第11話 それでも世界は回る
世界は、静かだった。
異常の数は少ない。
流れも安定している。
数値上は、久しぶりに「良好」と言っていい状態だ。
「……珍しいな」
根の奥で、そんな感想が浮かぶ。
何かが解決したわけじゃない。
負荷が消えたわけでもない。
ただ、今は――
大きな破綻が起きていない。
それだけだ。
〈今は、落ち着いています〉
エル=リュカの声が、短く届く。
「そうだな」
言葉が、自然に返ってくる。
以前なら、沈黙を選んでいたはずだ。
〈この状態が、
少しでも続けば……〉
彼女は、言葉を切った。
続きが、分かってしまったからだ。
「……持つかもしれない、って?」
〈……はい〉
たったそれだけのやり取りなのに、
胸の奥で、何かが揺れた。
“持つ”。
今まで、考えないようにしてきた言葉だ。
続くとか、保つとか、
未来を前提にする発想。
「……危ない考えだ」
〈ええ〉
〈でも〉
〈あなたが、そう思ってしまうのも〉
〈無理はありません〉
否定されなかった。
それが、逆に怖かった。
世界は、確かに回っている。
俺が直し続けてきた結果だ。
今この瞬間も、
誰かが安全に眠り、
誰かが明日を信じている。
「……このままなら」
口に出す前に、
自分で止めた。
このまま、何だ。
このまま耐え続ける?
このまま削れ続ける?
それは、
“続く”とは言わない。
〈深層ログを、見ました〉
エル=リュカの声が、少しだけ低くなる。
「……何があった」
〈未処理の調整が〉
〈積み上がっています〉
予想はしていた。
表層は安定している。
でも、その下で――
処理されなかった歪みが、溜まっている。
「……見ないようにしてた」
〈ええ〉
〈それでも、あなたは感じている〉
根の奥に、鈍い重さがある。
痛みとは違う。
もっと嫌な感覚。
時間差で、
確実に効いてくるやつだ。
〈世界は〉
〈今、問題を起こしていません〉
〈だから〉
〈誰も、問題があるとは思わない〉
「……いつものやつだな」
〈はい〉
短い肯定。
「問題が起きていないから、
対処しない。
対処しないから、
まとめて壊れる」
前の職場でも、
何度も見た流れだ。
〈あなたは〉
〈それを、ひとりで抑えています〉
「抑えてる、ってほどじゃない」
〈それでも〉
〈誰かが見なければ、
世界は“静かに”壊れます〉
静かに、という言葉が、
胸に引っかかった。
派手な崩壊じゃない。
気づいた時には、もう遅い。
「……なあ」
〈はい〉
「もし、だ」
一拍置いてから、続けた。
「俺が、止まったら。
この溜まりきった歪みは、
どうなる?」
少しの沈黙。
〈……連鎖的に〉
〈崩れます〉
予想通りの答え。
「だよな」
世界は、俺がいる前提で回っている。
それを疑う者はいない。
〈だから〉
〈あなたが止まらない限り〉
〈世界は、回り続けます〉
その言い方が、
やけに現実的だった。
止まらない限り。
止まったら、終わり。
「……それでも、回ってるな」
〈ええ〉
「皮肉な話だ」
俺が削れていることも、
歪みが溜まっていることも、
全部無視して。
世界は、今日も平和だ。
〈……あなたは〉
〈この先も、支えますか〉
不意の問いだった。
「……さあな」
即答できなかった。
支えるしかない。
そう思ってきた。
でも、
“支え続けられるか”
とは、別の話だ。
「今は……」
言葉を探す。
「今は、まだ」
〈……〉
〈分かりました〉
それ以上、踏み込んでこなかった。
通信が、切れる。
静寂が戻る。
世界は、相変わらず静かだ。
問題は、起きていない。
ただ――
問題が、溜まっている。
それを知っているのは、
俺と、彼女だけだ。
「……世界は回る」
でも、
それがいつまでかは、
誰にも分からない。
俺自身にも。
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