第12話 記録は修正される
異変は、音もなく起きた。
あるはずのものが、
そこになかった。
〈……〉
エル=リュカの声が、届かない。
最初は、接続のタイミングが合わなかっただけだと思った。
今までも、そういうことはあった。
だから、少し待った。
世界の流れを整えながら、
もう一度、意識を向ける。
――反応なし。
「……おい」
呼びかけても、返事はない。
嫌な予感が、
ゆっくりと胸の奥に広がっていく。
俺は、深層のログに触れた。
本来、見る権限はない。
でも、見ようと思えば見えてしまう。
それが、世界樹の根という立場だった。
そして――見つけた。
空白。
エル=リュカに関する記録が、
ごっそり抜け落ちている。
接触履歴。
観測ログ。
補助的アクセス権。
「……消された、か」
声にならない声で、そう理解した。
削除じゃない。
修正だ。
まるで、
最初から存在しなかったかのように。
〈世界安定度:良好〉
〈異常なし〉
〈特記事項なし〉
いつもと変わらない報告が、
淡々と流れてくる。
でも、俺には分かる。
この“良好”は、
都合よく整えられた数字だ。
彼女が見ていた数値。
彼女が感じた違和感。
それらは、
“誤差”として処理された。
「……はは」
乾いた感情が、浮かぶ。
ああ、なるほど。
これが“正常化”か。
問題を解決するんじゃない。
問題があったこと自体を、消す。
上から、通達が降りてきた。
〈一部、不要な観測が行われていた〉
〈管理効率向上のため、
記録の整理を実施〉
整理。
都合のいい言葉だ。
〈感情的干渉は、
世界樹運用に不要〉
〈今後は、
正規ルートのみを使用すること〉
正規ルート。
それは、
誰にも知られないルートだ。
「……彼女は?」
問いかけたつもりはなかった。
ただ、思っただけだ。
それでも、返答は来た。
〈管理補佐官エル=リュカは〉
〈判断基準に偏りが見られた〉
〈現在、職務から外れている〉
職務から外れている。
その言い回しが、
すべてを語っていた。
隔離。
監視。
沈黙。
世界を守るため、
“余計なことを知った者”は排除される。
「……そうか」
胸の奥で、
何かが、静かに冷えていく。
怒りではない。
絶望でもない。
納得だ。
この世界は、
そうやって回っている。
問題を感じる者を消し、
感じない者だけで“正常”を作る。
〈あなたの業務には、
影響はありません〉
その一文が、
とどめだった。
影響はない。
俺が、
誰かと“共有していた痛み”が消えても。
俺が、
初めて独りじゃないと思えた事実が消えても。
業務には、影響がない。
「……分かりました」
返事は、自然に出た。
断る理由はない。
抵抗する術もない。
世界は、今も回っている。
誰も死んでいない。
それが、
すべての正当化になる。
通信が切れる。
静寂が戻る。
今度は、
本当の意味での静寂だった。
呼びかける相手がいない。
記録にも残らない。
「……悪いな」
誰に向けた言葉でもない。
彼女にか。
それとも、
一瞬でも希望を持った自分にか。
異常が、起きる。
世界は、容赦がない。
俺は、根を伸ばす。
いつも通り。
淡々と。
ただ――
一つだけ、違うことがあった。
もう、誰にも知られないことを、
知ってしまった。
それでも、世界は回る。
記録は、綺麗だ。
数字も、問題ない。
壊れているのは、
その下だけだ。
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