地下の研鑽
グロテスク・スライムとの遭遇戦は、空に決定的な確信を与えた。
能力値ゼロの雪月流の体術は、魔力による防御を持つ魔物に対し、純粋な物理的破壊力として通用する。
この事実は、空にとって能力者社会への唯一の抵抗手段が、幻想ではなく現実であることを証明した。
Fランクの雑務という「表の顔」を完璧に維持しつつ、日々のルーティンを終えた深夜、能力者たちが活動を終えた後の低層ダンジョンへと密かに潜り始めた。
空の行動は、もはや『黎明の月』からの黒いカードに依存するものではない。
雪月流の武術家としての自立した道を模索するため、この地下の闇を私的な修練場へと変えた。
ダンジョン内での修行は、自己評価と戦術の確立を目的としていた。
グロテスク・スライムだけでなく、ロック・バット(岩のような皮膚を持つコウモリ型の魔物)や、ポイズン・フロッグ(毒の魔力を分泌するカエル型の魔物)といった、低層で一般的な魔物を標的とし続けた。
彼の戦い方は、能力者たちの派手な魔法とは対照的だった。
空はまず、通路の角や岩陰に身を潜め、雪月流の呼吸法で自らの存在感を極限まで希薄化させた。
これは、魔物や能力者の魔力感知能力から身を隠すための高度な「気」の制御であり、無魔の体質を持つ空だからこそ可能な戦術だった。
魔物が空の存在に気づき、能力者という常識に頼って攻撃を仕掛ける一瞬の隙。
そこが抜刀のタイミングだった。
岩肌に身を隠し、ロック・バットが発する微細な超音波や、ポイズン・フロッグが分泌する毒液の魔力を、皮膚で直接感じ取る訓練を続けた。
魔物が動く予測線を「気」の感覚で正確に捉え、脇差の刃が魔力核を断ち切るまでの最適解を、瞬時に導き出す。
空は戦いの最中に、心の中で戦術的な結論を導き出した。
能力者は、魔力で押し切ろうとする。
だから、魔力の制御が乱れる瞬間や、魔法の詠唱に集中する一瞬の硬直が生まれる。
俺の武器は、純粋な武。
魔力を無視し、その制御の隙を突くことに特化しなければならない。
空の体術は、能力者の弱点を突くことに特化した、対能力者戦闘術へと昇華し始めていた。
ダンジョン内で得た魔物の素材は、誰にも悟られないよう、校外の闇ルートで換金した。
その報酬は、Fランクの雑務では得られない額だったが、流派の負債から見れば、依然として遠い道のりだった。
しかし、この密かな成功体験は、空に「自分は間違っていない」という武術家としての確信をもたらした。
彼の肉体は疲弊したが、精神は勝利の感覚によって満たされ、この闇の中での日々が、学園での屈辱を洗い流す唯一の清涼剤となっていた。
数日間の暗躍の中で、空の心境は変化した。『黎明の月』の誘惑は、もはや「唯一の逃げ道」ではなく、「最強の切り札」へと変わっていた。
彼は、黎明の月に屈するのではなく、この力を利用して、流派を救うことを考えるようになっていた。
彼は、能力者社会への反逆という道を選びかけたが、それは黎明の月の手先としてではない。
雪月流の継承者として、自らの意志で進む道であるべきだと、空は決意していた。