【短編】酒場のカクテルは突然に
中心街を少し脇にそれると目的地は見えてきた。
全体的に古臭い印象を受ける建物の壁には、やはり古臭い看板がライトアップされていた。
僕はそんな外見に苦笑しながら風格のある古びた木製のドアを押す。
古くみえるがドアは音もなく、軽い力で開いた。
「もう少し小奇麗で洒落た店構えにすると客入りも増えるのに」
思わず、苦笑と一緒にこぼれる独り言。
仲良くなった初老のマスターに、何度か同じようなことを進言してみたけど、柔和な笑顔でサラリと流され続けている。
きっとこれからもこの店はこのままなのだろう、と一人納得してしまう。
ドアを通り抜けた僕をまず出迎えたのは微かに匂うアルコール臭とテンポの良い音楽――ジャズだと思う――どちらも品の良さがある。
会社の雰囲気、自分の部屋。どちらとも違う雰囲気が僕を包む。
気分高揚し、疲れているはずなのに体からは活力が沸いてくる気がしてくる。
店内は八組のテーブル席と十人ほど座れるカウンター席があり、軽く見渡すと客入りは七割程度。
テーブル席かカウンター席か、どちらに座るか悩んでしまう。
しばらく、この雰囲気を堪能するのも良いかもしれない、と思い僕は音楽に耳をすましながら雰囲気を楽しむことにした。
音楽に合わせて体で小さくリズムをとる自分の姿は少し不気味だったかもしれない。
「いらっしゃい、久々だな。仕事が忙しかったのかい?」
いつ気づいたのか顔なじみのマスターはこちらを振り向かずに声をかけてきた。
マスターの手元からは規則正しいグラスを拭く音がいつも通り聞こえてくる。
「ええ、社会人生活にも慣れただろうってことで色々と仕事を押し付けられまして」
僕は無意識に頭をかきながら返答した。
「おいおい、押し付ける、って社会人なり立てのお前さんに任せるなんて上司は無茶するな」
横から急に聞こえたのは聞きなれた声。そちらの方に顔を向けると予想通りに見知った男の姿があった。
「よぉ、一月ぶりか」
好青年を体現したような笑顔で、手にしたグラスをあげながら近づいてくる男は岡田哲平。
BAR『夜桜』の昔ながらの雰囲気に惹かれ、ここで知り合った友人の一人だ。
歳が三つほど違うが、体育会系のさばさばした性格をしている彼とは相性が良いのか今では十年来の友人のように親しい。
「人手が足りないらしくて。おかげで毎日残業だよ。残業手当ては期待できないのに」
「そりゃ、ご愁傷様」
大きく口を開けて豪快に笑う哲平。
彼の明るい空気につられてそれまで溜まっていた疲れが少し抜けた気がした。
哲平は顎をしゃくってカウンターを指す。僕が素直にカウンターに座ると彼もすぐ隣にドカリと腰を下ろした。
「忙しいうちが華だぞ、仕事は。今から窓際族なんて嫌だろ」
「そうだね。これからもバリバリ働いていくつもりだよ」
そう言いながら僕は力拳をつくるポーズを取る。
「ここ最近は忙しくて夜桜に寄れなかったけど、明日は久々にゆっくり出来そうだから、夜桜に顔を出してみたんだ。まさか哲平がいるとは思わなかったよ」
哲平と話している間にマスターがブランデーのロックを用意してくれていた。
僕はコップに中の氷を回してから一口飲む。
「ふ~、やっぱここで飲む酒は格別だね。体に染み渡る気がするよ」
少し親父くさいが「く~~~っ」と声をこぼしながら顔をしかめてしまう。
「明日が休みか。なら、この俺様がちょっといいところを見せてやろう。古きよき時代から受け継がれし技を」
不敵な笑みをこぼしながら同じようにマスターが用意してくれたグラスから琥珀色の液体を一口飲む哲平。
一呼吸おいてから店内をゆっくりと見渡し始めた。
「いったい、何を始めるんだ?」
哲平の行動の意味がわからずに思わず訊ねてみるが、返事はなし。
彼の視線がある場所で止まるとクルリとマスターの方に向き直った。
「ま、黙って見てろって。マスター、スペシャルカクテルをあそこの女性に」
立てた親指で指し示すのは先ほど哲平の視線が止まったあたり。
そこにはスーツを着た女性が一人で飲んでいた。
やり手キャリアウーマンといったところだろうか。
夜桜は店内のシックな空気とマスターの落ち着いた雰囲気のためか、女性が一人お酒を味わっている姿をそこそこ見かける。
彼女もそんな夜桜の常連の一人のようだった。
マスターは小さく会釈すると慣れた手つきで素早くカクテルを作る。
そして、カクテルグラスに注ぐと滑るような玄人じみた足取りで女性の前に移動する。
マスターが女性に一言何かを告げると驚いていた彼女は小さく微笑む。
静かにカクテルグラスを女性の前に置いてマスターが一礼。
彼女はこちらの方に笑顔を向けてスッとグラスを小さく持ち上げ、合図を送ってくる。
「ほれ、返礼だと。毎度変わらず、引っ掛けるのがうまい。長いことこの商売をやっているが五本の指に入るぞ」
