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第2話:百足 その2

 言ってしまった――。


 初めての依頼、それもほぼ命懸けと言っていい案件。

 だが、自分たちのような無名な何でも屋に、ここまで心の内を明かし、頼ってくれた相手だ。

 これを解決できなければ、この店を続ける資格すらないような気がする。


 そんな神凪の様子を見ていた頼は、「仕方ないな」といった風に、苦笑混じりの微笑を浮かべてた。


 すると神凪は、ふと思い出したように口を開く。


「もうひとつ、確認しておきたいことがあるんですが、いいですか?」


「ええ、もちろん」


 加奈子は落ち着いた声音で頷く。


「旦那さんが亡くなる前後で、日常生活に何か変わったことはありませんでしたか?」


 神凪の問いに、加奈子は記憶を辿るように目を伏せた。


「そうね……夫と寝る前夜、一度だけ強い視線を感じた気がするわ。でも霊媒師という仕事柄、そういうことはよくあるから、特に気に留めなかったの」


 そう言ってふと顔を上げ、もう一つ思い出したように続けた。


「それと……夫が亡くなった後、似ている様な“視線”が一つ増えた気がするわ。でもそれも、思い込みかもしれないと思って放っておいたの」


 神凪は頷きつつ考え込む素振りを見せたが、すぐに立ち上がり、明るい声で言う。


「分かりました!ありがとうございます。それでは、実際に屋敷を拝見させていただいてもいいでしょうか?できれば今日中に」


「ええ、大丈夫よ。今日は他に予定もないから、今からでも」


「本当ですか?ありがとうございます!それでは、さっそく行きましょう!」


 神凪の胸の内では、すでにいくつかの仮説が浮かび始めていたが――現場を見ずして確かなことは言えない。


 満面の笑みで両腕を広げ、まるで子供のように声を弾ませた神凪は、すぐ後ろにいる頼へと振り返る。


「もちろん、頼も行くよね?」


 加奈子には見えないよう、無言の圧で訴える。

(帰ってきたばかりで何もしてないんだから、手伝ってもらうからね)と。


 頼はひとつため息をつき、静かに頷いた。


「お前だけに任せてたら心配だからな」


「なんだと〜!」


 神凪が子供のように言い返すと、加奈子が思わずクスリと微笑む。


 ――やっと笑ってくれた。

 ここに来てから初めて見せる、穏やかな笑顔。


「よし!それじゃあ、行きましょう!」


 神凪はその笑みに応えるように、さらに明るい笑顔を浮かべた。


 こうして三人は並んで、屋敷へと向かうこととなった。


 玄関を出たそのとき。ふと、神凪の視線が近くの電柱に向く。


 ――……なんか、変な気配が……。


「おい、どうした〜?早く行くぞ〜!」


「は〜い、今行きま〜す」


 頼の声が背中越しに届く。

 きっとさっきの怖い話のせいで、少し感覚が過敏になっているのだろう。

 神凪は小さく首を振り、その違和感を胸の奥にしまい込むと、歩みを再開した。


 家を出てから二十分ほど。バスや電車を乗り継ぎ、三人はやがて薄暗い山道へと足を踏み入れた。


「わぁ〜、けっこうな田舎だねぇ〜」


 生まれてからずっと都心育ちの神凪には、すべてが物珍しく映る。

 そのせいか、興奮気味に頼や加奈子を待たず、両脇に木々が生い茂る一本の山道を先頭で進んでいく。


 その後ろを、加奈子と頼がゆっくりとした足取りで追いかけていた。


「おーい、先に行くなって〜」


 頼が声を張ると、神凪は振り返りながら満面の笑みを浮かべる。


「いいじゃん別に〜。こういう田舎に来るの、私、初めてなんだし!」


 その無邪気さに頼は呆れたように眉をひそめ、ぽつりとつぶやく。


「……何が『別にいいじゃん』だ。俺も初めてだっての」


 隣で歩いていた加奈子が、それを聞いて小さく苦笑した。


「もう少し行くと、右に曲がれる道があるの。その先をまっすぐ進めば屋敷が見えてくるわ」


 加奈子が頼との会話でそう説明した、そのときだった。神凪がふいに立ち止まり、首をかしげながら右手方向をじっと見つめ始めた。


 神凪は振り返り、真顔で加奈子に問いかける。


「加奈子さん、その屋敷って……この先の道をまっすぐ行ったところにあるんですよね?」


「え……ええ、そうよ」


 加奈子は少し戸惑いながら頷く。頼も首を傾げ、神凪のもとへ寄った。


「いきなりどうしたんだ。何かおかしいものでも?」


 神凪は加奈子に聞こえないよう、頼の耳元で小声でささやく。


「あれ」


 彼女の指先をたどると――そこから、かすかだが確かな異様な気配が漂ってくる。

 目には見えない。しかし、肌にまとわりつくような嫌な重圧。


「……なんだ、これ……」


 頼が低く呟いた瞬間、加奈子が不思議そうに眉を寄せる。


「え?何かあるの?私には……」


 神凪は即座に微笑を作り、加奈子の方を向いた。


