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捨てた私にすがるとか、情けなくないんですか?

掲載日:2026/01/27


鉄瓶の湯が沸騰し、シュンシュンと鳴っている。

蒸気がゆらりと立ち昇り、窓から差し込む朝日に溶けていった。


私がそれをぼんやり眺めていると、窓際に座る常連客が、こほんと咳をする。


「げふんげふん……リリアナ、もう湯が充分に沸いているようだが」

「あ、ごめんなさい」


私は頬杖から立ち上がり、鉄瓶を火から外す。

そうしておいて、棚に並ぶ琥珀(こはく)色の瓶からひとつ選び、取り出した。

中には丁寧に乾燥させたカモミールが入っていて、フタを開けると、花の香りがふわりと私の鼻をくすぐる。


陶器のポットにふたつまみ入れて静かに湯を注ぐと、湯気と共に、熟した林檎のような香りが立ち昇った。

しばらく蒸らしてから、カウンターを回り込み、温めておいた白磁のカップと共に窓際の席へと運ぶ。

目が合うと、常連客のルシアンが、春の陽ざしに負けないくらいの笑顔を送ってきた。


笑顔を向けられるのは嬉しいけれど、こう毎日だとなあ。

私はすましてテーブルに置く。


「今日は、カモミールにしてみました」

「やあ、ありがとう良い香りだ。

さっきは何を考えていたんだい? 横顔がとても素敵だったものだから」


「なにも考えていませんよ。眠くて少しぼうっとしてました」

「春だねえ」

「ルシアン様はよくもまあ、こう、朝一番で来られるものですね」

「君を独り占めできるから、頑張って起きているのさ」


「私を口説いても、何にもありませんよ」

「そろそろ、丘のヴェリナが満開の頃なんだが、見に行かないか?」


「へえ、あそこの花は、毎年色が違うそうですね」

「そうなんだ、冬場の日照時間で変化してね、そこが面白い。気になるだろう?」


「まあ、そうですねえ……」


私が考えるフリをすると、ルシアンが身を乗り出す。

お付き合いするつもりはないけれど、これぐらいのやり取りは楽しんでる。


でもまあ、お花見くらい一緒に行っても良いかなあ。

この街にきて2年。

私は街の片隅で、小さな喫茶店を開いていた。


初めは開くつもりなんかなかったけれど、まさか自分のハーブティー集めの趣味が、こんな形で今に繋がるなんて――思わなかったな。

そのきっかけを作ってくれたのは、目の前に座っているルシアンだった。


それを考えると、お花見くらい良いかもしれない。

3度目を迎えた春が、私の心を少しずつ溶かしていた。


私が色よい返事を思い浮かべたその時、喫茶「シュシュカ」の扉を激しく押し開き、血走った目をした男が入ってくる。

私を見るなり、その男が吠えた。


「こんな所におったか、リリアナァァァ!」


私は名を呼ばれてビクリと震える。

朝の平穏を突き破るその怒声が、私の閉じかけていた冬の記憶をこじ開けた。



――あれは3年前の冬。

無理やり付き合わされたお茶会の席で、隣に座るマルグリットが突然苦しみ始めた。


その時、同席していた令嬢2人が証言する。

マルグリット様のティーカップに、私が毒を盛るのを見たと。


私はその場でつるし上げられた。

どんなに否定しても、誰も耳を貸そうとはしなかった。

マルグリットは命はとりとめたが絶対安静とのことで、面会を希望してもことごとく退けられた。


審問評議員の調べによると、ティーカップには「ダスト・ミント」の毒が盛られていたと言う。

そして私の部屋のハーブ棚から、そのダスト・ミントが発見されたらしい。


私がどんなに無実だと主張しても、聞き入れられなかった。

私は3ヶ月幽閉され、その後、私の婚約者に辺境への追放を言い渡される。


私はわざわざ、白亜の大広間に引き出された。

(ひざまず)く私の前に、婚約者である王太子「ライナルト」が立ち、その横には血色の良いマルグリットが寄り添っている。


「まあ怖い。ライナルトさま、リリアナさんが私を睨みつけています」


マルグリットはそういって、ライナルトの腕に、両腕を絡ませる。

ライナルトはマルグリットを庇うように一歩踏み出し、私を怒鳴りつけた。


「リリアナ!

