魔力の残骸と雪月流
Sランク首席の青柳雫との遭遇の後も、如月空のFランクとしての生活は変わらなかった。
雫の論理的な警告も、空の「稼ぐ」という現実的な目的の前では、ただの遠い雑音でしかなかった。
彼は、この学園の冷酷な階層構造の中で、自らに課された雑務を、淡々と、しかし完璧にこなし続けた。
空のルーティンは、能力者たちが目覚める前の、夜明けの微かな光から始まる。
早朝、彼は生徒が訓練した後の結界訓練場に入る。
床には、炎、風、雷といった攻撃魔法の激しい魔力残滓がこびりついている。
その中で、「無魔の体質」を最大限に活かし、魔力反応を正確に感知しながら、特殊な洗浄液で汚れを拭き取っていく。
この作業は、空にとって一種の精神修行だった。
周囲を包む高密度の魔力は、空の体内で制御している雪月流の「気」に常に圧力をかける。
雪月流の呼吸法を極限まで深め、体内の「気」を脇差の刃先のように鋭く研ぎ澄ます。
これは、能力者たちの魔力に一瞬たりとも屈しないための、内面の防御訓練だった。
彼にとって、訓練場の清掃は、能力者たちの傲慢な力の残骸を、精神力で撥ね返す日課となっていた。
「ふざけんなよ、如月。この魔力付与薬、あと1時間後に使うんだぞ。お前が触ると魔力が抜ける気がするんだよ」
Bランクの生徒が、訓練用の道具を空から乱暴に奪い取る。
空は平然とした表情を崩さない。
彼の存在は、能力者たちにとって「魔力を汚す不快な異物」でしかなかった。
夕方になれば、空の仕事は装備品の整備だ。
彼は、低層ダンジョンから帰還した生徒たちの傷ついた武器や防具を手入れする。
空が磨くのは、能力者たちの命綱であり、富の象徴だ。
彼は、装備に残る魔物の粘着質な体液や、微かな敵性魔力を、雪月流の鋭敏な感覚で感知し、ピンポイントで拭き取っていく。
この整備作業の間、空は意識を深く沈めた。
能力者たちが大声でパーティの序列や探索の獲物を議論している喧騒の中で、彼は、雪月流の「無刀の型」の原理を心の中で反復する。
(無刀の型。この剣に残る魔力の流れを、指先一本でどこまで阻害できるか。「気」の収束を極めれば、魔力結晶を込めたこの武器の伝導率を一時的にゼロにできるはずだ)
空は、脇差の柄を握り、雪月流の呼吸法で体内の「気」を極限まで集中させる。
彼の肉体は疲弊しているが、精神は、能力者たちの傲慢な魔力に晒されることで、逆に研ぎ澄まされ、硬度を増していた。
この雑務の日々を、屈辱を糧に、「無魔の体術」を実践的に磨き上げるための隠された修練場へと変えていた。
しかし、このままでは、彼の「稼ぐ」という目的は、達成に何年もかかる。
能力者社会の冷酷なシステムは、彼に正規の手段では「希望」を与えないことを、空は痛感し始めていた。彼の心は、この「異能の檻」から脱出するための、暗く、危険な道を求め始めていた。
そして、その諦念にも似た感情が支配する、ダンジョンの境界線で、彼はその「異質な存在」と遭遇することになる。