聖女になりそこなって婚約破棄までされました。つきましては侯爵位を捨て隣国で商家を営んでいこうと思います。
豪華絢と呼ぶにふさわしい広間には、現在物々しい空気が漂っている。
目の前でにやりと口の端を持ち上げた王太子を前に、ドロシーは膝をつく。
今日のパーティーのために仕立てた、真新しいドレスの裾に皺が付いた。
王太子の腕には"私って本当に可哀想"という文字を貼り付けたような表情の聖女、リリアンナがすがりついている。
「ドロシー、お前は初対面のリリアンナに、居丈高な態度で言いがかりをつけたな」
「……それは」
「言いがかりをつけたかどうか、それだけを聞いている」
リリアンナが「こわーい」とか弱い声を上げ、ふるふるとか肩を震わせる。
「それ以降も、事あるごとにリリアンナとの逢瀬を妨害してきた! そうだろう!」
耐えきれない、とばかりにマントを翻した王太子が、尚も膝をついて俯くドロシーを厳しく指さした。それから少しだけ満足した様子で、視線だけを周囲にちらと巡らせる。
「聞けば侯爵家の方も、領地の開拓に力を入れておらず、資源の産出も少なく、私腹を肥やしてばかりだとか。極めつけは、聖女としてリリアンナが選ばれ、ドロシーが選ばれなかったこと!」
ひそひそ、という雰囲気だった周囲の声がざわついたものに変わった。
「度重なる愚行はこれ以上感化し難く、ドロシーは婚約破棄の上国外追放、侯爵家は降爵処分とする!」
ようやく顔を上げたドロシーが、きつく結ばれていた口元をそっと開いた。
「たしかにあのとき、私とリリアンナ様は初対面でした」
なにかを思い出すように、ドロシーはそっと視線を落とす。
ふわりと巻かれた金色の後ろ髪が、寂しげに揺れ、肩に流れた。
「だからこそ、私と婚約関係にある王太子ウィリアム様に対し「見つけたわよ! 私の王子様!」などと叫ぶ行為……嗜めなければ、私が罰せられてしまいます。そうは思いませんか?」
ドロシーは深く息を吐き、少しだけ周囲を窺う。
「加えて、私という婚約者を差し置いて逢瀬を重ねる、などというのはあまりの暴挙ではありませんか」
許しがたい日々を思い、ドロシーはまた唇を噛み締めそうになる。
「……私とウィリアム様は、公務上同席せざるを得ない事が多い立場にあります。そこに割って入って、公務を妨害しているのはリリアンナ様の方です。どうか、公平なご判断を――」
「う、うるさい! 俺が気にいらないと言ったら、気に入らないんだ!」
「では侯爵家の方針について申し上げます。父を差し置いて差し出がましいように聞こえるでしょうが、どうかお許しを」
ドロシーは、意を決して立ち上がる。
侮辱されているのが自分だけならばまだしも、父や領民にまで及ぶなど言語道断だ。
「これまで何度も説明してきた通り、交易による発展こそ自領に最適と考えた末のこと。勿論私服を肥やしているわけもなく、領民には適切に還元されており、心外というほかありません」
「ぐぬぬ……!」
王太子が、のけぞるようにして一歩後ずさった。
「聖女選定についても全くの心外です」
「何!?」
「聖女として適格者が選出された折には、無用な混乱を避けるために選定の儀を受ける前の聖女候補達は選定を辞するのが慣習。私はそれに従ったまでのことです」
「黙れぇ!!」
激昂した王太子ウィリアムのそばで、これまた顔を真赤にした聖女リリアンナがふざけるんじゃないわよ! と声を荒らげた。
「サイアク! 難しい話ばっかり始めて、私たちを混乱させようとしてるわけ!?」
「リリアンナの言うとおりだ。詭弁を並べ立て煙に巻こうという魂胆なのだろうが、もう聖女候補ですらないお前の意見など聞くに値しない!」
「申し訳ありません、王太子様」
「お父様……」
白髪交じりの侯爵が、一歩前に出る。
「こうなっては爵位返上の上、侯爵家揃って国を去り、罪を償います」
ドロシーは、静かに目を伏せたままだ。
これまでドロシーの家を侮り、取引をしていなかった古参の家は賛同したり、嘲笑したりと様々だった。
一方で、これまで取引があった他の侯爵家は、この状況に呆然としている。
ことの次第を見守っていた国王は侯爵の宣言を聞き眉間に皺を作って口を開いた。
「ウィリアム……もう少し状況を整理してから――」
「よし、その宣言認めようぞ!」
父王の意見など耳にも入らないのか、勝手に話を進めるウィリアムは、ようやく機嫌が戻ったらしい聖女リリアンナと抱き合っている。
国王は、息を呑んで頭を抱えた。
侯爵家の領地からの税収の多さが抜きん出ていることを、よく知っていたからだ。
***
王国を追放されてから数カ月後、ドロシーたち元侯爵家は早くも、隣国で商家として大成していた。
実は王国にいた頃から、隣国との間には侯爵家独自の貿易ルートが築かれていたのだ。
王国は、聖女の力で豊かになった農地での農業に頼り切っている。
そのため、商いなどを軽く見る風潮があった。
だが、侯爵領は王国の国境に面していて、聖女の力をあまり受けられず、広大ながらも荒れた土地は痩せ細っていた。
必然的に交易に力を入れざるを得ず、王国貴族として肩身は狭いしありがたみのない立場だったのである。
何か切っ掛けがあれば王国を見限ってしまう腹積もりだった侯爵は、着々と準備を進めていたのだった。