ニヤリと渋い笑顔のマスターが岡田に手渡すのは女性と同じスペシャルカクテル。
どうやら戻ってきたら成功のようだった。
「一哉、お前もやってみろよ」
ふふん、と鼻を鳴らして得意げに女性からの一杯に口をつける哲平。
やってみろと言われて簡単にホイホイ出来る様な気はしない。
「え、僕が? う~ん、一回だけなら」
悲しいかなNOと言えない日本人気質の僕。
どうせ酒の席だと自分に言い聞かせるとキョロキョロと周囲を探る。
カウンター席には先ほどの女性以外は男性ばかり。
他のテーブル席を見てみるが女性だけのテーブルはなし。
「時間帯が悪い。経験的に言えば今からは集まるのは男ばかりだろうな」
ホッホッホと笑うマスター。
それを聞いて哲平がつまらなそうに周囲を見回す。
「ゲッ、本当だ。せっかく一哉が見事にふられるのを肴に一杯と思っていたんだけど」
空になったカクテルグラスをカウンターに置きながらぼやく。
「こういう場合は残念でした、ってことで。惜しかったなぁ、僕も成功できそうな気がしたのに」
わざと残念そうにつぶやきながら席に座りなおす。
残っていたグラスの中を一気に飲み干し、追加注文を頼もうとカウンターを見てみるがマスターの姿がない。
「あれ、マスターは?」
「客に呼ばれたんじゃないか」
心底つまらなそうな声で応えてくれる哲平。そこまでガッカリするようなことでもないと思うのだけど。
苦笑いしているとスッと何か視界に現れる。それは先ほど哲平が飲んでいたスペシャルカクテルだった。
「お前さんにだと……」
いつの間にか場所を移動していたマスターが珍しく口ごもる。
不思議に思いながらも素直に差し出されたカクテルグラスを受け取る。
「僕に……」
空いた手で自分を指差して聞き返す。
マスターは何故か目を合わせずにコクリと頷く。
「向こうからかよ。魅力なら俺様の方が上だろ。マスター、どんな酔狂な女性からなんだ?」
ショックを受けたような顔でマスターに訊ねる哲平。
マスターは顎をしゃくって方向を教える。
彼は少しギラギラした危ない目つきでギュン、と音がしそうなほどすばやくマスターの指した方向に顔を向ける。
「がっ!」
何故か小さなうめき声を上げて硬直する哲平。
しばらく固まった後ゆっくりと顔を元に戻すと先ほどまでもてあそんでいたグラスを一気にあおる。スーツの袖で額をぬぐって一息入れる。
「なぁ、マスター。向こうからってことは俺様は負けだろ、負けだよな。でも、あれは俺様の勝ちだろ」
酒には強いはずの哲平が意味不明な事を口走り始めた。
それほど酔っているようには見えない。顔も赤いというより青く見える。
「さぁな、こればっかりは本人の反応しだいだからなぁ」
妙にしんみりとした声で頷くマスター。
何故かとてつもなくイヤな予感がした。
ゆっくりと肩越しにマスターの指した方向を見る。
「なっ!」
僕は思わず声をあげて固まってしまう。
慌てて視線を戻して目を擦り、深呼吸して呼吸を落ち着かせて再度見てみる。
「なんで……」
見間違いであってくれという僕の願いはあっさりと裏切られた。
僕の視線に映ったのはほろ酔い加減の女性ではなく、男性。
焼けた肌に好青年的な笑顔、白い歯がキラリ。
その上、仕立ての良いスーツの上から筋肉がはっきりと分かるくらいのマッチョ。
それだけならまだマシだったかもしれない。
男性のちょっとした仕草には女性的なところがあり、一目でその手のタイプだと察することが出来た。
「さぁ~て、俺はそろそろ帰るかな。今日も仕事、頑張ったからな。明日もきっと忙しくなるからぐっすり安眠して英気を養わないといけないから」
妙に固い言葉遣いでワザとらしい説明口調の哲平が財布を取り出しながら立ち上がる。
「明日は休みって言ってたのはどこのどいつだ! 行かせるかっ!」
まさに電光石火と賞賛されてもおかしくない動きで哲平を羽交い絞めする。
体格的にみても彼の方が力があるはずだけど、リミッターが外れた僕は苦もなくガッチリと捕まえる。
「はなせ、はなせって。俺は家に帰るんだ。ここにいたら危険だと俺の本能が告げてくるんだ」
「潔さは漢の大切なスキルだぞ! ――っ!」
必死になって暴れる哲平を抑えていた僕の肩に、ポンとガッチリしたものが置かれていた。
「う~ん、いい体してるじゃないの、キミ」
先ほどまで少し離れていた場所にいたマッチョの男性がいつの間にかすぐそばに立っていた。
キラリと白い歯が輝いて見えたのは目の錯覚だったのだろうか。
「ま、まだ若いですから」
「わ、若いだけじゃないだろ。お前の体つきには俺様も脱帽。だからさっさと退散させやがれ」
僕と哲平は何故か直立不動の姿勢でマッチョな男性と向き合っていた。
