張り詰めた空気
情報管理センターの張り詰めた論理の空間から解放され、空が自動ドアを通り抜けた直後だった。
通路の角から、Sランク首席の青柳雫が現れた。
彼厳格な制服を完璧に着こなし、その眼差しはデータに依存しない、武術家としての鋭い直感を宿していた。
雫は、SSランクの五十嵐部長による詰問が終わるのを意図的に待っていたかのように、空の前に立ち塞がった。
「空」
いつもの無感情な雑務員の仮面を維持し、反射的に最上級の敬称を口にした。
「青柳様」
雫は、その「様」という言葉に、微かに不快な感情を滲ませた。
「様、は不要よ、空。私たちは同級生。例え、あなたの能力値がゼロで、私のランクがSでも、学園の規則上は対等な一人の生徒だわ。雑務員としての役割と、個人としての関係性を混同しないで。あなたのその不必要な謙りは、自分の可能性を能力値という狭い枠に閉じ込める行為よ」
雫の言葉は、能力者社会の階層を理解しつつも、建前としての平等を突きつけるものだった。
己の力が秘匿されている限り、雫の言葉はただの建前でしかないことを知っていた。
「承知いたしました、青柳」
空は、表面的な敬意を払い直し、最もらしい嘘を口にした。
「五十嵐部長に何を話したか、興味はないわ。ただ、最近、あなたの周囲の空気が変わった。あなたの身体には、Fランクの仕事ではありえない「死の縁」を乗り越えた者特有の張り詰めたものがある」
雫の言葉は、SSランクの五十嵐が依拠する能力者の論理ではなく、武の求道者としての直感に基づいていた。
空の無能力というデータは五十嵐を欺けても、空が極限の戦闘で手に入れた「気」の変質は、彼女の武の感性を欺けない。
彼女は、空の体内に流れる異質なエネルギー、すなわち雪月流の「気」の存在を、魔力感知ではなく武術家としての鋭敏な感覚で察知していたのだ。
一瞬の沈黙の後、論理的な防御を固めた。
「それは、気のせいかと。最近、運ぶ物資の魔力残滓が濃く、清掃が困難なため、疲労が蓄積しているのかもしれません。私のような無能力者には、過酷な環境です」
空の答えは、彼の地位と能力値に基づいた「最もらしく聞こえる嘘」だった。
雫の表情は動かなかったが、その瞳の奥には、納得と同時に、疑惑が深まった色が見えた。
彼女は、空の「無能力」というデータには従うが、「彼の武の感性」は空の言葉を否定していることを知っていた。
雫は、それ以上何も言わず、空の横を通り過ぎた。
空は、最も危険な監視者である雫の疑惑を完全に晴らすことはできなかったが、SSランクのシステム的追及を一時的に退けることには成功した。
空の心は、流派の負債完済という目的と、能力者社会の最高峰の監視という現実によって、次の戦場へと駆り立てられていた。
この二人の天才、論理の五十嵐と武の青柳の監視の下で、雪月流の秘匿と経済的な目的を両立させるという、綱渡りのような戦略を続けるしかなかった。