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九、殿下の、御心のままに

(本日分2/3)

「殿下の、御心のままに」


そうマリエルが応えると、フィリップはもう不要とばかりに笑顔の仮面を外した。


え?


目を見開くマリエルを余所に、フィリップの視線は側近を、男爵夫婦を、招待客を、そしてエヴェリーナをと、忙しなく巡った。


どうしたの?


私、ちゃんと出来なかった?どうして笑ってくれないの?


マリエルの視界がフィリップから逸れてくるりと廻った。手を引かれた所為だ。踊るようにリードされて壁を背に一歩前へ出た先には、無数の好奇の視線。


ぱっくりと大口開けた、恐ろしい程の不安がマリエルを呑み込もうとする。


フィリップ!!


いやだ!


お願いこっちを見て!笑って見せて!


フィリップの笑顔が得られないが為に、手足が冷たくなって酷い耳鳴りがしだした。心の動揺とは裏腹にマリエルの体は凍りついたように動かなかった。


そしてマリエルにとってのクッキーが得られないまま、するりとフィリップの手は離れる。


彼の背中はこんなに大きかっただろうか?


「皆に聞いてほしい」


朗々たる王太子殿下の音声は大広間の隅々にまで響き渡り、否応なく衆人の耳目を集める。


「今日という日は、人々の記憶に残る王国史の節目となり、ミッドグランは更なる繁栄を遂げるだろう」


メインイベントの気配に人々の興奮は高まり、王太子殿下は慣れた様子で聴衆を支配した。


その隣に、立てる存在になれば、妻になれば、彼の笑顔を、独り占めに出来ると思っていたのに。


マリエルは自分の膝が震えているのに気が付いた。


だめよ!待って。並んで立っていたら、フィリップの顔は見られないなんて。私が欲しいのは、私が欲しいのは———!




「私、フィリップ・ミッドグランは、建国より我らと共にあり、しかしながら長い間空位となっていた"聖女"の地位を、マリエル・メリウェザーが継承する事をここに宣言する!熱い信仰を集めるに長けた新聖女には、中央神殿に入り、尊い神力を国の安寧のため捧げ奉るよう望む。諸君は歴史の証人である。百年ぶりの慶事を共に喜ぼう!」


「え?」


どっと轟いた万雷の拍手が、マリエルの夢想を粉砕し、現実を露にしていく。


聴衆は歓喜し、満足げな王太子が振り向いた。


そこには、綺麗なおべべを着させてもらった村娘が物欲しそうに立ち尽くしていた。


クッキーを欲しがっていた。




「聖女マリエル、骨身を惜しまず励んでくれ」


待ち望んだ笑顔が、漸く与えられてマリエルは気付いた。この微笑みが無償である事は、これまでも、これからも無いのだと。「はい」と返事をしたのは、自分ではない誰かのような強ばった声だった。


恋した人が離れて行くのを信じられない気持ちで、ただ見送る。王太子殿下は、喝采を背に婚約者の元に戻ると、当然のようにその手を取ってエスコートを再開した。


人々の憶測を覆す発表に、一言質問をと詰め寄る輩を堰き止めて、王太子一行は大広間から扉の向こうへと姿を隠す。マリエルも近衛兵に促されて後に続いた。


視界の隅に笑顔の養父母が映る。


大広間から回廊へ身を移したところで、知った声が叫ぶのに振り返った。閉まりかけた扉の向こうに、駆け寄る神官の姿が垣間見えた。間もなく閉じた戸のあちら側でくぐもった声が言い争う。


面倒そうなクロードが場所付きの近衛に扉を開けさせ、声の主を引き入れた。首根っこを掴まれた状態で入って来たのはレイジだった。


「離せ!無礼だぞ、何様のつもりだ!」


バタバタと身を捩るレイジを見下ろし、「どっちがだ」とクロードが溜息をつく。


「殿下があんな事を仰るはずがない!誰の差し金だ!」


「なんで"仰るはずがない"んだ?クッキーなら効いてないぞ?」


バッサリと策略を切り捨てられて、レイジが目を剥く。


「う、嘘だ!だって、脂下がった顔でマリエルにベッタリだったじゃないか!!」


扉を向いて掴み上げられているレイジには、目玉が飛び出そうになっているマリエルも、その数メートル先で傍観するカイルやエヴェリーナや、勿論、"脂下がった顔"とこき下ろされたフィリップの存在も見えていなかった。


けれど逆上していたレイジも、ゆっくりと近付いて来る靴音に、遅まきながら自分の失態に思い及んだ。破滅の気配はカツリカツリとすぐ側にまでやって来た。


「なるほど、意図して王太子の尊厳を冒そうと企んだのだな?」


青くなったレイジは、掴まれた襟に締まる首をギリギリと捩る。捻じ切れそうになりながら目視した王太子殿下は笑顔が実に不気味だった。


「ちっ違う……!!」


否定の言葉を発してみても完全に後の祭りである。クロードの拘束から解放されたレイジは、無意味な首振り人形になった。


「私や陛下の眼は飾りではない。神殿はそんな事も忘れてしまったのか。これは祝福の証だ。効果の一つは状態異常の無効」


三日月型に細められたフィリップの瞳がゆらゆらと色を変える。


「それともう一つ、私の笑顔は誰にでも売る大量生産の粗悪品でね。安さに価値が、あるものだから」


"完璧な笑顔"を被った王太子殿下にレイジは息を呑む。間近にフィリップの尊顔を拝したのは、これが初めてだった。レイジは思う。この美しすぎる人間は、きっと笑顔のままで命のやり取りさえするのだろう、と。自分はもっと早くにそれに気付くべきだった、とも。


「それもそろそろ完売だ」


フィリップがレイジの肩に手を置いて囁く。


「神殿長に伝えてやると良い。神殿の腐敗がもたらした百年の空白を忘却するならば、次は神の裁きを待つまでもなく宝石眼の継手が貴様らの息の根を止める。久方振りの聖女の顕現に、過ちは赦されたなどと思い上がるな」


早春、長い屈服の冬を耐えた若葉はようやく手足を伸ばし立ち上がる。


「連れて行け」


青々と育つ小麦は、やがて小さな花を咲かせ、種に未来を託し、痩せて刈り取られ、愛し子の糧となる。



咲き続ける花は無いし、生き続ける命もない。






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