1、地獄の底を走る
エルザ歴178年。
リズヴェリア王国ーマリス王国間の国境に、未登録の迷宮が発見された。
推定迷宮格A、龍脈型迷宮『ラヴン』。
龍脈の溜まり場として、希少な鉱石の産出が見込まれた『ラヴン』は、両国の緊張関係を加速させた。
セフィラ大陸北東部を支配するヘルベト帝国。
その外圧へ対抗する国力を求め、マリス王国は『ラヴン』の領有権を主張。
当然、リズヴェリア王国はマリス王国による『ラヴン』独占を認めず、『ラヴン』とその地域一帯の権利は宙づりになっていた。
エルザ歴182年。
決着のつかない領土問題に、マリス王国軍はリズヴェリア王国への奇襲作戦を決行。
リズヴェリア王国最東端のハンサ砦は一夜にして陥落し、両国は交戦状態へ突入した。
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遥か遠方で魔力光がチカチカと光る。
敵軍の後衛部隊から放たれた炎弾は、俺のわずか十数メートル後方に着弾し、炸裂した。
ベチャッという血肉の飛び散った音で、炎弾を避け損ねた兵士がいたことが分かる。
すでに退くことのできない部隊に振り返る余裕はなく、雄叫びとも悲鳴とも分からない声を上げながら、敵陣へなだれ込んでいく。
両軍の最前線が衝突すると、戦況はより一層混沌さを増した。
「殺せ!殺せェ!」
「我がマリス王国に栄光あれ!」
ほとんど意味を持たない言葉で自らを奮い立たせながら、互いに命を奪い合う。
目を覆いたくなるような地獄。
そんな地獄の最前線を俺は駆ける。
「切り開け!アルベルト!」
……まったく人使いの荒い。
部隊長の命に呼応して、敵陣の中へと切り込む。
「行かせん!」
俺の侵入を一早く察知したマリス兵。
その振り下ろした剣を紙一重で避け、すれ違いざまにそいつの喉元を切り落とす。
崩れ落ちる敵兵を横目に、敵軍のより深く、より奥の方へと潜り込んでいく。
狙うは後方、強力無比な魔法で自軍の戦力を削ぎ続ける魔術師の部隊。
敵の隊列が整うよりも早く、魔術師を殺しに走る。
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敵の後衛部隊にたどり着いたころには、剣身がガタガタになっていた。
三十と七人の武装兵を殺めた凶刃を捨て、腰に差した短剣に手を伸ばす。
比較的軽装の魔術師が相手ならば、この獲物で十分だろう。
魔術師部隊を構成する下級貴族たちは、事務的に魔法を放つだけで緊張感を欠いていた。
木々の間から油断しきった獲物に跳びかかる。
「ひっ!!」
虚をつかれた魔術師が詠唱を始めるより早く、彼の胸を短剣で貫く。
肉の奥、熟れた果実のようなソレに、刃が到達した感触を確かめて、素早く短剣を引き抜いた。
「敵襲!敵襲!」
「撤退!一度体制を立て直せ!」
本来、窮地に立たされることのない後衛部隊は、たったこれだけのやり取りでパニックに陥る。
俺に背を向けて無警戒に逃げ出す者もいる。
意思の統一が図れなくなった集団は、すでにさしたる脅威ではない。
「敵兵一人に怯むな!取り囲んで殺せ!」
多少の死地は潜り抜けてきたのであろう魔術師が六人、撤退する仲間を庇うように立ち塞がる。
彼らは熟れた動作で俺を取り囲み、詠唱を始めた。
距離にして約二十メートル。
両脚に魔力を通わせ、一気に間合いを詰める。
狙うは敵陣側面、雷撃系統の詠唱をしている小太りの魔術師。
「このッ!」
魔術師は俺の接近に詠唱を諦めて、護身用のナイフを取り出した。
が、そのナイフを振り抜くよりも早く、短剣で肥えた首筋を撫でるように掻き切る。
「あ……ガアっ……」
速度の乗った刃は、それだけで容易く命を散らした。
俺は即死した彼の手元からナイフを奪い取り、最も近くの魔術師に投擲する。
この距離では、身体強化によって加速された投擲物に反応することは不可能だ。
放たれたナイフは一気に加速して、魔術師のこめかみに深々と突き刺さる。
彼は立ったまま白目を剥き、膝から崩れ落ちた。
「…………竜の吐息とならん!」
詠唱の済んだ魔術師たちから爆炎が放たれる。
俺は三歩大きく前進して、左右の爆炎から逃れた。
そして、正面からの炎に備え、再び魔力を脚に込める。
眼前に迫る炎の壁。
熱気が肌に伝わるほどまで引き付けて、左前方に跳躍する。
増幅された脚力で大地を蹴り、懐まで潜り込む。
「くそっ……!素早いガキめっ……」
