捨てた私にすがるとか、情けなくないんですか?
鉄瓶の湯が沸騰し、シュンシュンと鳴っている。
蒸気がゆらりと立ち昇り、窓から差し込む朝日に溶けていった。
私がそれをぼんやり眺めていると、窓際に座る常連客が、こほんと咳をする。
「げふんげふん……リリアナ、もう湯が充分に沸いているようだが」
「あ、ごめんなさい」
私は頬杖から立ち上がり、鉄瓶を火から外す。
そうしておいて、棚に並ぶ琥珀色の瓶からひとつ選び、取り出した。
中には丁寧に乾燥させたカモミールが入っていて、フタを開けると、花の香りがふわりと私の鼻をくすぐる。
陶器のポットにふたつまみ入れて静かに湯を注ぐと、湯気と共に、熟した林檎のような香りが立ち昇った。
しばらく蒸らしてから、カウンターを回り込み、温めておいた白磁のカップと共に窓際の席へと運ぶ。
目が合うと、常連客のルシアンが、春の陽ざしに負けないくらいの笑顔を送ってきた。
笑顔を向けられるのは嬉しいけれど、こう毎日だとなあ。
私はすましてテーブルに置く。
「今日は、カモミールにしてみました」
「やあ、ありがとう良い香りだ。
さっきは何を考えていたんだい? 横顔がとても素敵だったものだから」
「なにも考えていませんよ。眠くて少しぼうっとしてました」
「春だねえ」
「ルシアン様はよくもまあ、こう、朝一番で来られるものですね」
「君を独り占めできるから、頑張って起きているのさ」
「私を口説いても、何にもありませんよ」
「そろそろ、丘のヴェリナが満開の頃なんだが、見に行かないか?」
「へえ、あそこの花は、毎年色が違うそうですね」
「そうなんだ、冬場の日照時間で変化してね、そこが面白い。気になるだろう?」
「まあ、そうですねえ……」
私が考えるフリをすると、ルシアンが身を乗り出す。
お付き合いするつもりはないけれど、これぐらいのやり取りは楽しんでる。
でもまあ、お花見くらい一緒に行っても良いかなあ。
この街にきて2年。
私は街の片隅で、小さな喫茶店を開いていた。
初めは開くつもりなんかなかったけれど、まさか自分のハーブティー集めの趣味が、こんな形で今に繋がるなんて――思わなかったな。
そのきっかけを作ってくれたのは、目の前に座っているルシアンだった。
それを考えると、お花見くらい良いかもしれない。
3度目を迎えた春が、私の心を少しずつ溶かしていた。
私が色よい返事を思い浮かべたその時、喫茶「シュシュカ」の扉を激しく押し開き、血走った目をした男が入ってくる。
私を見るなり、その男が吠えた。
「こんな所におったか、リリアナァァァ!」
私は名を呼ばれてビクリと震える。
朝の平穏を突き破るその怒声が、私の閉じかけていた冬の記憶をこじ開けた。
――あれは3年前の冬。
無理やり付き合わされたお茶会の席で、隣に座るマルグリットが突然苦しみ始めた。
その時、同席していた令嬢2人が証言する。
マルグリット様のティーカップに、私が毒を盛るのを見たと。
私はその場でつるし上げられた。
どんなに否定しても、誰も耳を貸そうとはしなかった。
マルグリットは命はとりとめたが絶対安静とのことで、面会を希望してもことごとく退けられた。
審問評議員の調べによると、ティーカップには「ダスト・ミント」の毒が盛られていたと言う。
そして私の部屋のハーブ棚から、そのダスト・ミントが発見されたらしい。
私がどんなに無実だと主張しても、聞き入れられなかった。
私は3ヶ月幽閉され、その後、私の婚約者に辺境への追放を言い渡される。
私はわざわざ、白亜の大広間に引き出された。
跪く私の前に、婚約者である王太子「ライナルト」が立ち、その横には血色の良いマルグリットが寄り添っている。
「まあ怖い。ライナルトさま、リリアナさんが私を睨みつけています」
マルグリットはそういって、ライナルトの腕に、両腕を絡ませる。
ライナルトはマルグリットを庇うように一歩踏み出し、私を怒鳴りつけた。
「リリアナ!