貴様は、俺の婚約者であることを良い事に、王宮内で我が物顔に振舞い続け、あろうことか俺とマルグリットの中を疑い、白昼堂々と毒殺しようとは!

それが、聖女と神学認定された女のすることかあ!」


ライナルトはマルグリットの腰を抱き寄せて、私を断罪する。

なにを言うのか、侯爵令嬢のマルグリットがライナルトの愛妾なのは、公然の秘密じゃないか。

今も堂々と引き寄せて、隠す気もない。


周りで見つめている貴族たちは、何も言わなかった。

これはそういう公開処刑だった。


私の生まれたエリュシオン王国では、「聖女の力」を王家に取り込み、繁栄を安定させるために政略結婚させる。

聖魔法を操る者の中で、歳も近く一番魔力量の多い者が、代々の王太子と結婚する掟があった。


そしてライナルトの相手として、聖教院から選ばれたのが、貧しい男爵家の令嬢であるこの私だった。

私は神の御意思として、甘んじてそれを受け入れたけれど、ライナルトはそうじゃなかったらしい。

ライナルトは長々と私の罪状を並べ立てた後、聴衆の面前で高らかに宣言する。


「リリアナ、お前との婚約を破棄する!」


そうして私は、辺境の地へ追放された。


そしてたった今。

その追い出した張本人が、2年後、再び私の前へ現れた。

血走った眼と共に――


「リリアナァァァ!」


その声に私は後ずさりして、カウンターに腰が強く当たる。

それ以上の下がれない私に向かって、ライナルトが恐ろしい形相で掴みかかろうとした。

思わず顔を背けたとき、私とライナルトの間に、常連客のルシアンが滑り込む。


「ルシアン様!」


ライナルトは構わず踏み込み、私に手を伸ばそうとする。

その手をルシアンが掴み、軽くねじり上げた。


するとそれだけで、200㎝以上あるライナルトの体が宙を一回転してしまう。

回転の勢いのままに、テーブルを押し倒しながら、ライナルトが派手に転がった。

ティーカップが割れて、カモミールが床に飛び散る。


「すまないリリアナ。君のお気に入りのティーカップが割れてしまった」


ルシアンはすました顔で、私に微笑みを送る。

その笑みが自信たっぷりで、私に心配するなと言っていた。


倒れた椅子を荒々しく払いのけながら、ライナルトが立ち上がった。

その額からは血が流れ出し、右目にかかる。

ライナルトは瞬きもせず、ルシアンを睨みつけた。


「なんだ貴様! 邪魔をするなああ!」

「相変わらず猪だな君は」


「なんだと!?」

「君のような者が上にいると、民も苦労する」

「貴様あっ、この俺をエリュシオン王太子、ライナルト・ド・ヴァルモントだと知っての言葉かあ!」


その名乗りに反応して、店内に何人ものエリュシオン王国の近衛兵が入ってきた。

狭い店内に、金属アーマーのプレートがすり合わさる音が響く。


「こやつを切り捨てろ!」


むき出しの殺意で、指示を出すライナルト。

けれど近衛兵たちは、直ぐには動けず、明らかに戸惑いの色を浮かべていた。


「なにをしている、早く切り捨てろ!」

「君の近衛はとても優秀だね。私に剣を向けたら、国同士の戦になると分かっている」


「なにい!?」


「私の顔を忘れたのかいライナルト。まあ君は夜会でいつも女性を追いかけていたからね。

君の手癖の悪さは、ここローウェル王国でも有名だよ。

わざわざ隣国へ越境してまで、追いかけてくるなんて、君の頭はよっぽどらしい」


「お前、まさか!」


「王太子がこんな所で、油を売っていていいのかい?

君の国は今、大変だと聞いているよ」


「だからここへ来たんだろうが!

この女が勝手に居なくなったせいで、今我が国は長雨や疫病で、瘴気を払いのける結界がめちゃくちゃになっているっ。

我が父も病に伏せているというのに!」


「君がリリアナの国籍を剝奪して、追放したのだろう? 

代わりの聖女を、娶ったのではないのかい?」


「あんな役立たずな女など!