「あの頃に比べれば、ずっと暮らしやすくなりましたね。お父様」
ドロシーが、紅茶を一口含みながら父に語りかける。
「そうだな」
元侯爵となった父は、感慨深い気持ちで頷いた。
「窓から領地を覗く度に胸が締め付けられる思いだったが、今はこの賑やかな交易路を見るたびに明るく喜ばしい気分になる」
白髪交じりだったドロシーの父は、この数ヶ月ですっかり元気を取り戻し、不思議と若々しくなったようにすら感じられた。
「ドロシー様。また注文書がこんなにも」
新しく雇った執事が扉を叩いて、仕事用の封書を積み上げ持ってくる。
一家は今、ポーションを中心とした交易で大きな利益を生み出している。
ポーションといえば、今までは力のあるものが一人で調合し、わずかばかりの品を高額で取引するものであった。
しかしそれは過去の話となっている。
現在は大人数で多重に魔力を注ぐスタイルへと変化し、効果も生産量も劇的に向上した。
それによって治療薬としてはもちろん、土壌の改善、瘴気の浄化など、これまでにない効果がもたらされるようになったのだ。
「お前が、ずっと研究を続けてきてくれたおかげだよ。ドロシー」
王国では、そういった浄化の力というのは聖女の強力な魔力に頼るものだった。
独自のポーション研究など無駄に終わるのでは、と屋敷で雇っていた使用人たちまでも不安に思う日々だったのだ。
「お父様もご存知の通り……決して簡単な道のりではありませんでした。この技術をしっかり守り通していくことが、これからの課題です」
現在も、この研究成果は元侯爵家の独占状態にある。
***
それから更に数カ月後、ドロシーは手紙に目を落とし嘆息していた。
王国が「侯爵家としての地位を再び与える」と手紙を寄越してきたのだ。
ポーションが十分に行き渡ったところで、各国が聖女の力を不要と考えるようになったのは当然の成り行きだった。
聖女の力を他国に貸すことで利益を得ていた王国が、これは不味いとばかりに手のひらを返してきた格好だ。
ありえない、と肩をすくめたドロシーの元に、あろうことかドロシーを国外追放とした張本人である王太子ウィリアムが訪ねてくる。
「これは特例だ。ドロシー。お前たち一家が、我が国に戻ってくることを許そう」
ウィリアムは泣いて喜ぶだろうとでも思っていそうな表情でそう宣った。
「戻りません」
ドロシーが即答する。
「は?」
虚を突かれたような声を出した数瞬の後、ウィリアムはみるみる顔を真っ赤に染めて叫んだ。
「何の不満がある!? 手紙でも送った通り、再び侯爵の地位が得られるのだぞ!」
その時、屋敷に慌ただしく訪れたらしい者達の足音がドロシーたちの耳に届いた。現れたのはこの国の王子、マクシームだ。
端正な顔立ちに、銀色の髪が揺れる。
「敵国の王太子を捕らえよ!」
「て、敵国だと!?」
「商国家たる我が国に多大な利益をもたらし、聖女の呪縛から解き放ってくれたドロシー嬢を無理やり連れ戻すというのならば、敵国も同然だ!」
マクシームが片手をかざして指示を出す。
羽交い締めにされたウィリアムはクソ、クソォ! 声を上げていた。
「ドロシー!! お前は、嘗ての領民を見放すのか!!」
ドロシーがなにかを言い返す前に、ウィリアムは強制退場となってしまった。
屈強な騎士たちを前に、反撃ひとつできないらしい。
「……王太子は、本当に何もわかっていないのだな」
どこか残念なものを見るような眼差しで、マクシームがぽつりと呟く。
「君が、民を見捨てるような人間のはずがないのにね」
ふっと微笑んだ横顔に、ドロシーは大きく目を見張り、それからしっかりと頷いた。
「民には、ポーションを適正価格で流通させる予定です。以前、取引のあった王国貴族を通じて」
「取引のなかった貴族たちは?」
「聖女の力にあぐらをかいていた方々がどうなるかなど、私の知ったことではありません」
***
「ちょっとー! 話が違うじゃない!!」
ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる聖女を、王太子がうるさい! と一喝する。
「聖女になったら全てが手に入るって言ってたくせに!!」
「やめろ! 王太子である俺に気安く触れるんじゃない! 離せー!!」
牢獄の外で、兵士がため息をつく。
ウィリアムとリリアンナの騒がしいやりとりをすべて聞いていたら、この国の終わりを見届けようという気にもならなくなってくるから不思議だ。
「この期に及んで、ポーションを取引禁止にしようとしたら……そりゃあ反乱も起きるだろう」
バカな王太子たちだ、と再び重たい肩を落とす兵士。
王族たちは、聖女もろとも処刑という結果になった。
貴族制は、当たり前だが瓦解。
内乱状態の王国を収めたのは隣国の王子、マクシームだった。
ポーションの流通を牛耳っている隣国が、その勢力を拡大し、増幅させていくのはもはや自然な流れだったのである。
新しい政権の構築と改革を推し進め、賢王として迎えられることになるマクシームの傍らには、辣腕を振るう美しい妻の姿があったとか。
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