貴様は、俺の婚約者であることを良い事に、王宮内で我が物顔に振舞い続け、あろうことか俺とマルグリットの中を疑い、白昼堂々と毒殺しようとは!
それが、聖女と神学認定された女のすることかあ!」
ライナルトはマルグリットの腰を抱き寄せて、私を断罪する。
なにを言うのか、侯爵令嬢のマルグリットがライナルトの愛妾なのは、公然の秘密じゃないか。
今も堂々と引き寄せて、隠す気もない。
周りで見つめている貴族たちは、何も言わなかった。
これはそういう公開処刑だった。
私の生まれたエリュシオン王国では、「聖女の力」を王家に取り込み、繁栄を安定させるために政略結婚させる。
聖魔法を操る者の中で、歳も近く一番魔力量の多い者が、代々の王太子と結婚する掟があった。
そしてライナルトの相手として、聖教院から選ばれたのが、貧しい男爵家の令嬢であるこの私だった。
私は神の御意思として、甘んじてそれを受け入れたけれど、ライナルトはそうじゃなかったらしい。
ライナルトは長々と私の罪状を並べ立てた後、聴衆の面前で高らかに宣言する。
「リリアナ、お前との婚約を破棄する!」
そうして私は、辺境の地へ追放された。
そしてたった今。
その追い出した張本人が、2年後、再び私の前へ現れた。
血走った眼と共に――
「リリアナァァァ!」
その声に私は後ずさりして、カウンターに腰が強く当たる。
それ以上の下がれない私に向かって、ライナルトが恐ろしい形相で掴みかかろうとした。
思わず顔を背けたとき、私とライナルトの間に、常連客のルシアンが滑り込む。
「ルシアン様!」
ライナルトは構わず踏み込み、私に手を伸ばそうとする。
その手をルシアンが掴み、軽くねじり上げた。
するとそれだけで、200㎝以上あるライナルトの体が宙を一回転してしまう。
回転の勢いのままに、テーブルを押し倒しながら、ライナルトが派手に転がった。
ティーカップが割れて、カモミールが床に飛び散る。
「すまないリリアナ。君のお気に入りのティーカップが割れてしまった」
ルシアンはすました顔で、私に微笑みを送る。
その笑みが自信たっぷりで、私に心配するなと言っていた。
倒れた椅子を荒々しく払いのけながら、ライナルトが立ち上がった。
その額からは血が流れ出し、右目にかかる。
ライナルトは瞬きもせず、ルシアンを睨みつけた。
「なんだ貴様! 邪魔をするなああ!」
「相変わらず猪だな君は」
「なんだと!?」
「君のような者が上にいると、民も苦労する」
「貴様あっ、この俺をエリュシオン王太子、ライナルト・ド・ヴァルモントだと知っての言葉かあ!」
その名乗りに反応して、店内に何人ものエリュシオン王国の近衛兵が入ってきた。
狭い店内に、金属アーマーのプレートがすり合わさる音が響く。
「こやつを切り捨てろ!」
むき出しの殺意で、指示を出すライナルト。
けれど近衛兵たちは、直ぐには動けず、明らかに戸惑いの色を浮かべていた。
「なにをしている、早く切り捨てろ!」
「君の近衛はとても優秀だね。私に剣を向けたら、国同士の戦になると分かっている」
「なにい!?」
「私の顔を忘れたのかいライナルト。まあ君は夜会でいつも女性を追いかけていたからね。
君の手癖の悪さは、ここローウェル王国でも有名だよ。
わざわざ隣国へ越境してまで、追いかけてくるなんて、君の頭はよっぽどらしい」
「お前、まさか!」
「王太子がこんな所で、油を売っていていいのかい?
君の国は今、大変だと聞いているよ」
「だからここへ来たんだろうが!
この女が勝手に居なくなったせいで、今我が国は長雨や疫病で、瘴気を払いのける結界がめちゃくちゃになっているっ。
我が父も病に伏せているというのに!」
「君がリリアナの国籍を剝奪して、追放したのだろう?
代わりの聖女を、娶ったのではないのかい?」
「あんな役立たずな女など!