「いえ、なんでもありません。アライグマが通って行ったので、ちょっと驚いただけです」


「……そう」


 加奈子の返事には微かな不安の色が滲んでいた。

 この反応を見るに加奈子はこのオーラが見えていないように感じる。


「にしても……酷いな」


 頼が神凪にしか聞こえない声で呟く。神凪も静かに頷いた。


「……だね。まだ家が見えてもいないのに、この“気”の重さ……」


 並の悪霊から出るオーラとは比べ物にならない。このほどの強さなら、人間一人を容易に殺せる怪異でも不思議ではなさそうに感じる。


 神凪は道の先を睨みつけながら、低く呟いた。


「相当な化け物がいるね……」


 すると少し前方を歩いていた加奈子が振り返り、不思議そうに首を傾げる。


「えっと……何かあったのかしら?」


 神凪は咄嗟に笑顔を作り、軽やかな足取りで駆け寄った。


「いえ、ほんとになんでもありません!それより、早く行きましょう!」


「ええ、あとはこの道をまっすぐ進むだけよ」


 神凪は全く平然とした加奈子の様子に、本当に霊媒師なのかと一瞬疑った。

 だが、まずオーラどころかそこら辺にいる霊すら見えない人が大量にいる世の中だ。

 霊感があるだけでもすごいことなのかも知れない。


 それから五分ほど歩いた頃――木々の間から屋敷の輪郭がぼんやりと姿を現した。


 しかし不思議なことに、さきほどまで漂っていた異様な気配は、まるで嘘のように消えていた。

 目の前に広がるのは、古びた屋敷。ただの田舎の空き家にしか見えない。


「ここが、例の屋敷ですか?」


 神凪が立ち止まり、見上げながら尋ねる。


「ええ……そうよ」


 加奈子の声はどこか弱々しい。そしてその表情は、屋敷を前にするたびに青ざめていく。


 その様子を見た神凪が心配そうに声をかける。


「……大丈夫ですか?」


「ええ……私は平気。ただ……あの時のことを思い出してしまって……」


 そう言いつつも、加奈子の顔色は見るからに悪くなっていく。


 頼が神凪にだけ聞こえる声でぼそりと呟く。


「全然大丈夫じゃねぇじゃん……」


 そう言って彼は加奈子のそばへ行き、優しく背中に手を添える。

 やはりトラウマになってしまっていたのか……。


「無理しなくていいですよ。屋敷内の詳細は、外で簡単に話していただくだけで十分ですから」


 そう言った後、頼は神凪の方へと振り返った。


「いいよな、神凪。一旦、引こう」


 だが――神凪の返答は、二人の予想を完全に裏ぎるものだった。


「私はこのまま中に入る」


 その一言に、頼も加奈子も目を見開いた。


「は!?お前、何言ってんだよ!さっきお前も感じただろ?あの気味の悪い気配!やめとけって!」


「そうよ! 流石に一人で行くのは危険すぎるわ!」


 加奈子も焦りの色を隠せず、頼と同じように神凪を止めようとする。

 だが、神凪は確信してしまっていたのだ。

 あの異様な気配を、ここまで綺麗さっぱり消せる存在。


「多分ね……この屋敷にいる悪霊は、一体だけじゃないと思うの。主となる霊の他に、子分みたいな存在がいる」


 そう言いながら、神凪はゆっくりと屋敷へと歩を進める。


「そして、その子分たちはおそらく、この屋敷の“外”にいる」


 先ほどから、他の視線がかなり気になっていた。

 しかもこちらもそこら辺にいる悪霊とは比較かならないほど強そうに感じる。

 なら、厄介な方を私が倒して、まだ弱い方を加奈子さんを守りつつ頼に戦わせたほうが体力的にも、実力的にも妥当だろう。


 彼女の歩みは止まらない。


「だから、頼にはその子分たちの排除をお願いしたいの」


「だ、だけど……!」


 頼が言い返そうとするのを、神凪が振り向いて遮った。


「大丈夫。私は負けない。だから――頼んだよ」


 神凪は自分で言うのもなんだが、自身が弱くないことを理解している。


 頼はしばし黙り込み、やがて一つ、深いため息をついた。


「はぁ……仕方ねぇな」


 頼は神凪の瞳をまっすぐ見据え、決意を込めて頷く。


「分かった。頼んだぞ、神凪。こっちは俺に任せとけ」


「うん!」


 神凪が力強く頷くところを見届けると、加奈子の背中を押し、来た道を引き返し始めた。


「え、えぇ!? い、いいの……!? 本当に行かせてしまって大丈夫なの!?」


 加奈子が不安げに尋ねると、頼は少し苦笑しながら答える。


「俺も正直、心配です。でも――あいつなら、きっとやってくれます。絶対に。だから、信じてあげてください」


 その声に込められた確信は、どこか力強かった。


 そして頼は、視線を屋敷の外に向け、きりりと表情を引き締める。


「それよりも、俺たちは俺たちでやるべきことができました。だから……」


 一息つき、静かに言葉を続ける。


「さっさと終わらせてしまいましょう」

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