低層ダンジョンの境界線
空のFランクとしての雑務は、今日も終わりの見えない重圧だった。
夕闇が迫る頃、空はいつものように「低層ダンジョンへの物資搬入口」で、最後の運搬作業を行っていた。
ここは、西京探索高校の敷地の中でも、最も魔力が淀む場所だ。
能力者たちの探索エリアではないが、ダンジョンから漏れ出す低級魔物のオーラが、濃い霧のように辺りを覆っている。
空は、その不快な魔力の奔流を雪月流の呼吸法で制御し、脇差の冷たい柄を握りしめることで、辛うじて精神的な平静を保っていた。
運搬を終え、汗と土で汚れたカートを校舎側へ引き返そうとしたその時、空の雪月流の感覚が、背後に立つ「異常な存在」を察知した。
それは、魔力の密度ではない。
周囲の魔力の流れそのものが、その人物の周囲で不自然に歪んでいるのだ。
まるで、世界からその存在が切り離されているかのような、異質な静寂。空の体内の「気」が、本能的な警戒警報を鳴らした。
全身の筋肉を硬直させながら振り返ると、そこに一人の男が立っていた。
男は能力者協会の制服とは違う、黒を基調とした洗練されたスーツに身を包んでいた。
目元には細いサングラスをかけ、その顔には感情らしい感情が一切見られない。
彼の全身からは、魔力的なオーラが全く感じられず、空の無魔の体質をもってしても、その力と意図を測ることができなかった。
男は、空のFランクの腕章と、雑務で汚れた作業服を一瞥すると、ゆっくりと、意図的に、その場に留まっていた。その沈黙が、空の不信感を増幅させる。
「如月空くん。能力値ゼロのFランク。そして、雪月流の最後の継承者」
男は、空の最も隠したい流派の秘密を、まるで今日の天気の話をするかのように、平板な声で口にした。
その一言が、空の平然という名の鎧を、内部から叩き割った。