さあこっちへ来いリリアナ! 俺の元へ戻れっ、また優しく飼ってやる!」
その傲慢な言葉に、私は下唇を噛んだ。
私の中で、抑え込んでいた怒りがこみ上げてくる。
けれど同時に足が震えていた。
ライナルトはまるで獣のようだった。
理性が外れている。
こんな男に付きまとわれたら、私の居場所なんて一生どこにも見つからない。
硬直した私の腰に、ルシアンの手が回された。
引き寄せるのではなく、私に寄り添う。
私だけに聞こえる声で、耳元に囁いた。
「ここは、君を口説くチャンスだな」
「え?」
「ここはリリアナ自身が、あの男にはっきりと言葉に出し、突き付けなければいけない。
リリアナ自身の言葉で、切り開くんだ。
大丈夫、後先のことは何も考える事はない。
私が一生をかけて、リリアナを守り抜き、添い遂げてみせるさ」
「ルシアン様」
震える足を、ルシアンが支えてくれる。
私はゆっくりと顔を上げ、ライナルトを真っ直ぐに見据えた。
「……ライナルト殿下、勘違いしないで。
私はもう、あなたの物でも、国の道具でもありません。
あなたが愛妾と共謀して、私を追い出したあの日。
私の中の『聖女』は死にました。
今ここにいるのは、お茶を淹れるだけの、ただの店主リリアナです。
国が荒れている? 結界がめちゃくちゃ?
それは私がいなくなったせいではなく、あなたのせい。
自分の無能を、追い出した女のせいにするなんて、情けないと思わないの?
戻れとおっしゃいましたね。お断りします。
私の場所はここです。
ここは、あなたのようなケダモノが、足を踏み入れて良い場所ではないわ」
「リリアナきさまああ!」
ライナルトが怒りの形相で、打ち震えていた。
その手で私の首を絞めたいのか、両手をかぎ爪のように曲げて、歯を食いしばっている。
「よく言ったリリアナ」
ルシアンが私の背中をぽんと叩き、一歩前に出る。
指先をくるくると回して、彼が呪文を唱えた。
「赤い決闘」
指先から赤い花びらが舞い、ライナルトの刺繡入りのシャツに止まり、赤い染みとなった。
ライナルトが食い入るように、花弁型の染みを見つめている。
「これはっ」
「学園生の頃、よくやらなかったかい?
剣は無し、魔法も無し、殺しも無し。
1人の女性をかけて、男2人が拳で殴り合うアレさ。
受けて立つなら、君と武装した近衛たちの無断越境に目をつぶろう。
それともこのまま、隣国に越権行為として保護されて、手厚く国外退去されたいかい?」
それを聞き、近衛たちに動揺が走る。
そのざわめきを無視できるほど、ライナルトは馬鹿ではなかった。
隣国の聴衆に見送られ、手厚く国外退去など、生き恥を晒すようなもの。
200㎝以上の体躯が、怒りで更に膨れ上がったように見えた。
ルシアンとは、頭一つ分背丈が違う。
ライナルトが不敵な笑みを浮かべる。
「さっきの妙な投げだけで、勝った気でいるのか?」
ライナルトの目が、殺意で赤黒く濁った。
*
窓を突き破り、ライナルトが店先の通りに転がる。
起き上がろうとするけれど、足が痙攣して立てない。
右肩が外れていた。
「ぐっ、こいつっ」
「はあ、はあ、はあ、はあっ」
ライナルトを追って、窓から出るルシアンも無傷ではなかった。
銀の髪は乱れ、こめかみや口から血を流している。
片足を引きずっていた。
「立て、ライナルト」
「ぐうっ」
「お前だけは許せん、まだ殴り足りん」
「くそがっ」
「立てっ」
「ルシアン様、もうやめてっ」
私はルシアンの背に抱きつく。
「リリアナ?」
「ルシアン様が、これ以上傷つくのは見ていられません。
こちらを向いて下さい、ルシアン様」
振り向くルシアンの頬に、私は手を添える。
私の掌から流れる聖属性の光が、彼の傷を癒していった。
ルシアンが気持ち良さそうに目を細める。
「君の光を初めて見た。綺麗な翡翠色なんだね」
ルシアンの青い瞳に、私が写っていた。
その吸い込まれそうな色に、私は今この場を忘れて魅入ってしまう。
そんな私に、ひび割れた声がかけられた。
「ぐうっ、戻ってこいリリアナ。でないと俺の地位がっ」
私は石畳に這いつくばる男を、冷ややかに見つめる。
