傲慢な一撃
トロールが、その鈍重な巨体をわずかに揺らし、進行方向を変える。
空が待ち続けた**0.5秒の体勢の乱れが生じた。
トロールの全身の魔力防御が、一瞬だけ分散する。
それを雪月流の継承者として、武の極意として見逃さなかった。
雪月流「月光の歩法」を極限まで圧縮し、岩壁を蹴って弾丸のような速度で魔物へと踏み込んだ。
その速度は、人間が発揮できる限界を超え、洞窟の空気を引き裂く音を立てた。
トロールの巨体から放たれる殺意の奔流は、空の全身の「気」の膜で受け流され、その動きを僅かに阻害するに留まった。
空の接近に気づいたトロールは、本能的な危機感から、岩の拳を振り下ろす。
その拳は、Aランク能力者の防御結界を一撃で粉砕する威力を持つ。
しかし、空の速度はそれを遥かに凌駕し、トロールの攻撃範囲の外側を、紙一重で通り抜けた。
脇差を鞘から抜き放つ。
その刃には、雪月流の極意である「気」の絶対的な収束が、寸分の狂いもなく注ぎ込まれる。
トロールの硬質な魔力岩の甲殻が最も薄い、首の付け根の接合部を正確に見抜いていた。
この一点こそが、魔力の供給ラインが集中し、最も物理的な衝撃**に弱い部分だ。
雪月流、月光一刀!
刃は、空が低級魔物相手に叩き出したのと全く同じ、完璧な精度で、甲殻へと突き入れられた。
脳裏に走ったのは勝利の確信ではなく、硬質な、そして粘り強い抵抗だった。
甲殻は貫かれたが、トロールの魔力核までは届かない。
刃は、魔力岩の極度の密度と、トロールが本能的に集中させた魔力の層によって、わずか数センチで停止したのだ。
刃が停止した瞬間、空の体内の「気」の奔流は急激な反作用を受け、空の右手全体に激しい痺れが走った。
「…なっ!」
初めて焦りが走った。
自分の「気」の収束力が、魔力による物理防御を完全に無視できるという慢心があった。
彼の計算は、能力者相手の緻密な戦術としては正しかったが、トロールの絶対的な耐久力という物理的な壁の前で、決定的に甘かった。