さあこっちへ来いリリアナ! 俺の元へ戻れっ、また優しく飼ってやる!」


その傲慢な言葉に、私は下唇を噛んだ。

私の中で、抑え込んでいた怒りがこみ上げてくる。

けれど同時に足が震えていた。


ライナルトはまるで獣のようだった。

理性が外れている。

こんな男に付きまとわれたら、私の居場所なんて一生どこにも見つからない。


硬直した私の腰に、ルシアンの手が回された。

引き寄せるのではなく、私に寄り添う。

私だけに聞こえる声で、耳元に(ささ)いた。


「ここは、君を口説くチャンスだな」

「え?」


「ここはリリアナ自身が、あの男にはっきりと言葉に出し、突き付けなければいけない。

リリアナ自身の言葉で、切り開くんだ。

大丈夫、後先のことは何も考える事はない。

私が一生をかけて、リリアナを守り抜き、添い遂げてみせるさ」


「ルシアン様」


震える足を、ルシアンが支えてくれる。

私はゆっくりと顔を上げ、ライナルトを真っ直ぐに見据えた。


「……ライナルト殿下、勘違いしないで。

私はもう、あなたの物でも、国の道具でもありません。


あなたが愛妾と共謀して、私を追い出したあの日。

私の中の『聖女』は死にました。

今ここにいるのは、お茶を淹れるだけの、ただの店主リリアナです。


国が荒れている? 結界がめちゃくちゃ?

それは私がいなくなったせいではなく、あなたのせい。

自分の無能を、追い出した女のせいにするなんて、情けないと思わないの?


戻れとおっしゃいましたね。お断りします。

私の場所はここです。

ここは、あなたのようなケダモノが、足を踏み入れて良い場所ではないわ」


「リリアナきさまああ!」


ライナルトが怒りの形相で、打ち震えていた。

その手で私の首を絞めたいのか、両手をかぎ爪のように曲げて、歯を食いしばっている。


「よく言ったリリアナ」


ルシアンが私の背中をぽんと叩き、一歩前に出る。

指先をくるくると回して、彼が呪文を唱えた。


赤い決闘(ルージュ・ド・ガント)


指先から赤い花びらが舞い、ライナルトの刺繡(ししゅ)入りのシャツに止まり、赤い染みとなった。

ライナルトが食い入るように、花弁型の染みを見つめている。


「これはっ」


「学園生の頃、よくやらなかったかい? 

