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終わりの雪


静かすぎた。



如月空が暮らした十六年の日々の中で、雪月流道場ほど静寂が似合う場所はなかったはずだ。



それは古武術の師範であった祖父、如月厳きさらぎいつきの「呼吸」が常に道場を満たし、その沈黙が張り詰めた力強さを持っていたからだ。

しかし、いまこの道場にあるのは、ただの空虚な静けさだった。

高校入学を半年後に控えた冬、厳は病で、ひっそりと息を引き取った。



空は十六歳。

厳が唯一の肉親であり師範だった。

厳が逝ったことで、雪月流は文字通り、空という未熟な少年に五十年目の重い歴史を背負わせ、その存続を賭けることになった。



外の世界が変わってから、もう十年が経つ。

突如として「ダンジョン」が世界各地に開かれ、それに伴い「魔法」や「異能」と呼ばれる派手な力が一般化した。

空が幼い頃に見た、剣士や魔法使いの華々しい映像は、古武術を時代遅れの遺物へと追い込んだ。

厳は、道場の門を固く閉じ、ひっそりと山間のこの地で流派を守り続けた。



能力者社会からすれば、厳も空も、その流派も、既に存在しないものとして扱われていた。



葬儀は、近隣の数軒の家に見送られただけの、寂しいものだった。



人々は皆、異能を学ばせるために、子供たちを能力者中心の都市に送って久しい。

空にできることは、静かに厳を見送ることだけだった。



厳は最期まで、雪月流の「力」を世間に公表することを許さなかった。



雪月流の体術は、その呼吸と型の動作が月の満ち欠けを模していることから、その名がつけられた。



その真髄は、「無魔の体術」。



魔法や異能といった魔力による攻撃を、極めて短時間、打ち消す(無効化する)という、この世界において唯一無二の、そしてあまりに異質な力だった。



「空よ。この力は、あまりにもいびつすぎる。世に出せば、能力者どもの嫉妬と恐怖を招くだけだ。流派が滅びる前に、お前自身が滅びてしまう」



厳の言葉が、空の脳裏にこだまする。



道場の隅には、厳が生前、何度も肌身離さず見ていた、月と剣の紋様が描かれた古い巻物があった。



雪月流の奥義書である。



巻物は、厳の死後、空に託された。それは流派の全てであり、空の命運そのものだった。



しかし、厳の教えと、流派の誇りだけでは、腹は膨れない。道場の維持費、厳の治療費の残債、そして空自身の生活費。

生活資金は完全に底をつきかけていた。

空は、巻物を開き、その古めかしい紙の感触を指先に感じた。



「祖父さん……俺は、このまま雪月流をこの山奥で餓死させるわけにはいかない」



空にとって、流派の存続は、自己の存在証明そのものだった。

そして、存続のためには、「稼ぐ」しかなかった。

能力を持つ人間が富を築く、能力者社会のルールに従うしかない。



空は、入学試験にかろうじて合格していた西京探索高校へ向かうことを決意する。



そこは、京都という古都でありながら、能力者たちが集い、ダンジョンを探索する異能の中心地となっていた。

 


「能力の優劣で全てが決まる世界だ。だが、そこで生きるしかない」



空は、厳の寝室の引き出しから、一振りの古い脇差を見つけ出した。



能力者が用いる魔力伝導性の剣とは違い、ただの鉄の塊だが、雪月流の型に適した長さと重さを持っていた。


厳は、空に目を閉じるように促した。そして、その骨張った手を空の頭に置いた。



「空よ……京へ行け。この流派の力を、月光の如く密やかに磨き上げよ。そして、生きろ。お前の使命は、流派の歴史を、お前の代で途絶えさせぬことだ。京で、お前自身が散るような無様な真似はするな」



厳の言葉は、遺言というよりも呪いに近かった。



厳の最期の力強い言葉を胸に刻み込み、道場に別れを告げた。

背負うのは、能力者社会から見捨てられた雪月流五十年の全て。



彼がこれから向かうのは、異能が全てを決する、冷酷な戦場だった。

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