「ライナルト様、あなたはここに来るべきではなかった」
「何を言っている、お前さえいればっ」
「あなたの地位? それほど大事だったら、その場で踏ん張って何があろうとも耐えるべきでした」
「耐える? 何を言っている?」
「あなたは、私を連れて帰ると称して、実のところ逃げて来たんです。
安易に私の力を頼って逃げている間に、エリュシオンで何かが起きた」
私はライナルトの胸元を見つめた。
シャツがボロボロになり、胸元がはだけている。
その胸元には、代々エリュシオンの正当な後継者の証である、聖教院から「神受」された紋様が刻まれていた。
けれど――
「ご自分で、胸元をよく見て」
「何を言って――ひゃあ!」
ライナルトは胸元に刻まれた「双首の鷲」を見て、汚い悲鳴を上げた。
双首の鷲は、右の頭が聖教院を、左の頭が王家を現わしていた。
その王家を表す鷲の首が、消えかけている。
それは刻まれた者が、王位を剝奪され、聖教院から破門されたことを意味していた。
「なにい!? なぜだっ、なぜえ!?」
朝の通りには、行きかう人々が騒ぎに足をとめ、既に多くの人だかりが出来ていた。
その人垣の中から、一人の男がすっとルシアンに近づき、折りたたんだ紙を手渡し、また人込みに消えていった。
ルシアンが紙を開き、綴られた文字に目を見開く。
「ライナルト、君は本当に守るべき足場から、離れるべきではなかった。
昨夜、病に伏せていた現国王が崩御。
それをきっかけに、王都でクーデターが起きたようだ。
不在であった元王太子の君の首には、『エリュシオン金貨500枚』の懸賞金がかけられてる」
「へ?」
ライナルトは事の深刻さを理解したくないのか、きょとんとしていた。
ルシアンが、棒立ちになっているライナルトの近衛兵に声をかけた。
「どうする? 君たちは?」
その問いかけに、近衛兵のプレートメイルが揺れた。
近衛同士で目配せしあう。
彼らは腰の剣に手をかけながら、自分たちが守るべきライナルトへ、にじり寄っていく。
「なんだお前らっ、何をするつもりだ!?
寄るな、来るな、離れろおぉぉぉ!」
ライナルトは痙攣する足で必死に立ち上がり、背を向けて、近衛からよたよたと離れようとする。
人垣がライナルトの形相にのけ反り、左右に割れた。
その中をライナルトが、歩き始めたばかりの赤子のように逃げて行く。
その泣き声は、命乞いの悲鳴だった
「さようならライナルト」
近衛のひとりが、ライナルトの背を蹴りつけた時も、私は目を離さなかった。
*
ヴェリナの丘は、一面に薄紫色の花が咲いていた。
裾野へと吹く穏やかな風が、花びらを舞い散らせ、眼下の街並へと流れていく。
舞い散る花弁は離れるにつれ、陽光を反射して、薄紫色から白へと変わり輝いていた。
私とルシアンは、踝まで沈む薄紫色の丘を、のんびりと歩く。
「リリアナ。君のことはずっと前から知っていた。
夜会で、何度か君を見かけたのさ。
あの男が他の女性を追いかけている間、君はずっと壁の花だった。
私はその時の、リリアナの横顔を忘れられない。
あの男が婚約破棄をしたと聞いたとき、正直言って私は胸が高鳴った。
それで迷わず、辺境に引っ越した君の館の前をウロウロしたのさ」
「朝の庭先で声をかけてくれたのは、偶然ではなかったのですか?」
「扉を叩くほどの勇気は、無かったんでね」
「そのお陰で、私はここにいるのですね」
「そう思ってくれるかい?」
「知っていますかルシアン。
ヴェリナの花を乾燥させてハーブティーにすると、綺麗な紫色のお茶になるんですよ。
飲みたいですか?」
「それは、是非とも試さなくてはね」
「ふふふ」
私とルシアンは散歩のあと、ヴェリナの花を摘んで帰った。
そして1年後――
私はローウェル王国の第一王子、ルシアン・ド・ヴァルフレイドの妃となった。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
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