彼はそんな僕たちの姿が面白かったのかしなりをつくりながら口元を右手で隠し、クスリと小さく上品に笑った。
確かに上品な動作だったのだが、その動きにさらに僕たちの顔が青ざめたのは間違いない。
「今日は早いお帰りじゃないか。用事でもあるのか?」
マッチョな男性の動きに対して動じることなく自然体のマスター。
「ええ、今日はこの後に野暮用が入っちゃっているの。でも、連れがまだ飲み足りないらしくて、この子にスペシャルカクテルってわけなのよ」
楽しそうに喋るマッチョの男性の視線に背筋に悪寒が走った。哲平にいたってはピクピクと泡を吹く直前。
「連れの相手をしてもらうわけだから今日の勘定は全て私が払うわ」
そう言いながらマッチョの男性はバチンと音が聞こえてきそうなウインクを一つ。
意識がふっと一瞬、途切れた。
気を取り直すと男性は出入り口のすぐそばまで移動していた。
「なんだったんだ、いったい」
口元を手で拭いながらつぶやく哲平。
僕は引きつった笑顔で「わからない」と左右に首を振って意思表示。
「で、お前さんたちは何を飲むんだ? すでにもうこっちの注文は受けたんだがな」
マスターの声に振り向くと、さっきまで座っていた位置に新しい人影があった。
「お美しいお嬢さん、俺様は岡田哲平。ぜひ以後お見知りおきを」
一瞬前まで僕の隣に立っていたはずの哲平が新しい人影――先ほどのマッチョの男性の連れだったと思われる女性――の横の席に座っていた。
彼は瞬間移動でも使えるのだろうか。
哲平は自然な動きで女性の右手を手に取る。
そして、第一印象が好感度MAXになりそうな笑顔で、息をするように女性を口説いていた。
女性の年齢は二十代後半だろうか。
知的な整った顔立ちに落ち着いた雰囲気のあるシックなスーツにタイトスカート。
肩下ぐらいまで伸ばした艶やかな黒髪がとても印象的だ。
マッチョの男性の連れだというのがまったく信じられない。
彼女は僕の視線に気づいたのか、気品のある柔らかな笑みを返してきた。
「あ、うぁ」
普段は女っ気のない生活を送っているためか、彼女の笑顔に過剰反応してしまう。頬が一気に赤くなっているがわかる。
女性の細く形の良い指。
そんな手を馴れ馴れしく握れる哲平が羨ましい。
「あんまり夢を持たせるものじゃないぞ、亮太」
マスターの呆れた声に僕と哲平の動きが止まる。
リョウタ? そんな名前が似合いそうな人物はこの場にはいないはずなのに。
僕の脳みそが状況理解を拒んでいると、ギギギッと音が聞こえてきそうなぎこちない動きで、哲平がこちらに顔を向けてくる。
「こんななりしておるが、立派な男じゃぞ、こやつは」
マスターがにこやか過ぎる笑顔で無情に告げる。
その瞬間の哲平の顔を僕は一生忘れないだろう。
「マスター、ばらすなんてひどいじゃないの。せっかく好みだったから引っかけてたのに。最初はそっちの彼が良かったんだけど、貴方の甘い言葉にクラリときてしまったわ」
「ホッホッホ、常連がみすみす毒牙にかかる光景は、寝覚が悪くなるからな」
顔に似合わず恐ろしく低い声音。
マスターの言葉通りなら、この美女にしか見えない人は、亮太という男性ということになる。
……嘘でしょ。
亮太は左の人差し指で哲平の頬をなぞる。
サーッと音が聞こえてきそうな勢いで、哲平の顔が青くなっていく。
理解することを拒絶したままの僕は開いた口がふさがらなくなる。
「お、俺様は、き、急用が……」
パッと手を離すとクルリと亮太に背を向ける哲平。
哲平が駆け出そうとした瞬間、亮太にガッチリと胴体に腕を回されて捕獲される。
「逃がさないわよ」
恐怖からか、哲平の体がピクンと跳ねた。
「た、助け……」
極限状態のために限りなく笑顔に近い表情の哲平が涙目で助けを求めてくる。
僕は間髪入れずに両手を合わせると心の底から一言。
「ごめん」
「薄情者!!」
哲平の背中にピッタリと密着するように、後ろから抱きしめる亮太。
女性のように見える細い腕だが、馬力は相当なもののようだ。
哲平の姿が蜘蛛の巣にかかった憐れな蝶に見えてしまう。
僕はマスターに一言告げて、夜桜を出ることを決意する。
「マスター、また来ます。今日はもう帰るので哲平によろしく言っといてください」
哲平の罵倒が背中から聞こえてくるが、僕は耳を塞いで無視をする。
苦笑するマスターに一礼すると一目散に店の外へと逃げることにした。
「はなせ、はなせ! 俺は家に帰るんだ! 急用なんだ!」
哲平の絶叫と共に夜は更けていく。
僕は彼の冥福を祈らずにはいられなかった。
「うん、夜の世界で飲み過ぎは良くないね」
哲平と無事に再会できる事を星空に祈った僕は、コンビニで酒とツマミを買って帰路についた。
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