第3話:百足 その3
神凪は、頼が走り去るのを見届けると、深く息を吸い込んだ。
「なんか……私らしくないこと、しちゃったな〜」
神凪は元々、自ら前に出るようなタイプではなかった。友人は多いものの、積極的に行動する性格ではなく、明るく振る舞うことで自然と人が集まる、そんな人物だった。
「でも、言ってしまったからには、期待に応えないとね!」
「怖い」という自信の心に打ち勝ったことを自画自賛するように小さくガッツポーズをすると、意を決した神凪は、屋敷の扉をそっと開けた。
「お邪魔しま〜す。お、意外と中は綺麗だ」
ゆっくりと中に足を踏み入れと昭和の雰囲気がまじまじと残る玄関が神凪を出迎えた。
目立つ埃はなく、腐った木のにおいもしない、お手本のような綺麗さ。しかも、特に怪異や化け物がいる異変は感じられない。
外観からは想像できないほど、内部は手入れが行き届いていた。
神凪は頭を下げ、土足のまま中に上がる。
(加奈子さん、ごめんなさい、土足で上がっちゃって)
これから戦う可能性があることを考えると、靴があったほうがいいだろう。心の中で詫びながら、奥へと進んでいく。
渡り廊下は両側に襖が並び、狭い一本道となっている。
その廊下をゆっくりと歩いていると、左側の襖の奥から、かすかな音が聞こえてきた。
「ん?」
なんだろうか……この言葉では表現できないほどの小さな音。
神凪が左を気にしながら進んでいると、突然、上方から「ガザガザガザ」と無数の針が木に突き立てられているような音が響いてきた。
「うっ……。この鳥肌が立つ音は……」
ゆっくりと上を見上げると、そこには、屋根を覆い隠すほどの巨大なムカデが天井に張り付いていた。
「うわ!? きしょ!」
神凪が叫んだ瞬間、ムカデは鋭い歯を光らせ、神凪に向かって突進してきた。
神凪は右側の襖を蹴り破り、奥の部屋へと逃げ込む。
巨大なムカデも体をくねらせると頭から廊下に降り、追いかけてくる。
「こっち来るな!」
神凪は瞬時に振り向き、手のひらをムカデに向けて横に薙ぐ。その手の軌道に沿って炎が現れ、ムカデの進行を阻もうとする。
「どうよ!これが私だけが持つ能力、”火神の力を操る”能力だ!」
先ほどの加奈子たちとの会話の際、「自分は負けない」と強気に出たのは、一部の人間が原因不明で持って生まれるこの力。
”能力”があったからだ。
しかし、ムカデは炎をものともせず、直進して突進してくる。
「え!? 効かないの?!」
神凪が放つ”能力”は、霊力で外側を囲って放たれる。
なので幽霊などにも通用するはずなのだが……やはりただの怪異ではないようだ。
神凪は驚きつつも、冷静に思考を巡らせる。
すると、突然、逃げる足を止め、ムカデの方へと振り向き、正面から向き合う。
そして、ムカデとの距離が二メートルもないほどに迫った瞬間、地面に手を触れると、その場でジャンプする。
同時に、足元から水が噴き出し、通常ではあり得ないほどの高さまで跳び上がる。
天井に手が届いた瞬間、神凪は軽やかに体を押し上げ、そのまま素早く着地した。
――あれほど大きな体では、急な旋回はできない。
神凪の読み通り、巨大ムカデは勢いを落とさず「ドシャァンッ!」と鈍い音を立て、奥の壁に激突した。
「あっさりと使ったけど、こっちもすごいだろ~。”水神の力を操る”……て、私一人で何言ってんだろ……むなしいだけじゃんか!」
自身の頭をわちゃわちゃしながら、ムカデの隙を逃さず、神凪は人差し指をくいっと上に上げる。
すると、彼女がジャンプした地点から一気に水が噴き出し、その上を通過していたムカデの腹を「ドゴンッ!」という衝撃とともに真上へと押し上げた。
飛ぶ前に床を触れたのは、床を湿らせ、そこから水を噴射させる仕込みをしていたのだ。
(というか、アイツの……心臓どこだ?)
思考を巡らせていると、ムカデがその長い胴体をくねらせ、壁にある頭部から神凪目掛けて突進してくる。
神凪はすかさず再び跳躍し、銃のように構えた指先から、極限まで圧縮した水弾を一直線に放つ。
ピュンッ!
