け、社交界に紛れ込み、次々と人々を襲ったらしい。血を吸われた人達は吸血鬼の下僕となり、更に被害を拡大させた。
幸いにも、「屈強の戦士」と名高いルーカス・ゼークト辺境伯令息が吸血鬼を追い払い、事件は解決したと聞いている。
追い払った、だけ。
退治はしていない。
「おいで、エリザベート。二人で僕を支えておくれ」
「まあ、楽しそう~。エリザベート様。こちらへ来てくださ~い」
エリザベートは血の気が失せた。
二人は目を輝かせ、悪意のない笑顔を浮かべている。
その笑顔の端が赤く染まり、口元から牙が覗いていた。
「い、いいえ。私は身を引きます……。お二人の幸せをお祈りしておりますわ」
エリザベートは恐怖で震えながら、ナタリアを見渡した。
彼女の首筋に、噛まれた跡は見られない。
もし、隣国から逃げ出した吸血鬼がナタリアだとしたら、筋が通る。逃亡してきた吸血鬼がナタリアを襲い、彼女に化けて、王太子に近づいた。その後、王太子の首筋に牙を立て、彼を吸血鬼の下僕にしたのだ。
これなら、王太子の性格の急変にも納得がいく。
「それでは……」
エリザベートは足早に、会場を後にしようとした。
だが、できなかった。
「っ!」
「何を怯えている?」
いつの間にか、檀上から王太子が下りていた。
エリザベートの腕を強く掴み、ニヤニヤと牙を見せて笑っている。
そのそばでは、ナタリアがクスクスと声を立てて笑っていた。
「どうしたんですの~? エリザベート様」
捕まった腕から、氷のような冷たさが伝わってくる。
まるで、エリザベートの血液を凍らせようとしているようだ。
「安心しろ、エリザベート。僕たちはこれからずっと一緒だ。永遠にね……」
力を入れて、エリザベートの体を引き寄せる。
「あ……」
あまりの強さに、エリザベートは抵抗するすべがない。
身体をのけ反らせて、首筋をあらわにすると、王太子はそこに向かって口を開けた。口から飛び出した牙がシャンデリアの光を浴びて、鈍く光る。
「た、たすけ……」
エリザベートは目に涙を溜めて、周囲に助けを求める。
しかし、誰も動けなかった。
恐怖と緊張が場を支配し、言葉すら発せられなかったのだ。
そこに。
野太い怒声が響いた。
「そこまでだ!」
凍った空気を壊すように、たくさんの兵達がなだれ込んできた。
会場にいた貴族たちは悲鳴を上げながら、逃げ惑う。
「エリザベート殿。遅れてすまない!」
「ルーカス様……!」
エリザベートの前に現れたのは、「屈強の戦士」と名高いルーカス・ゼークト辺境伯令息であった。銀色の髪を一つに縛った端正な顔。だが、その甘いマスクからは想像もつかないほど、身体は厚い筋肉に覆われている。
「来て下さるなんて、嬉しいです」
エリザベートは感謝の言葉を述べた。
婚約者の異変に気付いたエリザベートは「もしや」と考え、前もって詳細をしたためた書状をルーカスに送っていたのだ。
「あいつが吸血鬼ですか!?」
鋭い瞳を相手に睨みつけ、ルーカスは剣の鞘を握る。
エリザベートは固唾を呑んで、強く首肯した。
「何を馬鹿なことを!」
「そうよ。初対面なのに、「吸血鬼ですか」なんて失礼だわ」
マティアス王太子とナタリア男爵令嬢が、目を赤くし目を吊り上げる。
ルーカスはひるむことなく、剣を鞘から抜いた。
「先ほどのエリザベート殿への振る舞い。吸血鬼そのものように見えたが?」
「黙れ! 人間!!」
ルーカスを威嚇するように、マティアスは言葉を吐き捨てた。
その瞬間、周囲の誰もが理解した。
これはマティアス王太子ではない、と。
「お前の血を吸いつくしてくれるわ!」
マティアスは高く跳んだ。
天井近くまで跳躍すると、ルーカスめがけて襲いかかる。
「ふんっ!」
ルーカスは剣を振るい、相手の懐に飛び込んだ。
勝負は一瞬であった。
マティアスは床に着地すると、そのまま倒れてしまった。
「マティアス!」
王太子が倒れ、ナタリアが甲高い叫び声を上げる。
「おのれ!」
同時に、ナタリアの顔が変化した。
牙がもっと伸び、禍々しいオーラを醸し出す。
その瞬間。
ナタリアの姿が消えたように見えた。
だが、それは消失ではない。肉眼では追えない速さで移動したのだ!