剣は無し、魔法も無し、殺しも無し。

1人の女性をかけて、男2人が拳で殴り合うアレさ。

受けて立つなら、君と武装した近衛たちの無断越境に目をつぶろう。

それともこのまま、隣国に越権行為として保護されて、手厚く国外退去されたいかい?」


それを聞き、近衛たちに動揺が走る。

そのざわめきを無視できるほど、ライナルトは馬鹿ではなかった。

隣国の聴衆に見送られ、手厚く国外退去など、生き恥を(さら)すようなもの。


200㎝以上の体躯が、怒りで更に膨れ上がったように見えた。

ルシアンとは、頭一つ分背丈が違う。

ライナルトが不敵な笑みを浮かべる。


「さっきの妙な投げだけで、勝った気でいるのか?」


ライナルトの目が、殺意で赤黒く濁った。



    *



窓を突き破り、ライナルトが店先の通りに転がる。

起き上がろうとするけれど、足が痙攣(けいれん)して立てない。

右肩が外れていた。


「ぐっ、こいつっ」

「はあ、はあ、はあ、はあっ」


ライナルトを追って、窓から出るルシアンも無傷ではなかった。

銀の髪は乱れ、こめかみや口から血を流している。

片足を引きずっていた。


「立て、ライナルト」

「ぐうっ」


「お前だけは許せん、まだ殴り足りん」

「くそがっ」

「立てっ」


「ルシアン様、もうやめてっ」


私はルシアンの背に抱きつく。


「リリアナ?」

「ルシアン様が、これ以上傷つくのは見ていられません。

こちらを向いて下さい、ルシアン様」


振り向くルシアンの頬に、私は手を添える。

私の(てのひら)から流れる聖属性の光が、彼の傷を癒していった。

ルシアンが気持ち良さそうに目を細める。


「君の光を初めて見た。綺麗な翡翠(ひすい)色なんだね」


ルシアンの青い瞳に、私が写っていた。

その吸い込まれそうな色に、私は今この場を忘れて魅入ってしまう。

そんな私に、ひび割れた声がかけられた。


「ぐうっ、戻ってこいリリアナ。でないと俺の地位がっ」


私は石畳に這いつくばる男を、冷ややかに見つめる。


「ライナルト様、あなたはここに来るべきではなかった」

「何を言っている、お前さえいればっ」


「あなたの地位? それほど大事だったら、その場で踏ん張って何があろうとも耐えるべきでした」

「耐える? 何を言っている?」


「あなたは、私を連れて帰ると称して、実のところ逃げて来たんです。

安易に私の力を頼って逃げている間に、エリュシオンで何かが起きた」


私はライナルトの胸元を見つめた。

シャツがボロボロになり、胸元がはだけている。


その胸元には、代々エリュシオンの正当な後継者の証である、聖教院から「神受(しんじゅ)」された紋様が刻まれていた。

けれど――


「ご自分で、胸元をよく見て」

「何を言って――ひゃあ!」


ライナルトは胸元に刻まれた「双首の(わし)」を見て、汚い悲鳴を上げた。

双首の鷲は、右の頭が聖教院を、左の頭が王家を現わしていた。


その王家を表す鷲の首が、消えかけている。

それは刻まれた者が、王位を剝奪(はくだつ)され、聖教院から破門されたことを意味していた。


「なにい!? なぜだっ、なぜえ!?」


朝の通りには、行きかう人々が騒ぎに足をとめ、既に多くの人だかりが出来ていた。

その人垣の中から、一人の男がすっとルシアンに近づき、折りたたんだ紙を手渡し、また人込みに消えていった。

ルシアンが紙を開き、(つづ)られた文字に目を見開く。


「ライナルト、君は本当に守るべき足場から、離れるべきではなかった。

昨夜、病に伏せていた現国王が崩御。

それをきっかけに、王都でクーデターが起きたようだ。

不在であった()王太子の君の首には、『エリュシオン金貨500枚』の懸賞金がかけられてる」


「へ?」


ライナルトは事の深刻さを理解したくないのか、きょとんとしていた。

ルシアンが、棒立ちになっているライナルトの近衛兵に声をかけた。


「どうする? 君たちは?」


その問いかけに、近衛兵のプレートメイルが揺れた。

近衛同士で目配せしあう。

彼らは腰の剣に手をかけながら、自分たちが守るべきライナルトへ、にじり寄っていく。


「なんだお前らっ、何をするつもりだ!? 

寄るな、来るな、離れろおぉぉぉ!」


ライナルトは痙攣する足で必死に立ち上がり、背を向けて、近衛からよたよたと離れようとする。

人垣がライナルトの形相にのけ反り、左右に割れた。


その中をライナルトが、歩き始めたばかりの赤子のように逃げて行く。

その泣き声は、命乞いの悲鳴だった


「さようならライナルト」


近衛のひとりが、ライナルトの背を蹴りつけた時も、私は目を離さなかった。



    *



ヴェリナの丘は、一面に薄紫色の花が咲いていた。

裾野へと吹く穏やかな風が、花びらを舞い散らせ、眼下の街並へと流れていく。


舞い散る花弁は離れるにつれ、陽光を反射して、薄紫色から白へと変わり輝いていた。

私とルシアンは、(くるぶし)まで沈む薄紫色の丘を、のんびりと歩く。


「リリアナ。君のことはずっと前から知っていた。

夜会で、何度か君を見かけたのさ。

あの男が他の女性を追いかけている間、君はずっと壁の花だった。

私はその時の、リリアナの横顔を忘れられない。


あの男が婚約破棄をしたと聞いたとき、正直言って私は胸が高鳴った。

それで迷わず、辺境に引っ越した君の館の前をウロウロしたのさ」


「朝の庭先で声をかけてくれたのは、偶然ではなかったのですか?」

「扉を叩くほどの勇気は、無かったんでね」


「そのお陰で、私はここにいるのですね」

「そう思ってくれるかい?」


「知っていますかルシアン。

ヴェリナの花を乾燥させてハーブティーにすると、綺麗な紫色のお茶になるんですよ。

飲みたいですか?」


「それは、是非とも試さなくてはね」

「ふふふ」


私とルシアンは散歩のあと、ヴェリナの花を摘んで帰った。

そして1年後――


私はローウェル王国の第一王子、ルシアン・ド・ヴァルフレイドの妃となった。





最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

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