第12話 なんだかんだいって人は『楽しい』に惹かれていく【赤槻暁美視点】
部室を後にして、外を出ると既に夕暮れに染まっていた。一年で一番日が長い時期なだけに、夕暮れということは相当遅い時間ということになる。
校舎に設置されている時計を見ると、既に六時半を回っていた。
想定以上に帰るのが遅くなってしまった。
本当はすぐ帰るつもりだったのに、ついあの部室に長居してしまった。
長居どころか、掃除に始まり、打ち上げみたいなことをして、挙句の果てに過去の部活記録を見たり、今後の活動方針まで決める羽目になった。
まんまと二部崎の策略にハマってしまったのがムカつく。
そして何より青山というあの男。
あれは何? バカで下劣だし、乳も揉まれたし、本当に最悪。
私の一番嫌いな人種。
だから徹底的にこき下ろし、嫌われムーブを取った。
なのに……。
『いや、関わるよ。どうせ同じ部活なんだ。嫌でも、これから顔見知りになるんだしさ。まあ、俺も周りに嫌われてるし、似た者同士仲良くしよーぜってことで』
チッ。
どうして私と関わろうとしてくる唯一の生徒が、よりにもよってあんな年中発情バカ猿男なのよ。
挙句の果てに『友達にならないか』??
何を考えているのかしら、あの猿は。
そういえば、あの青山という男『イキリ陰キャ』なるあだ名で嫌われているらしい。それは正直どうでもいい。他人に流されて人の評価を決めるのが一番くだらないから。
その理由は、うちのクラスで階級が上とされている枯葉咲華蓮に告白してフラれたから。それが身の程知らず、ということだったらしい。
そういえば、クラスにいたっけ。自分の階級を上げようと、周りの目を気にして、他人に話を合わせて、無理して、生きづらそうにしている、そんな大バカ者が。それが青山という男。やはり嫌いだ。
いや、裏を返せば、彼は『青春』という輪廻に囚われた被害者なのかもしれない。
そう考えると、哀れにも思ってしまった。
とにもかくにも、私の唯一の部活仲間は、そんな人間らしい。
はぁ。ため息がこぼれる。この先、どうなってしまうのか。
《アオハル部》なるくだらない部活に半ば強制的に入れさせられた私は。
そんなに嫌なのなら、入部を断って、さっさと帰れば良かったのではないか。それはド正論だ、反論の余地すらない。
あの部活に所属させすれば、私が進学したい名門・東皇大学の推薦を貰えるから。それも事実だ。だが、ぶっちゃけた話、私の学力ならば推薦など貰えなくても入ることが出来るだろう。
では、なぜ、私があの部活に入り、こんなに遅くまで過ごしていたのか。
認めたくはない。はらわたが煮えくり返るから本当に認めたくないのだが……。
私は嘘が付けないタイプの人間だ。だから、白状しよう。
楽しかった……ということらしい。
だが、それは非常に憎らしいことだ。この感情を認めるということは、私がこれまで築き上げた信念を否定することになるからだ。
楽しい……か。
それは久しく味わっていない感情だった。
楽しい、とは『楽』である。『楽』とは『逃げ』だ。だから『楽しい』行為をしているということは現実から『逃げている』ということだ。
だから、私は『楽しい』という言葉が嫌いで、その感情を押し殺して生きてきた。
『楽しい』という感情は、いつ以来だっただろうか。
私の記憶は、六年前へとタイムスリップする。
あれは、忌まわしき林間学校の時だ。いじめを受けていた当時の私にとっては、地獄以外の何物でもなかった。嫌いな連中と二日間一緒に過ごすなんて、当時の私にとっては拷問と同じようなものだ。
休む、という選択肢もあった。だが、奴らのせいで私の行動が捻じ曲がることが腹立たしかった。
正直、ほとんど記憶が無いが、一つだけ印象に残った出来事があった。
それは自由時間の時。どこかの湖のほとりだったと思うが、皆が楽しそうに遊んでいる中、当然のように私は孤立した。
適当な木陰で体育座りをしながら俯いていた時だった。
「なあ。そこのお前。良かったら一緒に遊ばないか?」
見上げると、男性生徒が立っていた。
だが見知らぬ柄の名札を付けていた。確か他校との共同だったので、他校の生徒だろう。
人間不信に陥っていた私は、突っぱねるような冷たい対応をしたのを覚えている。
「誰よ、貴方?」
「俺の名前は〇〇××だ。よろしくな」
名前は憶えていない。
だが、その生徒は手を差し出した。握手を交わしたいらしい。
が、私は人に触れることに激しい抵抗を覚えていた。
「私に触れない方がいいわよ」
当時、私は臭いことが派生して、ばい菌扱いされ、『ばい菌回し』というイジメを受けていた。どういうイジメかというと、私が触ったもの(掃除用具など)を触ったら、「赤槻菌がついた」などといって他人に擦り付ける、といった感じだ。
「どういうことだ?」
「私、デブで臭いのよ。だから、菌が付いているみたいなの」
握手を拒絶したつもりだったが、その男子生徒は私の手を握ってきた。
あろうことか、私の手を握った後に、自分の手に嚙みついた。
「ほら見てくれ。ピンピンしているだろ。つまりお前に菌なんてついてない。だから遊ぼうぜ」
常軌を逸した行動だったが、その行動で救われたのもまた事実だった。
久しぶりに心が前向きになったのを、身体で感じた。
「それで、何するの?」
「ボール遊び! 俺さ、この日のためにボール買ってきたんだよ。でも、いろんな人誘ったんだけど、全員に断られてさ。だからどうだ」
男子生徒は持参してきたらしいボールを地面にバウンドさせる。
見た目は野球のボールだが、バウンドの音と軌道を見る限り、子ども用の柔らかいボールだ。
「唾液塗れの手でやりたくないわ」
「あっ、悪い! 手、洗ってくるわ」
結局私は、その男性生徒の誘いに乗ってボール遊びに興じることにした。
たった二人だ。二人で出来るボール遊びなんてただ一つ。キャッチボールである。
「投げてみてよ。どこへ投げてもとってやるぜ」
「ええ」
私が投げると、ボールは大きく反れてしまう。
まあ、初めてやったし、そんなものでしょう。
「よっと」
男子生徒は腕を伸ばして、ボールをキャッチして見せた。
そんなこんなで私たちは小一時間、ひたすらキャッチボールに勤しんだ。
それ以降、その男子生徒とは会っていない。
どこの学校に通っていて、どこに住んでいるのかも分からない。
それは今思えば、幼少期の取るに足らない思い出だ。
だが、その記憶がなぜか鮮明に残っている。
――それが、私が最後の体験した『楽しい』の記憶だった。