「そこだ!」
ルーカスは冷静に状況を把握。
剣を一閃、振りかざす!
直後、ナタリアの姿が現れ……、彼女はその場に沈んだ。
「ふ~」
ルーカスが剣に付着した血を振り払い鞘におさめる。
その途端、周囲の貴族や兵達から、安堵のため息と拍手が巻き起こった。
◇
数カ月後。
エリザベート公爵令嬢とルーカス辺境伯令息は、公爵令嬢の邸宅で出会っていた。
広いテラスの上には三日月が淡く光っている。
「あの後はいかがですか?」
「おかげ様で、何とか落ち着いてきましたわ。国王陛下は王太子が吸血鬼になったことにショックを受けていました。が、今は毅然とした態度で公務を行っております」
「そうですか……」
ルーカスは手すりに腕を預け、視線を落とした。
浮いた横顔に月の光が当たり、彼の美しさを引き出している。
「どうされましたの?」
エリザベートが彼の手を優しく包む。
吸血鬼の件をきっかけに、二人の距離は縮まった。「結婚するのでは?」という噂もあるくらいだ。
「ナタリア男爵令嬢の遺体を調べた医者によると、胸の下に咬傷痕があったそうです」
「咬傷……?」
「つまり、ナタリア男爵令嬢も吸血鬼の下僕に過ぎず。吸血鬼は別にいる、ということになります」
「え、じゃあ……」
「我々は、また吸血鬼を取り逃がしたのかもしれません」
せっかく吸血鬼を退治したと思っていたのに、偽物だった。
前回の失敗以来、ルーカスは「必ず退治してやる!」と鍛錬を続けていた。エリザベートの手紙を受けて「絶好の機会だ」と乗り込んだ。
それなのに。
「そんな怖い顔をしないでくださいませ」
エリザベートは優しく微笑み、ルーカスの銀色の髪を撫でる。
「私はあなたの柔らかい笑みが大好きです」
「エリザベート殿……」
「どうか、エリザと呼んでくださいませ」
頬を赤く染めるエリザベートの気持ちが、ルーカスに伝わってくる。
その気持ちが嬉しくて、ルーカスは彼女の細い身体を包み込んだ。
「いいのですか? 私は他国の人間ですよ」
「構いません」
エリザベートはルーカスの胸に顔を寄せ、彼の頬に手を添えた。
「端正な顔立ち、銀色の髪、美しい身体。そして、真面目な人柄。出会った時からお慕い申し上げておりました」
そう。
長い間、彼女はルーカスを求め続けていた。
彼の美貌と強さが彼女の心を焦がし、狂気へと導いた。
彼女はルーカスを得るためなら、どれほど回り道をしても構わなかった。
隣国に逃亡した後、エリザベート公爵令嬢を襲い、その身を彼女の姿に変えた。その後、ナタリア男爵令嬢とマティアス王太子を吸血鬼の下僕にし、自分を襲うように指示。前もって、ルーカスに助けを求める手紙を出しておけば、彼が来てくれると信じて。
彼女の瞳が血のように赤く染まる。
口元から牙が鋭く光っていた。
「私たちはずっと一緒ですわ。……永遠にね」
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。