高速の水弾がムカデの身体に直撃し、そこには風穴が開いた。
「ウガァァァァ!!」
ムカデはまるで人間のような声を出すと頭を地につけ動かなくなる。
「ふぅ……あとは心臓だけか」
着地した神凪は息を整えながら、ムカデの頭部へと歩を進める。
「さっきの手応え……胴体にはなかった。ということは、頭……か」
その瞬間、ぞわりと鳥肌が立った。
「うぅ、あの顔をまた見なきゃなのか……虫、苦手なのに……」
顔をしかめながらも、神凪はムカデの頭部に到達し、恐る恐るちょんちょんと叩く。
「……動かないよね?」
意外とあっさり動きを止めたので罠かとも思ったが……なんの反応も帰ってこない。
念のため確認したのち、深く息を吸い、腕を振り上げた。
「スキル」
そして振り下ろす。
「現能操作!」
手が触れたその瞬間、ムカデが突如動き出し、頭を振り乱す。
「うわ!動くんかい!」
神凪は素早く後ろに下がりムカデの大きい動きからよける。
すると牙の先から一滴の雫が床に落ちる。
その液の色は紫色と毒々しい色をしており、見た目だけで『どくろマーク』がつきそうな物質に見える。
と、そのとき、落ちた液体はゆっくりと動き出し、人の形を取り始めた。
「た……助け……てぇぇ」
神凪は目を見開く。
魂を……自身の毒に溶かしてるの……?
そのとき、人型の毒が悲痛な叫びをあげる。
「加奈子ぉぉぉ、だずげでぇぇぇ!」
……ひどい。
最近取り込んだばかりの魂だからか、まだ意識が残ってしまっている。
すると再びムカデの牙から毒の雫が落ちそうになる。神凪は間髪入れず、人型の毒をすり抜け、ムカデの顔面に手のひらを向ける。
ごめん……なさい。
放たれた炎が毒の雫を焼き尽くし、ムカデは苦悶の声をあげるように頭を振る。
助けられなくて……。
神凪は燃え盛る頭部に迷いなく腕を突き刺す。
せめて……せめて、あなたが最後の犠牲者になるよう、ここで神凪が食い止める……!
「ガシャン! ドカン!」
暴れ狂うムカデの頭から、神凪は何かを素早く引き抜く。
次の瞬間、ムカデの動きはぴたりと止まり、崩れるように床に倒れ伏した。
だが、それで終わりではなかった。
人型の毒がなおも動き、神凪へと襲いかかる。
「お願いぃぃぃぃぃ!だずけでよぉぉぉぉ!」
しかし、その鈍い動きは神凪に通用せず、軽やかにかわされる。そして、神凪が手のひらを向けた瞬間――
炎が燃え上がり、毒は一瞬で蒸発し、この世から消え去った。
神凪は人型の毒の残骸を見下ろし、静かに両手を合わせて頭を垂れた。
「どうか……成仏してください」
この世では、死んだり消えたりしても、必ずしも成仏できるとは限らない。幽霊や魂となった者が消されると、それは真の消滅を意味し、生き返ることも、生まれ変わることもできないことが多いのだ。
誰かに教わったわけではない。だが、いつの間にか記憶に刻まれていたこの事実を前に、神凪は祈ることしかできなかった。
「それで、これが……」
神凪はムカデの頭に突っ込んだ手のひらを見つめた。そこには紫色の勾玉が握られていた。
これは先ほど使用したスキル「現能操作」の効果で取り出したもの。このスキルは、相手の魂、能力、記憶を勾玉にして取り出し、または取り入れることができる。相手に行使することができれば、幽霊や化け物などは姿を保てなくなり、再起不能に陥る。
先ほどまで神凪が言っていた心臓というのは魂のことだったのだ。
「なんかやだな……変な記憶が頭に流れ込んでくる感覚がする……」
記憶を覗く……というか見せられるものを見ると、こいつはそこらへんで生まれた悪霊が、死体に残った微量の魂を齧り、味を覚え、人を襲うようになった存在のようだった。
「はぁ……このスキル、強いけどこれがあるから使いたくないんだよね」
勾玉を抜き取った瞬間に感じる、頭に何かが直接つぎ込まれていく感覚。
幽霊や悪霊といった類は毎度毎度、本当いやな記憶しかもっていない。
神凪そう呟き、勾玉をズボンのポケットにしまうと、頼たちを探すためにその場を後にした。