魔術師はそれを見て狙いを改めるが、すでに遅い。
体を回転させ、逆手に構えた刃で魔術師の肉を抉る。
そして、回転運動の慣性で顎を蹴り抜く。
急所を捉えた一撃は、魔術師の意識を容赦なく奪った。
この出血量ではもう目覚めることはない。
残る敵兵は三人。
瞬く間に部隊を半壊させられた魔術師たちは半ば茫然とし、しかし、まだ突き刺すような殺意をこちらへ向けていた。
殺さなければ殺される。
戦場を支配する、どうしようもなく絶対的なルール。
俺は短剣を構えなおし、刃に魔力を込める。
「私が前を張る。決して詠唱をやめるな」
「で、ですが……」
「どの道、犠牲なしでは止められん。私ごとでいい、必ず殺せ」
「はい、必ず……!」
リーダーらしき魔術師が、腰に差した剣を抜いて一歩前に進んでくる。
残された二人は、震える唇で詠唱を始めた。
俺が動くのと同じくして、隊長格の魔術師が二人を守るように行く手を遮る。
その眼には、自らの命すら擲つ覚悟が宿る。
俺は短剣に圧縮された魔力を、誇り高き戦士へ向けて解き放った。
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「あ、あ……。何、が……」
一人残された魔術師は、何が起きたのか理解できない様子で立ちすくんでいた。
さっきまで隣に立っていた仲間が死んだのだから無理もない。
俺が短剣を振るった後、放たれた魔力は雷の槍となり、敵隊長ごと後衛の魔術師を貫いた。
勇敢な戦士の胸元から白い煙が立ち上る。
彼はすでに息絶えていた。
「た、隊長……?カーチス……?」
亡き仲間を呼ぶ声に答えはない。
俺は戦意を失った男の元へゆっくりと歩いていく。
すでに勝敗は決した。
無駄に敵意を煽らないように、静かに話しかける。
「あんた、武器を捨てて俺についてきな。大人しくしてれば命だけは助かるかもしれない」
「お、俺は……。あ、ああ分かった、ついていくよ……」
ここにいては、撤退してくる敵軍と鉢合わせてしまう。
すぐに北の合流地点へ向かわなくては。
短剣の血を払い、目的地へ足を進めようとしたとき、目の前の魔術師が懐からナイフを取り出した。
「うっ、うおおおおおおおおおおお」
抵抗か、仇討ちか。
血迷った魔術師が一心不乱に襲い掛かる。
決死の突撃をいなそうと、短剣の柄を握り直す。
二つの刃が交わるその瞬間、魔法の矢が彼の喉元を貫いた。
「うぐぅ……があぁぁ……」
声にならない呻きを上げて魔術師が絶命する。
彼の命を奪ったのは、俺の放った魔法ではない。
「こっちまで来てたのか、クロエ」
俺は後方へ向き直り、術者の名前を呼ぶ。
そこには予想通り、よく見慣れた少女が立っていた。
「あんまし油断しないでくださいよ、アル先輩」
「ん、悪い。助かったよ」
クロエ・ローデシア。
赤茶色の髪に栗色の瞳を持つ華奢な少女。
リズヴェリア王国の二等級魔術師にして、俺と同じ特殊部隊の斥候。
普段ならこんな激戦地に来ることはないはずだが……。
「珍しいな、こんな戦地で会うなんて」
「先輩が遅かったんで、様子を見に来たんですよ」
「あれ、そんなに経ってたか。ごめん、急いで向かおう」
気がつけば日は沈みかけ、斜陽が地を照らしていた。
敵陣を切り抜けるのに少し時間をかけすぎた。
俺たちはすぐに北へ走り出す。
「マリスの魔術師が二十人ほど、東へ撤退していった。もう伝わってるとは思うが……」
「はい、彼らならすでに追跡部隊に追わせています。夜が明ける頃には追いつけるかと」
「そうか、うちのスカウトは優秀だな」
「褒められてもなにも出せませんよ?」
クロエを茶化してみるも、軽くあしらわれる。
実際、クロエは優秀な斥候だ。
追跡部隊への指示も、本来任務には含まれていなかっただろう。
うちの部隊では最年少だが、全体を見通す力がある。
あとはもう少しトゲがなくなれば、先輩として言うことは何もない。
「まあ冗談を抜きにしても本心からの言葉だよ。クロエの手際には本当にいつも助けられてる」
「そんなに心配しなくても、ちゃんと分かってますよ。助けられているのはお互い様です」
口下手ながら言葉を選んだのが、しっかりバレているらしい。
なんとなく照れくさくて口を噤む。
それを察したのか、クロエは柔らかく微笑んだ。
なんだ、そんな笑い方もできるんじゃないか。
すでに日は暮れて、北方の山々から吹き込む風が空気を冷やす。
合流地点に着く頃には、身を刺すような寒さに変わるだろう。






