変わる日常
上級生パーティの危なげない勝利を目撃して以来、空の日常は一変した。
以前は流派の負債という重圧に耐えるための手段であった雑務と修行が、今は能力者社会の「組織力」という巨大な壁を打ち破るための戦略へと昇華していた。
彼のポケットに忍ばせた『黎明の月』の黒いカードは、もはや甘い誘惑ではなく、「もしもの時の保険」として、自己の決意を試す重石となった。
彼は、このカードを使う前に、雪月流の真価を証明しなければならないという強迫的な使命感に駆られていた。
空は、Fランクの雑務一つ一つに、「気」の制御と身体能力の最適化を組み込んだ。
彼の仕事は、以前から丁寧だったが、今は武術の研鑽の場と化していた。
魔力装備の清掃中、空は脇差を抜かず、「無刀の型」の原理を指先に集中させる。
能力者の魔力残滓が残る装備を、指一本で魔力の流れを完全に断ち切るように拭う。
これは、魔物を倒すための訓練ではない。
能力者の力を無効化するという、雪月流の究極の目的のための実戦的な制御訓練だった。
高価な魔力剣の刃に触れ、空は微細な魔力の振動を感じ取る。
そして、その振動の「節」、つまり魔力の流れがわずかに緩む一点に、意識の力(気)をねじ込む訓練を続けた。これが成功すれば、空は相手の武器を、その魔力的な構造から崩壊させることができる。
「雑務員、そこはもっと丁寧に磨け!高価な装備なんだぞ!」
通路でAランクの生徒に声をかけられても、空は表情を変えず、「申し訳ありません」と平坦に答えながら、身体の重心を、一瞬で攻撃にも防御にも転じられるよう、絶えず最適点に置き続けた。
彼の肉体は、意識的に常時戦闘態勢を維持することで、能力者たちが持つ魔力による即応性を、純粋な体術で上回ることを目指していた。
例えば、重い物資を運搬する際。空は、ただ腕力で運ぶのではなく、雪月流の「月光の歩法」を応用した。
足の裏全体で床を捉え、運搬の動作そのものを、「気」の流動を妨げない武術の型に変換する。
これにより、彼は肉体の疲労を最小限に抑え、運搬速度を維持しながら、同時に体内の「気」の循環を鍛え上げた。
また、能力者たちが訓練する魔力の衝撃波が響く場所での作業は、雪月流特有の防御訓練となった。
能力者たちの放つ魔力の奔流を、自身の「気」の薄い層で受け流す技術を磨いた。
彼の体表に纏う「気」の膜は、魔力を遮断するのではなく、その流れを意図的に歪ませ、体から遠ざける。
これは、能力者の広範囲攻撃から、非魔の肉体を守るための、生存戦略だった。
Fランクの日常は、能力者たちにとっては価値のない労働だったが、空にとっては能力者社会という巨大な実験場での、命がけの修練へと変貌していた。
能力者たちの傲慢な視線を浴びるたび、その視線が、己の力への集中と反骨の炎を強めるための燃料と化した。